学校通信DX

2007/09/16(日)22:42

少しでも責任を逃れる教師 (前回エントリー 置換バージョン)

教師について(55)

最近のエントリーは、保護者問題を取り上げていますので、ついつい他人を強く批判することになってしてしまっています。あまりそれは気持ちのいいことではないです。自分の中では保護者としての自分、教師としての自分に言っているつもりで書いています。自分を戒めるために、ワードで前回のエントリーの「保護者」を「教師」に置換し、少し文章を訂正して、再掲載してみました。前回のエントリーと比べてみながらお読みください。--------------------- 前回のエントリーで教育は、面倒くさくてうっとうしいということを書きました。教育は折に触れて、我慢強く注意深くなされなければならないという、この面倒くささ、うっとうしさゆえに、今の教師たちは、下のような心理になってしまっているように思います。1.ちゃんと教育をしているつもり、がんばっているつもりと、自分を弁護し納得させる。2.そして、折に触れて、少しずつ、逃げる。3.逃げておいて結果(子供の育ち)がうまく行かない場合は、子供や家庭等、他人のせいにする。 年々、教師はプロとしての自分に甘くなっていくように感じます。その「甘さ」のうち半分は無意識で、もう半分は確信犯的に責任から逃れ、面倒なことから逃れようとしているのではないかと、思えます。教育は日々の積み重ねなので、そうして責任逃れをしてきた結果は先延ばしになります。先延ばしとなって訪れた結果に対して、教師は、因果関係が分からず狼狽します。「うちの学級、どうしてこんなふうになっちゃったの!?」<<いえいえ、私たちが、こんなふうに育てたのです。もう少し、具体的に例を挙げると、担当学級が学級崩壊になってしまった場合、教師は、1.「いつも授業中は席に座っておきなさいと言っているのですけどねぇ」という類の自分は努力している自分が責任を果たしているというアピール。2. 「アイツはずっと怒り続けているのに、よくならない。」という類の明らかに間違った指導をやっているのに、自分の指導は悪くないと責任放棄。 3.「○○君と付き合うようになってからうちの子は悪くなりました。」「家庭がもう少しがんばってくれたら」という責任転嫁。そして、どう考えても自分のクラスが悪いと認めざるを得ない部分は、「先生はあんなに××と言っていたのに、××するなんて!この子は本当に悪い子供だ」と、子供に責任のにすべてを負わせる形で責任転嫁をする。4.酷い場合には、子供が怖くなってきて、友達協定を作ります。ますます甘やかします。共通の敵(家庭や他の教師)を作って攻め立てることもあります。こんなパターンを示すことが多いです。これを意図的に言っている・思っているのではなく、「なんとなく流される」という心理の中でやってしまっています。長期的な展望を持つことができず、刹那的に、責任逃れと言う「得」や「楽」や「快」を取ってしまうのです。「自分に責任が及ぶのはいやだなあ」とか、「自分はしんどいことをしたくないなあ」という逃げの気持ちが働いています。 ほとんどの教師は自分のクラスを悪く育てようとなどは思ってはいないのに、このような面倒なことから逃げようとする心理が働いているせいで、うまくクラス作りができていません。こういった層の教師も、私は、プチモンスターティーチャーだと思うのです。 そして、やっかいなことに、そんな教師のクラスの児童(生徒)はそんな教師に似て育っていきます。自分に甘く、無責任に。 

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