2007/02/02(金)19:28
*力のサムライ伝* その4
その3のつづきです。
*力のサムライ伝
* 破門・独立 * 廃業覚悟のつらい決断
7日目● 2005/07/20 以下抜粋
勝昭タン、24歳、大関2場所目。昭和四十一年九州場所。
博多の夜のマチを楽しんでいたら、とんでもないことを九重親方(元横綱千代の山)の後援会の人から耳打ちされる。
「中州で遊んでいた」事の方に注意が行ってしまう様な文章なのですが…。この「とんでもないこと」は、九重親方(元横綱千代の山)の独立の話です。広く知られている話なので、割愛します。ただ私が知らなかった事は、勝昭タンがついて来るなら独立の意思を固めるつもりだとの九重親方(元横綱千代の山)の気持ち。これは知りませんでした。
人生のなかで、これほど迷ったことはなかったね。もともと千代の山を頼って旭川を出てきたんだから原点は千代の山にある。だけど協会を首になるかもしれない。つらいつらい、決断だったよ。いろいろ相談もした。でも最後は自分で決めた。もし廃業を言い渡されたら、北海道に帰ればいい、とね。腹が決まったのは初場所の中日あたりだと記憶している。
今でも部屋の独立問題は色々ありますが、今なら大関が廃業になる事は無いと思うんです。世間にも波紋が広がるでしょうし…。でも当時は、廃業になってもおかしくない状況だったんだろうと想像します。
ただこの勝昭タン。腹が決まってから、男気を発揮します!
少々うるうる来る話が続きます。
初場所が終わって2日後。九重親方は破門を言い渡されます。
実際にその場にいたわけではない。でも新聞で見た九重親方は、親方衆や新聞記者がいるなかで一人、正座してね。ひざが悪いものだから座布団をひざにはさんでかしこまっている。どんな心境だったのかな、と思う。おれたちは親方衆に罵倒された。「裏切り者」とね。
辛い日々が続きます。
お世話になったおかみさんに、おれと松前山の二人であいさつに行くと、「わかっています。どこの部屋に行っても強くなりなさい。さあ握手しましょう」と言ってくれた。涙がとめどもなく流れた。師匠・出羽海親方に借金があった。当時の金で百万円くらいかな。返しに行ったら「餞別だ」と、言われてね。
腹の据わったおかみさんだと思います。
ただ、どうして勝昭タンは、師匠に借金していたんでしょうか…。酒代?
この年の2月5日に独立となるわけですが、勝昭タン、喜びよりも気が重かったそうです。
* 初優勝 * 「親方を男に」と意地
中日○ 2005/07/21 以下抜粋
昭和42年大阪場所。 高砂一門の九重部屋力士として土俵に上がります。
自分と幕内の禊鳳(みそぎどり)(渡島管内木古内町出身)、それから十両の松前山(同管内松前町出身)の三人で「なんとしてもおやじを男にしよう」と誓い合った。現役生活は十八年間で終わったけれど、あれほど気合が入ったことはないと思う。
「なんとしてもおやじを男にしよう」なんて、凄い話だと思います!かっこ良過ぎて、惚れ直しました。こんな気持ちを持てる勝昭タンだからこそ、65歳になる今でも素敵なんでしょう。
そして、この3人の誓いが凄い結果をもたらします。
先場所まで同じ釜の飯を食べていた力士とも対戦したりする中、なんと勝昭タン初日から12連勝。優勝争いのTOPに立ちます。13日目は大鵬に掬い投げで負け、翌14日目は、元兄弟子、佐田の山と。マスコミは「因縁の対決」と報じたそうです。
佐田の山との取り組みについて勝昭タンは・・・
尊敬していた人だったので敵意はなかったけれど、どうしても師匠のために負けられない、と思った。土俵で仕切りを始めると「なんで、兄弟子と対決しなきゃならんのか」と不思議な気持ちになったのを覚えている。立ち上がったら、体が動いた、自然にね。土俵際でうっちゃって物言い。取り直しの一番で今度はすんなりと寄り切った。意地が勝った。
こう振り返っています。とてつもない取組みだったと想像します。
そして13勝1敗で迎えた千秋楽。相手は柏戸。肩透かしで勝ち、14勝1敗で、なんと初優勝!
しかも、誓いを立てた3人のうちの1人。十両の松前山は十両優勝!
これは凄いです!かっこよすぎ!
優勝について勝昭タンは…
優勝を決めて支度部屋へ戻り、賜杯を手にして記念撮影をしていると、師匠が来た。右手を差し出されたので握手すると、師匠もおれも涙が止まらなかった。優勝する力なんかなかったのかもしれない。今、考えると、燃えたんだな。破門になって親方衆に囲まれた満座の前で頭を下げさせられた九重親方を男にすることができた。それだけがうれしかった。
すごくいい話だと思います。
千代の富士が初優勝したときも大騒ぎになったけど、あのときの方がすごかったんじゃないかな。とにかく飲んだ。勝利の美酒があれほどうまいとは思わなかった。
お祭りがお好きなようです…。そして勝昭タン。
目標を達成するのも早いですが、目標を見失うと崩れるのも早いようで…。
「このときの優勝がおれの中で眠っていた遊び心を呼び起こした。」
翌場所 ⇒ 5勝10敗
名古屋場所 ⇒ 7勝 8敗
当時は3場所連続して負け越さないと大関から陥落しないから良かったようなものの…。
こんなぼろぼろの成績の中、11月5日には、「ネオン無情」まで販売してしまいました。