奥襟部長の柔道・柔術日記

2008/10/26(日)07:58

奥襟柔道部物語 中学生編1

柔道(278)

柔術の先生の学生時代の柔道部の話が面白いので、自分も記憶を残しておくという意味も含めて、不定期に書いていこうと思う。さすがに小学生の時は記憶は曖昧なので中学生以降で。 ============================================= 奥襟は3歳から12歳まで石川県で過ごしました。以前にも書きましたが、柔道を始めたのは9歳からで、5年生と6年生の時には2年連続で全国大会の団体戦で準優勝、技術優秀賞も獲得してます。日本武道館の全国錬成大会でも準優勝になりました。今思えば、一度も全国優勝をしてないんですね。あんなに練習してたのに。日本一ってやっぱり相当難しいんですね。今更ですが。 個人戦では、小学生の時は全国的にはほとんど活躍してません。いつも同じ道場の滝襟に負け、全国大会の出場の機会はゼロでした。ちなみに滝襟は全国の個人戦でも5年生で3位、6年生で準優勝してます(滝襟には5年生の県大会で一回だけ勝ったことはありますが、完全なまぐれです)。 で、6年生の時に準優勝したメンバーはたまたま全員同じ学区で、そのまま順当にいけば同じ中学校にあがるはずでした。しかしながら、そのメンバーの内、一人が名古屋(彼とは中3の時にマルちゃん杯の団体戦の代表戦で試合をすることになります)、そして奥襟自身も京都に引っ越すことになります。二人とも父親の転勤でした。奥襟には弦巻中学や道場の先生の家に居候をするなどの選択肢もありましたが、僕自身は絶対に嫌でした。ということで、小学校を卒業するのと同時に京都へ引っ越すことになります。 あくまで仮定の話ですが、奥襟としては、この小学校6年の時のメンバーがそのまま石川県に残ってたとしても、全国優勝は無理だったと思います。良い線は行くと思いますが。うまくいえませんが、当時の弦巻や国士舘とは、最後の執念の部分で違ったと思うからです。ちなみに、僕らが決勝で負けて優勝した岩出山はメンバーがほぼぞのまま同じ中学校にあがりましたが、中3の時はベスト8止まりでした。 ============================================= あぁ、中学校編なのに、なかなか中学校の話にならないなぁ。すいません。

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