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カテゴリ:その他 雑多
正月ですが、続けます(汗)。 事件の舞台となった神戸の学校・須磨・ニュータウンという要素には、実に微妙な空気がある。この街の生い立ちについては、「「少年A」14歳の肖像」「地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所」で高山文彦氏が詳しく書いていて、非常に興味深かった。多井畑~名谷という、古い村のあった地域の山を削りながら新しい街が作られていく。友が丘・竜ヶ台・多井畑等の名前はそこが自然の丘や山・畑であったことを意味している。山を削り、削った土で海を埋め立てる神戸方式は「山、海へいく」と喩えられ、住宅地開発のモデルケースとなった。核家族世帯が流入し、新たな自治体が出来上がっていく様子は戦後の日本全体の流れと重なる部分が大きい。ニュータウンへ移り住むだけの財力を貯めた層が転居していく中で、下町の自治が壊れていく一因となった。アップタウンとダウンタウンという階層化が進んだ。アップタウン(多井畑)第一世代の自治はしっかり組織されたものだったようだ。「ニュータウン=人情味に欠ける」といった図式でこの街を語る文章も少なくなかったが、少なくとも第一世代はそうではなかったのではないかと思う。アップタウンへ移り住んだのはAの祖母の代であり、Aはアップタウン三代目に当たる。家は三代でつぶれる... Aの家族もまら、この街の空気と同様に、微妙である。Aの家庭は多くのメディアから、かなりのバッシングに遭っている。伝え聞いた様々な情報と「『少年』Aこの子を生んで・・・」を読めば、確かに異常な部分を感じる。それでも、この街の平均的な家族像から大きく外れていたのかというと、そうでもなかったようにも思われる。そのあたりが、微妙なのである。異常であるのはAの家族だけというわけではないだろう。今の日本のたいていの家庭が、微妙に異常を孕みながら成り立っているのではないかと思う。我が家だって例外ではなかろう。 AとAの家族の微妙な人物像や微妙な関係は、親の手記である本書を読んだだけでは、なかなか正確にはつかめないと思う。ある人は、先にも書いたように、「思ったよりまとも」と感じるかもしれないし、ある人は「許せない」と感じるだろう。同情する部分も、憎むべき部分もあるだろう。手記に現れているのは実に複雑な親の心境であり、それに実に複雑な読者の心情が重なるため、読み取り方は実に様々であると思う。私自身、この本を読んでいるといろいろな思いが交錯する。 微妙に異常なのである。どうしても、妙な言い回しになってしまう。明らかに異常と感じる部分がいくつかあるのに加えて、至る所で微妙なずれが見られるのである。一見、まともに見える事の中にも、なんだかおかしな雰囲気がある。この歯がゆさは何なのだろうか... 本書で両親は、平謝りを何度も繰り返しているように見える。ところがよく読んでみると、言い訳もさせて欲しいという心情が含まれている。おそらく事件からの数年は、家族は大変な思いをしただろう。言い訳をしたくなる気持はわかる。それでもここは、潔く謝罪に徹するべきだったのではないかと思う。また、「失うものはないので洗いざらい語る」と言いながら、都合の悪いことは詳しく書いていないという傾向も見られる。 最も私が歯がゆいと感じるのは、母親がAへの体罰に関しての記述がぼやけているところである。 母親のAに対する躾が過剰であったことについて識者から多くの指摘があった。あるのにもかかわらず、母親は「躾できつい折檻をした覚えはないのですが・・・長男のAには厳しく怒って注意していたかもしれません」と三人兄弟を育てる事態となったAが三、四歳当時の様子は書かれているものの、あまり多くは記述しておらず、受け流そうとしているようにも受け取れる。Aの精神鑑定主文が「弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐待者」としての幼時を送り」と、母親の虐待を指摘していることに対しては、「頭では分かっていても、いまでもA自身のこと、鑑定書の内容はピンと来ず、よく理解できていません」と、真相をうやむやにするかのような記述しか書いていない。 後に発行された本、「「酒鬼薔薇聖斗」への手紙-生きていく人として」(今井一生:宝島社)には、生後6か月から虐待があったと母親が人に告白したという話(これは、又聞きの話ではある)が載っている。この虐待の状況については、大事な点である。しっかりと再検証がなされるべきだと思う。
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新年関係ないペースがステキです(笑)
今年もよろしくお願いします。 親はそのときそのときは「最善」を尽くしているのですよね。 体罰がどの程度だったのかは知るよしもないのですが うちだって、ことによっては打って打って蹴るときもあります。 厳しすぎると母はいいますし、母から見ると異常にみえるでしょうが 私は意味なく体罰は加えないので「しつけの一環」だと思ってます。 あとで、考えたらあんなに厳しくしなくてよかったのかな?と 思うこともあるのですが、でも、やっぱりそのときの感情、 経緯からあのリアクション以外にあり得なかったと思い直したりするのです。 体罰が心の傷を…とよく言いますし体罰に原因を求めるのは 簡単だと思うのですが、実は体罰がいいか悪いかについての検証は難しいと思うのです。 (親以外に手を挙げてまで善悪を厳しく教える存在は今の社会にいないと思ってます) 理不尽な暴力は体罰ではなく虐待だと思うので虐待か体罰か という検証はできるでしょうし虐待は完璧に心身に暗い影を落とすと思います。 「微妙に違う」という感覚的なもの…根拠がないことは 現場でもなおざりにされますが、このことこそ、もっと重要視されるべきであって その違和感の根本がキーになっている気もするのです。 展開を楽しみにしてます。 (Jan 6, 2009 03:11:15 AM)
少年Aの家庭と我家とどれほど違うのか、私にはわかりません。特別な違いがわかるほどはないのでしょう。
躾と体罰 よく言われることですが、自分なりの線引きは「叩く」にしても1発か何発も叩いたり殴ったりするか。 言い聞かしたあとに1発殴るのは躾 ただ怒りながら叩く・殴り続けるのは体罰 1発しか叩かず言い聞かすのは、叱る側が冷静です。 しかし、何度も叩いたりするのは叱る側が冷静さを欠きます。喧嘩などでもやりすぎるのは後者です。 つまり叱る側が冷静でない時は、ただ感情をぶつけているだけに過ぎないと思うのです。 そう考えています。 多分私はこの両親を不快に感じるのは、TVなどでみた彼らの発言に「言い訳したい」という部分を感じるからでしょうね。 実は私の友人は被害者の親と同窓生だったようです。 友人も同窓会で聞かされるまで知らなかったようです、親の世代もそれほど横の繋がりは希薄だったのかもしれません。 (Jan 6, 2009 01:26:22 PM)
*namiママ*さん、コメントありがとうございます。
>新年関係ないペースがステキです(笑) >今年もよろしくお願いします。 新年早々、重い記事ですみません。 こちらこそよろしくお願いします。 >うちだって、ことによっては打って打って蹴るときもあります。 私も年末、あまりの「勉強」のできなさに、息子をぼこぼこにしました。殴る蹴るです。成績が悪いことを叱ったのではなく、勉強をやっていく上での約束が守れていないことを叱ったのです。 叱った分、彼の勉強に付き合っているつもりです。今年は付き合う余裕があるから叱ったと言った方がいいかもしれません。 >そのときの感情、 >経緯からあのリアクション以外にあり得なかったと思い直したりするのです。 感情を伝えることは大事だと思います。 >体罰が心の傷を…とよく言いますし体罰に原因を求めるのは >簡単だと思うのですが、実は体罰がいいか悪いかについての検証は難しいと思うのです。 体罰論をやりだすと実に長い話になってきます。パソコン通信時代にもずいぶんやりました。なかなか答えは出ませんね。 >(親以外に手を挙げてまで善悪を厳しく教える存在は今の社会にいないと思ってます) そこでしょうね。学校はすでに体罰不可能に近くなってきています。家庭という密室で行われる体罰が虐待か愛の鞭か。そして、どう虐待を食い止めるのか。 >現場でもなおざりにされますが、このことこそ、もっと重要視されるべきであって >その違和感の根本がキーになっている気もするのです。 すべてを可視化することは不可能かつ余計な御世話にしても、もう少し何とか明らかにすることによって随分違ってくることってあると思います。体罰に限らず。 (Jan 6, 2009 05:49:33 PM)
トウサンさん、コメントありがとうございます。
>少年Aの家庭と我家とどれほど違うのか、私にはわかりません。特別な違いがわかるほどはないのでしょう。 Aは不気味という点で目立っていたようですが、表 面的には特別目立つような家庭ではなかったと思い ます。現場の感としても、伝え聞いた話からも。 >よく言われることですが、自分なりの線引きは「叩く」にしても1発か何発も叩いたり殴ったりするか。 >言い聞かしたあとに1発殴るのは躾 >ただ怒りながら叩く・殴り続けるのは体罰 >つまり叱る側が冷静でない時は、ただ感情をぶつけているだけに過ぎないと思うのです。 1発だけというのは線引きとして有効かもしれない ですね。グーはやめておくとか、首から上はやめて おくとかも。 感情を出すことも大事な一方で、どこかで「怒って いるのではない、叱っているんだ」という冷静さを 保つことも必要だと思います。 >そう考えています。 おそらく、そんな事を考えている時点で、ある程度 上手に「叱る」ことができる親なんだと思います。 問題はただなんとなく何も考えずに「怒る」親でし ょう。 >実は私の友人は被害者の親と同窓生だったようです。 >友人も同窓会で聞かされるまで知らなかったようです、親の世代もそれほど横の繋がりは希薄だったのかもしれません。 同窓会そのものがなくなってきています。どこで誰 がどうなろうが、人は透明で、さしたるリアリティ ーもないという世の中なのかもしれません。 (Jan 6, 2009 06:07:15 PM)
はじめまして。
私もこの本、どんな酷い親だったのだろう……という興味本位で読んだことありますが、気が抜けるほど普通の(無知で鈍感で無教養ではあっても)親なんでビックリしました。 例の90年代のなんでも親のしつけや親子関係のせいにすればそれで済むというアダルトチルドレンブームの頃の報道や本はすごかったですけれど、今となっては、強引だったなあと呆れるばかりです。 この本を読んだだけでも、殺人までいったのはレアケースとはいえ、Aの人となり、親が感じていた違和感の部分に関してはある種の発達障害児の典型例のように思われます。 というか、Aは軽度でしょうけれど、この両親の手記をを読んだだけもでアスペルガーとわかりますよね……(親族にもいるのですが、彼は療育を受けて、何の問題もない社会人をやっています。ですが、根本的なところは似ているんです)。 Aのような子供をあえて作ろうと思いどんな虐待しようと、無理なのと同じように、彼の根本は変えられません。 適切な専門的な指導により、そのような傾向と共存していくしかないのです。 いまだ90年代の迷妄をひきづる言説に触れるにつけ、Aに関しても、佐藤幹夫の『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 のような、その分野に詳しい方の本が出ればいいのにと思いました。 (Jan 9, 2009 12:15:19 PM)
aruさん、コメントありがとうございます。
>私もこの本、どんな酷い親だったのだろう……という興味本位で読んだことありますが、気が抜けるほど普通の(無知で鈍感で無教養ではあっても)親なんでビックリしました。 何と表現すればいいのか・・・両親がどんな親であったかを短く語るのは難しいです。おっしゃる通り、普通といえば、普通ですよね。 >この本を読んだだけでも、殺人までいったのはレアケースとはいえ、Aの人となり、親が感じていた違和感の部分に関してはある種の発達障害児の典型例のように思われます。 レアケースから学ぶべきことは多いですね。発達障害が悪い方に向いて転がり落ちていく典型例だと思います。 >適切な専門的な指導により、そのような傾向と共存していくしかないのです。 同感です。そこをなんとかしていかなければなりません。教育関係機関もそこを考えていく必要があると思います。私自身、家族支援や教師支援などについてどうとらえていいか混乱しているので、こうして文章を書いてみながら考えています。 >佐藤幹夫の『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 読んでみます。 (Jan 9, 2009 10:38:43 PM)
飲み会カラオケコースが大スキです
しっかり働いてる社会人です ぬけてるらしくよくからかわれます…泣 彼氏居ないのはいつまでだろおな??? いい出会いってないんですかね???? 結構明るい性格なので話やすいと 自分でわ思ってマスww こんな感じの私ですが気軽にメール して下さいね~ ちょっと今忙しいからフリーメールの方に メールしておいてくれたら助かるなー december_sky00@yahoo.co.jp ごめんねお願いしちゃってその方が直ぐにメール返せるからさ! んじゃ待ってまーす☆ (May 29, 2009 04:52:36 AM)
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結局みなさん自分がしている体罰を正当化したいがために、いろんな言い訳をなさっているように思えます。自分が今ぶたれたり、蹴られたりしたらどんな気持ちになりますか。子どもだからぶっても良い、大人だからぶたれることはないというのはおかしな理屈です。ぶたなければしつけができない親はただ我慢の足りない、子どものような大人だと思います。
(Dec 18, 2009 09:34:19 PM)
いいわけさん、コメントありがとうございます。
>子どもだからぶっても良い、大人だからぶたれることはないというのはおかしな理屈です。ぶたなければしつけができない親はただ我慢の足りない、子どものような大人だと思います。 体罰論や暴力論を始めるとまたかなりの行数が必要になるので、やめておきます。 私はできれば体罰はしない方がいいと思っています。我慢が足りないというよりも、体罰に走ってしまうのは親として、教師として力不足でしょうね。 少年Aのケースほどではなくても、体罰が人生を歪めてしまうような結果を招くのであれば、本当にいけないことだと思います。 ただ、私は、私をたたいてくれるような人がいるなら、場合によっては歓迎です。強く私にかかわろうとして、暴力をふるってくる場合、かつ、けがをするほど痛くない場合です。 (Dec 19, 2009 01:09:11 AM)
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http://hotfile.com/dl/117012520/213679d/rakutensoft.zip.html (May 27, 2011 02:32:01 AM)
redu06さん
>*namiママ*さん、コメントありがとうございます。 <br> <br>>新年関係ないペースがステキです(笑) <br>>今年もよろしくお願いします。 <br> <br>新年早々、重い記事ですみません。 <br>こちらこそよろしくお願いします。 <br> <br>>うちだって、ことによっては打って打って蹴るときもあります。 <br> <br>私も年末、あまりの「勉強」のできなさに、息子をぼこぼこにしました。殴る蹴るです。成績が悪いことを叱ったのではなく、勉強をやっていく上での約束が守れていないことを叱ったのです。 <br>叱った分、彼の勉強に付き合っているつもりです。今年は付き合う余裕があるから叱ったと言った方がいいかもしれません。 <br> <br>>そのときの感情、 <br>>経緯からあのリアクション以外にあり得なかったと思い直したりするのです。 <br> <br>感情を伝えることは大事だと思います。 <br> <br>>体罰が心の傷を…とよく言いますし体罰に原因を求めるのは <br>>簡単だと思うのですが、実は体罰がいいか悪いかについての検証は難しいと思うのです。 <br> <br>体罰論をやりだすと実に長い話になってきます。パソコン通信時代にもずいぶんやりました。なかなか答えは出ませんね。 <br> <br>>(親以外に手を挙げてまで善悪を厳しく教える存在は今の社会にいないと思ってます) <br> <br>そこでしょうね。学校はすでに体罰不可能に近くなってきています。家庭という密室で行われる体罰が虐待か愛の鞭か。そして、どう虐待を食い止めるのか。 <br> <br>>現場でもなおざりにされますが、このことこそ、もっと重要視されるべきであって <br>>その違和感の根本がキーになっている気もするのです。 <br> <br>すべてを可視化することは不可能かつ余計な御世話にしても、もう少し何とか明らかにすることによって随分違ってくることってあると思います。体罰に限らず。 <br> <br> ----- こわい人たち。ボコボコだって。そんなんだから、学校で、友人を叩いたり蹴ったりするようになり、将来、虐待やDV 加害者になる。 (Feb 19, 2013 11:56:26 PM)
暴力を憎む、躾という隠れ蓑に覆われていても。さん、コメントありがとうございます。このブログはほぼ放置状態になっているので、気が付きませんでした。
>こわい人たち。ボコボコだって。そんなんだから、学校で、友人を叩いたり蹴ったりするようになり、将来、虐待やDV 加害者になる。 ----- 表現が悪かったですね。ボコボコって言ったって、それほど殴っているわけではありません。理性のブレーキが利いている範囲内で敢えて感情を表しているに過ぎません。そもそも痛くはない叩き方をしています。 このコメントを書いてから4年が経ちましたが、息子は人に手を出すようなことはまずなし、素直で優しい子どもに育っていますのでご安心を。 私が問題視しているのは、ブレーキの利かない勘定の暴走による暴力です。 (Sep 9, 2013 12:04:05 AM) |
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