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カテゴリ:大陸浪人的日記
万里の長城とくれば北京近郊の八達嶺が有名ですが、そこはまだ行かぬままに別の長城(続いてるからそりゃあちこちで見れるかぁ)行ってきあした!
鎮北台(ちんほくだい)って所です、完成した時期が1607年と、もうすぐ清朝になる時期なのでその時期に建造する意味は何やと悩みますけどね。 パンフには、明とモンゴルとの交易とかの関所みたいな事書いてましたが…。 防衛よりも関所として機能させる為に建て直した、て感じかなと妄想。 画像載せたいのですが、重たいのかパソコンには入るのですがブログのアップロード画像には無理気味です、何や悔しいですなぁ! 完璧自己満足なんですけどね(苦笑)。 何とかなった時に改めて載せます…。 この前のはいけたのになぁ、ITオンチではイカンですね。 しゃーないんで、可能な限り文章で感想述べてみせます! とうとう来てしまった、って感じです。 周囲の長城は、できてすぐに境界線になって無用の長物になったからか、レンガが無いむき出しの土壁みたいな感じです。 でも、狼煙台は残ってました。 ぼちぼち続く狼煙台を目で辿ると、あ~あれが長城やってんな、と思わせる土壁が確認できました。 妄想膨らむせいか(笑)、僕独りテンション上がってましたね(苦笑)。 大阪城もう少し探検したかったなとか、二条城や京都御所の一般公開結局行ってへんなぁとか今は余計な雑念も(笑) 興奮するのは、地平線がブワァーとわかるんですよ! 大草原とか大砂漠ではなくダムや農地や道路や点在する民家ですが、こんなだだっ広い景色は初めてですね。 水平線は何度も見れど、地平線をガッツリ自分で確認したのは初めてちゃうかな思います。 明が内外にガタが来てた最中の建造とは言え、この長城から北が概念上のモンゴルやった訳ねぇ。 長城自体は長年の焼き直しやから建造と言うより補強修復なのかな。 万里の長城言うても、すぐにイメージするあれが全部残ってる訳ではないんですけどね。 せやけどやっぱスゴイです!来て良かった(ミーハー)! その後は紅石峡と言う崖っぷちに仏さん奉ったり文章刻んだりした史跡見たんですが。 こんな崖によくぞ彫れたもんやなぁ、と思います。 崖に穴があちこちに空いてるんですけどね、そこに木をはめ込んで足場とか作って彫ったんでしょね。 こっちの方が画像載せないとうまく表現できんですよ…! 天井が古墳のそれみたいな部屋があったり、寄進者らしき人の文や戒名みたいな名簿が刻まれた石碑とか…。 仏さんは近年に改めて作られたのや古そうなのやらですが、無くて部屋だけ残っている所が多いですね。 帰りにおばちゃん団体に鎮北台どっちや的な質問されたのですが、外人に聞いてどないすんねん(笑)! 見てくれは変わらんから聞いてくるのも無理も無いですけどね。 紅石峡行く前に鎮北台に行ったからわかるもんで、答えておきましたが…。 京都時代でもよく道聞かれた人間なのですがね(笑)。 どこから来たのか聞いてみました、雑談も会話練習じゃぁ。 そしたら、広西からと言ってはりました…香港より西にある広西チワン族自治区です。 日本より遠いですやん(笑)、それでも国内やから国土の広さはケタ違いですね。 大阪から京都に移住して、何や大阪に出るのが遠く面倒に感じるようになっていった自分って一体(苦笑)。 つたない会話の中で、おばちゃん曰く標準語(普通話)は苦手や言うてはりました。 地の言葉は広東語とほぼ同じ方言なのですが、 ここの方言と違って、別言語として扱われる方言やもんなぁ。 お互いぎこちない中国標準語です(笑)。 似たようなケース少し前に経験したなぁ。 おばちゃんはこの後は内モンゴルの北に行く、と言ってはりましたが…イイ避暑になれたらなぁですね。 大阪は今日は35度超えたんですね、いつになったら秋になるのでしょうか!? 去年も同じ調子でまだ暑いとぼやいてたなぁ。 夏と冬だけの四季ならぬ二季になってくのでしょうか。 年の半分くらいは30度超えてますもんね。 凄まじく長くなるので一旦切り上げます。 画像うまく縮小とかで載せれたら載せてみます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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