2012/06/11(月)07:14
『スイミー』で思うこと
↓『スイミー』は小学2年生の国語の教科書に出てきます。
今、息子(小2)がちょうど授業でやっているらしく
宿題で教科書の音読をしていると
自分も学習した記憶のある次女(中1)が
『スイミー歌劇版』
(正式名称は知りませんが、メロディーとセリフでまとめられていて
子供たちの小学校では、毎年音楽会で2年生が合唱の代わりに演じるのが恒例です。)
を歌って邪魔をし、
しまいにはケンカになるベタな姉弟関係が見られます(^_^;)
教科書はもちろん『歌劇版』でも特に熱が入るセリフは、やはり
「ぼくが、目になろう!」
「目になろう」についてこんなブログ記事があります → ぼくが、フンになろう
なるほど…です。
何も「目」じゃなくたって「フン」でもいいわけです。
「目」を選んだのは少数派の特権乱用?
もっとも、それぐらいの権利があってもいいとは思いますけど、
考えてみれば黒い魚が「1匹」だから目でもフンでも選べるわけで、
「2匹」だったら、どちらが目かフンかケンカになりそうですし、
「十数匹」(それでも少数派には違いない数)だったら、
ウロコだのホクロだの新たに持ち場を設置して
ポジション争いは熾烈に?!
多数派(赤い魚)だったら
「大きな魚」としてつながっているだけだから
目の脇だろうが
お尻の近くだろうが大して気にならないような?
(上記ブログで紹介されている別記事では「肛門」が焦点になっていますが、
個人的には「持ち場」表現にそこまで細かい区分けはないのでは?と思います。)
少数派って自意識過剰?
そのへん十分承知してますけど、
自分以外の右乗りスタンド仕様車に
4年数カ月たっても1回しかお目にかからないとなると
スイミーの気持ちも分かりますって(笑)