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カテゴリ:保護者問題(親問題)
つながりとか絆とかで記事を書いていますが、リアルに私を知っている人は、「お前が言うな!!」と一斉に突っ込みを入れてきそうです。 私もかなり、旧来のつながりを切ってきた人間で、個人主義者です。まあ、ブログを書いているのは、今までしてきたことの贖罪という側面もあります(苦笑)。 冗談はさておいて・・・ つながりが切れているという暗く悲惨な例を挙げている中で、まだ言及していないのが、「離婚問題」です。小学校教員という立場から見て、強く問題を感じていることの一つです。 このことについては、いずれ書きたいと思いつつも、これを書きだすと非常に長くなりそうなので、後に触れることにしたいと思います。 また、宗教あるいは土着的なモラルの崩壊に関する問題も、書く必要を感じながらも、長くなりそうなのでいつか、機会があれば書きたいと思っています。 ----------------------------- 2つの大きな問題をスルーして、このつながり・絆を取り戻すには何をすればいいのかという話を始めたいと思います。 1.元に戻すというベクトル 「昔はよかった」という思いは、おそらくほとんどの40代以上の方の中にあるのではないでしょうか。映画「オールウェイズ」「20世紀少年」のヒットをはじめとした昭和時代への懐古現象は、おそらくただの懐古趣味だけで怒っているのではないと思います。殺伐とした現代社会への嫌悪感が懐古現象を生んでいるのだと思います。 だったら昔が良かったのでしょうか?昔って、どれくらい昔が良かったって言うのでしょうか。 そいう言われると(けっこう想い出好きな)私も、どうだかと首をひねってしまう部分はあります。 少なくとも太平洋戦争時代には戻りたくありませんし、それ以前の世の中も、かなり厳しい人間関係と社会の圧力があったものと思われます。人権・人命など、実に軽く扱われていたように思えます。 だからこそ、人々は宗教に救いを求め、宗教がモラル(人間関係のモラルを含む)をコントロールする役割をしていたのではないかと思うのです。宗教は必要が生みだしたのだろうと・・・。・・・おっとっと、宗教論になってしまいますね。 では、戦後ならどの時代が良かったのか。 戦後~1960年代までのしがらみは、まだまだたいへんだったと思います。 地域の人間関係は階層がはっきりとあり、地元の有力者は大きな顔をしていたし、平等という概念はいま一つ共有されていなかったように思います。貧乏人は明らさまに貧乏人として扱われ、社会的弱者は今よりもっと貧しい暮らしをしながら社会を支えていました。 見合い結婚より恋愛結婚の比率が大きくなるのが1968年あたりであるというデータを見ても、いかに昔はしがらみが強かったかということがわかります。 家族という集団も、女性の我慢の上で成り立っている部分がかなりあったように思います。女性の解放が本格化していくのは「女の時代」と言われた1980年代だと思います。 男性にしても、会社組織の強い締め付けの下で働かされていた部分は否めず、1970年代まで、男性は最も大事な人間関係のトップに「会社」が挙がっています。群れから離れることは難しかったのではないでしょうか。 1970年代後半からは学校社会が揺らぎだし、校内暴力やいじめが問題になっています。当時の学校生活をそれほどよい思い出として振り返ることができない人は、けっこういるのでは? などと、ネガティブ目線で見ていると、どの時代も悪かったように思えてきちゃいますね。私は個人的に、1970年代前半が好きです。というか、それ以前はほとんど記憶にないです。多分、そこから遡ってオールウェイズの時代(1950年代前半)あたりが良かったのかもしれないと思っています。 「昔のいつがいい?」については、いろんな意見があったにしても、「戻ることができるのか?」という問題があります。 おそらくもう、あの時代には戻ることは不可能だと思います。生活形態が違い過ぎるし、あの時代に差別されつつ耐えながら社会を支えた層(女性や貧困層)が今の時代に黙って同じように社会を支えられるわけがありません。 アイポッドに携帯電話にゲーム、ネットに自動車にバスルームがあり、いつでもつながりを切って逃げ込める場所がある現代人に、プライバシーを守ることが難しかったあの時代に戻れと言っても、それは無理です。 どんなに携帯やゲームの弊害を声高に叫んでも、少々の修正ルールができればいいところでしょう。 と、またまたネガティブな話になってきました。今回の結論は「あの頃には戻れはしない」です。(良い状態に戻す努力や戻したいという気持ちは必要だと思います。) 次回はもう少し建設的な記事を書きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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