スーパーテレビより。
いろいろ考える事ありました。前回のは見てなかったんやけど…。今では「当事者」な僕やけど、知識が全く無かったガキの時なら周りにつられた対応していたでしょう。いや、無意識のうちにしていた…。前半の子について…噛み付くのは、それしか今のところは意思表示の手段が無いんやろなぁ。あくまでも「今のところ」の彼の手段やと思いたい。もっと別の、表現方法を身に付けれたらなぁ…と。自分の感情がうまく表現できない時のイライラは、めちゃくちゃわかるんよな。僕の場合は、今でも引きずってるけど「泣く」です。思ってる事が言葉にならない、うまく伝わらない、物凄く的外れな対応をされる、などなどの時に…。もちろん我慢するように努めてます。でも頭つーか体は正直に反応する。そんな時は、頭の前の方が特に熱くなり、喉が詰まる感じがして涙が出そうになる。ガキの時は、すぐに泣いて爆発させてました。でも今は、何とかしてそれを抑えないとやってられない現状。これも「パニック」の一種なんでしょうね。後半の子は、親御さんの言葉が頭に残ります。「養護学校出た後はどうすれば」、いきなりゼロからスタートさせるのはちとキツイんですよね。対策としては事前に準備を整えるしかないのか…「備えあれば憂い無し」そのままですね。その部分の不安、僕が大学出る前後に抱えてたのとよく似てます。大学までは、好きなこだわりの歴史だけで進路決めて突っ走ってきたけど。「卒業後はどうすればいいんやろか」という不安がぐるぐる頭を巡ってかなりキツかった。「養護学校」という「枠」と、こだわりである「歴史」という「枠」。モノは違えど、急に自分のバランス支えてた枠が取っ払われるから、そこから態勢を立て直すには時間がいるのでしょう…。僕の場合は、相当時間が必要やけど、方法さえわかれば何とか自分で「枠」が設定できると気付いたんでこれからやなぁ。個人的には、「ぼかし」で落ち着かなかったです。ナンバープレートや他の人や特定の名前にぼかしかけるのは、もちろんその意味はわかってますけども。それらの部分は自分の中で納得して受け入れてるから気にならなかったんですが、スポンサー外の企業関係の物へのが気になって気になって…。そうなる理由があるんやし、まぁ仕方無いんですけどね。自分の中で納得の「スイッチ」が入ってないから、気になって仕方なかったんです。いろいろ考える事ありましたが、最後の場面の前半の子の笑顔で救われました。「表情に乏しい」のではないです、感情を表情に出すのが下手なだけで…。嬉しい時には嬉しいんですよ。それを満面の笑みでや、全身で表現するんですよねぇ。ブルーハーツの「終わらない歌」や、ゴーイングステディの「DON'T TRUST OVER THIRTY」にあるように…明日にでもこの先にでも笑える時があるんや、と。