小説(9)その日は、土曜出勤の日だった。朝、会議室に召集がかけられた。深田は、皆が集まったとみると口を開いた。「みんないるか?」 「そろっています」 江頭は、そう答えた。しかし、本当は 開発の神野は、電車の遅れでまだ会社についていなかった。それに気付かないまま深田はつづけた。 「今度。江頭君に研修としてロンドンに行ってもらうことになった。こんどグループで社員を相互に研修と称して各社が派遣しあうことになってな、彼女がその第一段というわけだ」 みんな、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、信じるものなぞだれもいないことくらい、入社してものない松田にもよくわかった。おまけに、最初の一週間、一緒にUK(イギリス)の関係会社ユーケイアンテラに出張するという。 ここでアンテラいついて書いておく。本社はニューヨークにあり、関係会社がイギリス、ドイツ、フランス、スペイン、オーストラリアにある。従業員はグループで1000人。そのうち日本は、ゲームメーカーが日本にあることもあって、おもに世界のグループ会社から発注をうけて、資金を銀行から借りて製造し、それを輸出する。松田がはいるまではそれが、業務のほとんでといってよかった。 この年から、円高もあって、輸出はなくなり、国内のマーケットを相手にしていかざるをえなくなった。しかし、アメリカではハッスルマニアとかソンプソンズとか、そして今でこそ日本人大リーガーが人気のメジャーだが、当時はそれもなく、マニアックなゲームばかりをラインナップしていた。そのため、国内の売れ行きは、芳しくなかった。なんらかの対処が、親会社から会社に求められていた。しかし、創設者のひとり 深田の首に縄をつけることができる本社の人間は ひとりもいなかった。 江頭はそんななか、ロンドンへいくことになったということだった。 本社の情報は深田をとおしてしかはいってこない。だから、江頭の話も、日常が日常だから、うさん臭いものを、社員はかぎとっていたのである。 席にもどるとしばらくして赤城が松田に耳打ちした。 「きょう夜6時、あとで知らせる場所にきてくれますか?」 「なにかあるんですか?」 「松田さんにも、知っておいてもらいたいことがあるので」 といいながら、鞄のなかから、多少しわのよった地図をとりだした。そこは大田区の施設で、蒲田と大森の中間くらいの場所にあるらしかった。その地図を赤城は松田に渡した。 夕方になり、定時になると会社をすぐにでた。ちょうど土曜日ということもあって、駅近くのスーパーは、夫婦とか家族連れの姿をみかけた。なんだか、意識の落差を感じざるをえない瞬間でもあった。けっきょく、土曜に会社にでてもなんの意味もないように松田には思えた。 駅の公衆電話で妻には夕食はいらないと伝えた。そして、蒲田の駅そばの三菱銀行わきを線路ぞいにあるいていく。すると10分ほどでメリーチョコの本社工場があり、その斜め前にめざす場所があった。 ステップをあがり、重い硝子戸を押して中にはいると会場案内版があった。 201 アンテラジャパン労働組合 その案内版を見ていると、あとから会社をでた赤城が 「そういうことですよ、さ、二階へ行きましょう」と肩をたたいた。階段を踏むかかとの音がコツコツと反響する一方で、どこだかの部屋から尺八の音が聞こえてきた。案内版に、二階で、たしか「尺八サークル」とあったのを思い出した。 すりガラスの窓がついたドアをあけて中にはいると 、すでに全社員が集まっていた。 演壇には 安藤がいた。 「松田さん、早く座って」 「そろそろ、いいんじゃねえか?」 安川がノートにペンを走らせながら言った。 「これから、第二回アンテラジャパン労働組合の臨時会をはじめます。今日はとりあえず、松田さんにも来てもらいました。というのも、松田さんも、この会社の嫌な面もたくさんみたとおもいますが」 と 安藤は松田に視線をやると、みんなも松田に目をやった。 「さっそくですが、今日の議題は」 「委員長、それより今日の江頭の件、どう思うよ?やってられねえよなあ」安川が、議事の流れを仕切っているようだった。 「この件もいれますか?」 何のことだろうと思った。入れる?ただ、話をきいていくうちに、ファックスを親会社に送って告発してやろうということらしかった。どうも、先月、つまり松田がはいる前の月に、その告発の話がでていたが、決算で立ち消えになっていて、それが今日の「研修」話で一気に爆発したらしい。 「当然だろう」 意義なし!の声があがった。 労働組合といっても、労働委員会に届けだしたものではなく、任意の団体。もちろん、上部組織とかもない。労働組合と名乗っているが、義憤にかられた社員の決起集会といった雰囲気だった。 いよいよ、アンテラの激動が始まろうとしていた。 ジャンル別一覧
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