不便だけど自然と絆は70年たっても変わらない 鹿児島・十島村 きょう本土復帰70年
2022/2/4(金) 10:22配信 南日本新聞 1952(昭和27)年の本土復帰から、4日で70年を迎える鹿児島県の十島村。離島の不便は今もあるが、「物が足りない事が豊かな心を育ててくれた」と感謝する人も多い。島には昔と変わらない自然と人と人との強い絆が今も残る。十島村出身者や村民に、これまでを振り返ってもらった。 平島出身の日高重成さん(86)=鹿児島市=は本土復帰した当時、島を出て大島高校1年生だった。「鹿児島本土の高校に転校したい」と常々思っていたが、十島村の村営船「金十丸」は復帰で米軍に没収されたため、故郷に帰る方法がなかった。「島に戻るには、ヤミ船しかないと言われ『海岸に行って、夜8時にタバコの火を頼りに歩け』と教わった。黒糖のたるを積んだ船に同級生と隠れて宝島まで渡った」と振り返る。翌年から2人で、鹿児島県本土の高校に転校したという。 鹿児島市の平田栄一さん(64)は小学5年まで宝島で過ごした。「鉄の歯車と牛を使って、祖父や母がサトウキビを絞っていたことを覚えている。手伝いをすることも多かった」。 田村ちえみさん(66)=兵庫県西宮市=は、口之島中学校に通い、鼓笛隊で小太鼓を担当した。「当時は50人以上生徒がいて、文化祭や運動会で演奏すると大盛況だった。船で島を一周したり、海で泳いだりと楽しい思い出がいっぱい。トカラに生まれてよかった」と懐かしんだ。◇ 十島村は4日、終戦翌年の1946(昭和21)年、奄美群島と共に米軍政下となり、52年2月4日に本土復帰。同10日に十島村が発足した。 戦前は三島村と合わせて十島(じっとう)村とされていたが、46年に北緯30度を境に、現三島村3島と切り離された。復帰直前51年の人口は3148人。同年にあった本土復帰運動は、1970人が署名した。 十島村は屋久島と奄美大島の間に点在する口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島の有人7島と臥蛇島、小臥蛇島、小島、上ノ根島、横当島の無人5島の計12島からなる。 行政区域は南北約160キロにおよび、日本一長い村と呼ばれる。人口は680人(2月1日現在)。村役場は鹿児島市泉町に置かれている。トカラ列島(日本の島へ行こう)