学校通信DX

2007/02/27(火)23:05

「乱暴な言葉」 社会に要請したいこと

子供は大人を映す鏡と言われていますが、子供の言語環境が乱れている状況は、大人の側が産み出しているのだという認識をまずしっかりと持つ事が必要だと思います。責任の取り方を社会全体が考えていくべきだと思います。親の責任であるとか、学校の責任であるとか、責任を押し付けあっていても、何も始まりません。 とりわけマスコミがTVのバラエティ番組やドラマ・雑誌や漫画で「乱暴な言葉」をまるでファッションであるかのように垂れ流していることに、大人達はもっと敏感になる必要があるのではないでしょうか。1970年代であれば、子供に悪影響のある番組は何がしかの団体がチェックをかけていたように思います。子供に見せたくない俗悪番組ベストテンなどのアンケート結果が新聞に載っていた記憶があります。番組内容に対する抗議もよくありました。私自身は子供の頃、そのような抗議に対してはあまり趣味のよくない行動であるような気がして新聞を眺めていました。漫才ブームがおこり、ビートたけし、トンネルズ、ダウンタウンと人気者は移り変わり、「毒」づくことが魅力的であるかのような情報に浸って生きたのは私の世代あたりからだと思います。そんな時代に反比例するように、硬派の抗議団体は、なりをひそめていきました。今となっては硬派の団体がすっかり衰退してしまったことに危機感すら覚えています。 ニュース番組で教育を憂い、批判する一方で、「乱暴な言葉」をファッションにした番組を放映して視聴率に一喜一憂するマスコミの害悪はもっと批判されてもいいように思います。 大人自信の言葉が乱暴になっていることにも注意を払う必要があります。今の親の世代・若い先生は、自分自身が子供の前で、イラツク・ムカツク・ハァ?と平気で口にします。我が子に対して「ウザイ」と言ってしまう親もいます。私自身、「お笑い」は嫌いではなく、かなり感化されている部分があります。意識的に自分を抑えないと、実にガラの悪い人間になってしまいます。大人の方が再教育されなければいけないかもしれません。 何か子供が引き起こす事件や巻き込まれる事件があるたびに「心の教育」が叫ばれていますが、「心」を表現する重要な手段である「言語」がこれだけ乱れていることに大人が平気になっていてはいけないと思います。

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