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カーリング漬け

カーリング漬け

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December 4, 2010
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さて、心機一転、ブログをまったり、のんびり続けることにしました。このブログはもともと日記という目的で始めたものでした。当時はブログというものの意味合いをあまり考えずに始めちゃった。このたびはお行儀よくいこうかと思います(笑)。

さて、カーリングおやぢとか欧州の消化器科医とか使い分けてきましたが、ハンドルネームを替えます。スウェーデンの古典小説、Doktor Glasドクトルグラスから拝借して、ドクトル硝子にします。

この古典小説の主人公、ドクトルグラスは世間知らずでナイーブな医師です。美しい人妻に恋心を抱き、様々な葛藤の末、大変な行動を起こしてしまいます。人々の様々な思惑、ずるさ、世間の不条理などに翻弄されるドクトルグラスに自分を重ね合わせてしまいました。

さて、ブログ「ドクトル硝子のLagom Liv (中庸な人生)」の方も引き続き、よろしくお願いします。

当ブログはこれで、本当におしまいです。






Last updated  December 4, 2010 11:00:51 PM
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December 3, 2010
う~~~今年の11月はさぶいしょんぼり。過去40年で最も寒い11月だそうだ。スウェーデンはすっかり雪景色。

今週はマイナス12度から20度が続いた。晴天になると特に寒いのだ。しかし、この気象はこの4年の経験とあまりに違いすぎる。07, 08年は冬に雪など積もらず、時には小雨まで降るほどのプラス気温となることもあり、高緯度にそぐわず雪が無く、がっかりしたものだ。

ところが昨年は冷え込み、Haga湖を始め、ほとんどの湖が氷結し、スケートを楽しめた。それでも、1月に入ってからのことだった。それなのに今年は11月中旬から大雪になり、以降は例年で言えば1月、2月ころの厳しい冷え込みだ。このまま、1月、2月になったらどこまで寒くなるのだろう?マイナス20度くらいまでは経験ずみだが、それ以上は勘弁して欲しいなあ。まぁ、北海道と同じで家の中は暖かいので助かってはいるが。

今週はエドガー先生とエドワード先生主催の大腸内視鏡セミナーがあった。スウェーデン、エストニア、デンマーク、ノルウェーから参加者が見えられた。日本からは北大、慈恵医大の先生方が招かれ、華麗な技を披露されていた。今回の参加者は皆さん優秀な方揃いで、飲み込みも早くてよかった。

それにしてもエドガー先生の大腸内視鏡学に賭ける情熱は凄い!!2mmの腫瘍性病変をバチバチ見つけて、NBIやフルオロまでやり、パターン研究までやってる先生ってヨーロッパ、アメリカでもまずいないだろう。昔、宣教師が遥か日本まで、死をいとわず布教に来たが、エドガー先生は日本の内視鏡学をヨーロッパに伝える宣教師、伝道師とも言える迫力を感じる。

ビックリしたのが、ダンドリュー病院のエドワード先生が準教授でカロリンスカフッジンゲの外科に就任することになった。以前から、いい労働条件と給料を用意するのでカロリンスカからダンドリューに来いとお誘いいただいていた先生なのだが、義理を優先してしまう私は断り続けていた。しかし、お誘いを受けていたら、どうなっていたことだろう?「君が着てくれないから、僕が行くことにした」なんて笑い飛ばしていたけれど大笑い

この4年でずいぶん、周囲の状況がかわったものだ。エドガー先生はErsta病院へ転勤。自分の城を築いて、水を得た魚のごとく元気一杯に復活。エドワード先生はフッジンゲか。

講演も技術指導も概ね好評でよかった、よかった。






Last updated  December 3, 2010 08:39:43 AM
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November 23, 2010
カテゴリ:カテゴリ未分類
らん

免許をとれた報告とお礼をみんなにし、仕事をしてから内視鏡室の医師部屋へ戻ったら立派ならんがおいてあったびっくり

もー涙ちょちょ切れ号泣。ブログをやめたはずだが、記録せずにはおられない。

Vad du har k?mpat!
Ett stort grattis fr?n oss tjejer p? endoskopin.
Grattis!

添えてあったメッセージ。
「なんて頑張ったことでしょう!
大変おめでとうございます。内視鏡室のヤングレディーより。
おめでとう!」

内視鏡室の看護婦さん達からだった。日本でも、いつも内視鏡室の看護婦さん達には恵まれたが、ありがたいことにスウェーデンでも大事にしてくれる。それにしてもtjejerシェイエル(娘達)とは恐れ入りましたウィンク。シェイは通常ティーンネイジャーからせいぜい20代までの女性をさすのだが。みーんな子持ちのお母さん達が自称シェイエナ(娘達)とは(笑)。

うれし泣きって過去に1度だけしたことがある。これで2度目。

白人社会でこういうことがありうるとは予想もしなかった。同じ白人でも様々だなー。



ブログの中止を決めたものの、ありがたいことにリクエストをいただいたので、移転を模索しています。決まり次第、お知らせします。今度は、本当にのんびり、のんびり、やろうと思ってます。






Last updated  April 17, 2012 12:11:55 AM
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November 19, 2010
?gentligen fick jag svensk l?kare legitimation. Jag skulle inte kunna f? det utan hj?lp av mina kollegor, sjuksk?terska, socialstylersen, svensk samh?lle, varma patienter, vackel natur och min familj och gamla kollegor i Hokkaido univ.

Framf?r allt tackar jag Dr Ragnar och Edgar ur djupet av mitt hj?rta. Ni har skrivit rekommendation f?r mig till socialstylersen och alltid st?t mig och min familj.

Sedan tackar jag l?lare i kurs p? svenska. Siv och Ingrid i SFI, Inge i SAS grund, Mona i SASA och Per i SASB. Ni var str?nga men j?tte varma. Det var mycket jobbigt att avsluta SASB inom 2 ar. Jag var d?lig elev, vet jag. Fast?n jag hade haft v?ldiga m?nga laxor och svarat med v?ldiga m?nga fel hade ni alltid korrigerat dem noggrant. Jag vet att det m?ste jobbigt f?r er. Samtidigt l?rde ni ut svenskt samh?lle. Det var mycket inressant och gjorde mig ?lska Sverige. Jag tackar en g?ng till era varma tj?nster.

Nu kan jag ?verleva i Sverige. Det ?r harligt! Jag ?lskar Sverige.

Tack! Tack! Tack!


今日、帰宅してみるとポストにSocialstylersen(スウェーデン厚生省)から書類が届いていた。医師免許だった。昨日、なんとかやっていけるかもと少しの自信を感じた翌日に届くなんてびっくり。気脈が通じているかのようだ(笑)。

まずは、多くのお世話になった方々にお礼を申し上げます。お師匠様、北海道の同僚の皆さま、留学前からスウェーデン語を教えていただいたmasako様、リトバさん。そして、ハラハラしながら支えてくれた父上、母上、とっとと帰ってこいと厳しい励ましをいただいた義父さん、いつも仕送りをしていただいた義母さん、私の愛妻、愛息。私の我がままと思い込みから始まった、この挑戦を支えてくれてありがとうございました。

スウェーデンでは私を招いていただき、Socialstylersenに推薦状を書き、私生活でも多大なサポートを頂いた、エドガー先生、ラグナー準教授にとりわけ感謝申し上げます。さらに、機会を与えていただいたRolf教授、妻を雇用してくれたハンス医局長、突拍子もない私のアイデアを形にしてくれ、研究を後押ししてくれ、その上、論文を添削、共同執筆いただいたピーター準教授、病理のカルロスルビオ教授に感謝いたします。
 
そして、ひどい英語とスウェーデン語を辛抱強く聞いて、支えてくれた看護師さん達、同僚達に感謝します。さらに、言葉のできない私を励ましてくれた多くの暖かいスウェーデン人の患者さん達、言葉を教えてくれた語学学校の教師の皆さん(Siv, Ingid, Inge, Mona, Per)に感謝します。そして、細かくアドバイスを頂いた先達の日本人医師M先生、Y先生に感謝申し上げます。

私の心を毎日癒し、思索、思考させてくれたスウェーデンの偉大な自然に感謝します。

ふりかえれば4年前、一年契約の予定できた留学。運がよいのか悪かったのか、留学直前に職場での組織を巡る非合理制、不誠実な方針転換を中心とした行き詰まりと訴訟機運の高まりの中で警戒しながらの診療に、ほとほと人間不信も高まり、ちょっと疲れ、滅入り、何もしたくなくなっていたころにスウェーデンに渡ることになった。

こういう事もなく、世の中のおかしさに気づくこともなく、普通に仕事のことだけやっておれば、一年で帰っただろう。いまとなっては、このためにお膳立てされていた出来事のように思える。

社会の違い、生活環境の良さ、人々の暖かさ、誠実な政治、社会風土、美しいストックホルムに触れ、全く日本で働く意欲を失ってしまった。給料は研修医扱いで年収200万以下から始まった。でも豊かな教育を受けさせられ、十分な休暇をえられ、医療費不安もない。自分の語学学習も無料。趣味のスポーツも年1万円程度で楽しみ放題。なにより親子で毎日すごせる。送り迎えも一緒。朝ご飯も晩ご飯も一緒。このまま暮らし続けても老後の不安もなし。このような暮らし豊かな社会は大変なショックだった。そして労働者を幸福にしない日本社会の有り様に強い疑問が湧くのも当然だった。親族から、「この年収で働くなんて信じられない!早く帰ってこい!」などとも叱られたが、日本より低収入でも人間らしく心豊に、穏やかに暮らせる生活の方がはるかに幸せを感じてしまった。そういう社会は、みんながおおよそ幸せだから社会がギスギスしていなくて、とても暮らしやすいのだ。お金に換算できない安心感がある。日本しかしらない方には想像のつかない事であろう。

日本の労働者を巡る環境はひどい。医療界でも悪意が渦巻いている。一生懸命に働く、現場に多くの付加産業と余計な産業がぶら下がり、たかられている感じ。医療界だけの問題ではないが、税金が投下される現場にぶら下がる吸血産業が日本は多すぎる。非常に効率の悪い社会なのではないか。仕事していても息苦しかった。

かくして、留学から移住に心が移る。私の我がままを無言で見守っていただいたお師匠様、そして背中を大きく押してくれた関連病院の師匠K先生、その他、間接的にご迷惑をおかけしているであろう、元同僚や後輩達。ただ、ただ感謝申し上げます。

就労証明書をいただきに上がった際にK先生から「いいっしょ、どんどんやってこれば。ダメだったらここに戻って来ればいいんだから。」と罪悪感を感じていた私の背中をドンと押してくれた。専門は違うK先生だが、ふりかえれば人生のターニングポイントではK先生の存在があった。

こうやってふりかえると、私は多くの人々に支えられ、多くの幸運な出会いがあったことに気づく。ありがたいことだ。

そして2年目から、運の良いことに妻も雇ってくれることになった。さすがに年収200万程度ではキチキチだったが、夫婦で働き、400万弱になるとだいぶ余裕が出た。長い休みに家族で旅行をしても、貯金も溜まり、日本への旅費も捻出できるようになった。スウェーデンは労働者の暮らしにおけるコストパフォーマンスが大変良い。

そして2年間、午前だけ働き、午後はスウェーデン語という生活が続く。ここで出会った多くのイラン、イラク人、アフガン人、ソマリアを初めとしたアフリカ人達との出会いは得難い経験だった。彼らの悲劇や不条理な人生に比べたら自分の苦労や悩みなんて「へ」みたいなもんだと思った。彼らは日本を尊敬し、親愛の情を強く抱いていることも初めて知った。それなのに日本政府やマスコミのやっていることは。。。orz 尊敬され続ける日本でいてくれよ。

留学の始まりの祭に社会への疑問と不信が強く芽生えていたので、当然、スウェーデンと日本社会、政治を比べていくことになる。そして政権交替を望んだが、現在のていたらく。有権者を裏切って恥じない人間があんなにたくさんいたとは絶句するしかない。自身の不明を恥じるとともに、日本の暗い未来を憂う。そして思うに、日本政治が良くなるには日本に住んでいる人が頑張らなければ良くならない。それはもはや、遠く離れた当地でどれだけ憂おうと当事者が覚醒しなくてはどうしようも良くならない。

一方でますます、当地での仕事と信頼が増して、やるべき本来の仕事も増えてきた。そしてついに医師免許を取得し、もはや、お客さんではなくなる。一年前から考えていたことだが、医師免許を取得し、区切りがついたらブログをやめようと思っていた。そして、近頃、その時間も取りづらくなりました。本日をもって、ブログ「カーリング漬け」は終了します。

これまで、ご愛読いただき、ご意見や励ましをいただいた多くの方々に御礼申し上げます。オノマさん、パリさん、志村さん、wagon3rdさん、skytemaさん、かつおくん、nomadさん、あんころ仮面さん、ped母さん、kikuさん、vanさん、satoさん、その他ネトウヨさん(笑)、官僚さん大変ありがとうございました(お名前が漏れた方ごめんなさい)。ブログを通じて新しい出会い、意見交換は大変楽しうございました。教えていただいたことも多かった。感謝申し上げます。

皆さまのご多幸をお祈り致します。
医師免許






Last updated  November 27, 2010 07:06:54 AM
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November 18, 2010
ランチレクチャーでスウェーデン語で講義をしてみた。今までは英語だったのだが、初挑戦。

このごろ、英語よりもスウェーデン語の方がでてきやすい。

理解はしてくれたらしく、大好評だった。

内容は日本の消化器病学で積み上げられたことが中心なので、先達に感謝感謝である。

将来もなんとかやって行けそうな気がしてきたぞ。






Last updated  November 18, 2010 07:34:09 AM
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November 8, 2010
カテゴリ:
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

ローマから帰って参りやした。こんなことをかんじました。

しかし、芸術はすばらしいですね。

ミケランジェロ。。。。ダビデ、システィーナ礼拝堂。  永遠の輝き。。






Last updated  November 8, 2010 11:25:09 AM
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October 26, 2010
カテゴリ:
トルコ旅行記もようやく最終回。

8月10日、ケラススホテルを後にする。今回のトルコ旅行もよい旅だったな。トルコは言葉がほとんど通じないけど、人情深い人との出会いが多く、好きな国だ。

ホテルでも20歳いくか、いかぬかのウエイター達がずいぶん、息子と遊んでくれた。

さよならエーゲ海。
チェスメ

近代的なイズミール空港。入場時にX線チェックを通る。
イズミール空港

出国チェックの所に風呂上がりのような白装束の集団を見かけた。なんだろう?
メッカ巡礼

メッカへ巡礼に向う一群だった。世俗的イスラム国家トルコだが、今もしっかり巡礼に向う人達がたくさんいるのだ。
私は最後に世俗的なトルコポップスCDを購入。トルコのダンスミュージックはなかなか乗りが良いのだ。言葉はわからないけどお勧め。

ちなみに、今年のヨーロッパメロディフェスティバルでトルコのマンガというグループが2位に入っている。
maNga We Could Be The Same

はて、先週末、2年ぶりにカーリングの公式試合に出た。ストックホルムのカーリングシーズン開幕戦であるBMW杯に出場。

チームAproppoは予選を辛くも勝ち上がり、決勝へ。
決勝トーナメントではエリートシリーズを戦う若者チームと対戦。スウェーデンのリーグは5部に分かれている。トップが世界を狙うエリートシリーズ。その下が1部。私達は2部に属する。

ところが、そこそこ良い戦いをし、最終8エンドに2点差を追いつく。あと一歩だったのだが、エキストラエンドの先攻ではなかなか勝てる物ではない。負けちゃった。まぁ、たいして練習してない割には上々のスタートだ。

しかし、腕と背中の張りがまだ痛い。。。2年も運動しなかったつけだな。

日曜の決勝敗退後、ロンドンミュージカルMamma Mia ストックホルム公演を見た。

ストックホルムでアバの音楽を聴くのは格別だった。中学時代を彩った数々の音楽が今も色あせることなく輝いていた。学校でチキチータを歌っていた頃、スウェーデンに住むなんて想像だにしなかった。運命ってわからんもんだ。

abbaの音楽は老化を知らない。劇とは別に、思い出にひたり少々感傷的になってしまった。あの劇はそう言うことも狙ってるよね、きっと。主役は結婚する娘ではなく、アバ世代の火遊びをしてしまったお母さんなんだ。最後にアバで育ったおじさん、おばさんダンサーズで盛り上がるのは、Abba世代の心をくすぐり、元気づける効果があるのだな、きっと。

Mamma miaのストーリーは母子家庭で育った娘が、結婚前日に3人の男性が父親の可能性があると知るショッキングな内容。

9歳の息子に、「お前、実はお父さんが3人いたらどうする?」っていじわるな冗談をふってみたら、「お父さんは4人目かもよびっくり」と返されてしまった。ガーン!!

おぬし、なかなかやるな。。。。







Last updated  October 27, 2010 05:00:36 AM
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October 21, 2010
カテゴリ:
前日、カッパドキアまでの往復700kmほどの旅の疲れをいやすべく、終日、チェスメの海を楽しんだ。

ケラススホテルビーチ全景。エーゲ海だす。
チェスメホテルビーチ全景

砂の遠浅で波がほとんど立たない快適なビーチなのだけど、見て楽しい魚はいなかったのが残念。どんな魚でも見てると楽しいのだけど、色のついた魚がいなかったのは残念。
魚

午前中はビーチでのんびり、シュノーケリングをしたり、浮いて日焼けをしたり。

午後から風が吹き始めるので、Alakati湾にある、トルコ最大のウインドサーフィンクラブへ行った。

チェスメ市街。モスクのミナレットが見える。
チェスメ市街

チェスメからドルムシュでAlacatiへ。ビーチへはAlacatiで乗り換えてたどり着いた。ドルムシュはミニバス。安くて助かる。しかし、英語は全く通じない。場所を指さし、行くしかない。行きは子ども無料だったのに、帰りは取られたりもした。不思議だ。まぁ、仕方ない。トルコは不思議があふれた国なのだから。
ドルムシュ

大きなクラブ。たくさんのマイボード、セールが置いてある。シーズンはヨーロッパ中からサーファーが訪れ、長期楽しんでいくようだ。ドイツとオーストリア人が多かったな。息子が習ったインストラクターもドイツ人だった。
アラカティ ウィンドサーフィンクラブアラカティ ウィンドサーフィンクラブ

クラブにはバーやレストラン、ショップも併設されている。まったく、ウインドサーファー天国。ウインドをしない人も無料で利用できて、ビーチで日焼けしながら、眺めていられる。
アラカティ ウィンドサーフィンクラブ

良い風が吹いた。中風。7.0のセイルでプレーニングができた。多くの初心者の間を大きな帆をつけた上級者がプレーニングで疾走していく。うらやましい。。。
アラカティ ウィンドサーフィンクラブ

プレーニング、いいなぁ、かっこいいなぁ。憧れのプレーニング。できる日が来るのだろうか。
アラカティ ウィンドサーフィンクラブ

この日は挑戦にうってつけの程よい風だったので、ストラップに足を通してみた。

まず片方。お、意外にうまくいった。今回は急に風上に曲がってしまうこともない。

調子に乗って、後ろのストラップにも足を通す。

お、両足も成功。あとは、セイルを大きくすればプレーニングできたのだろうか?

その前に、乗り越えねばならないトレーニングがある。私はまだ、ハーネスをうまく使えない。ハーネスワークはまとまった日数を乗らないとマスターは無理だな。

今回は両足ストラップに通して滑走できただけでいいや。チョピッとずつ進歩しているようだ。

ウインドはいいよね。風に任せて、するするって、気づかぬうちに海の上を滑っていくのが気持ちいい。わずらわしいエンジン音もなく、自然の音に囲まれ、ひとり孤独にプカーッと浮いているのも好き。

自然に遊んでもらっている感じが好き。

風に負けて、海に落ちて、沈して、火照ったからだから頭がヒヤッ!となる感じも好き。

ボードにのぼって、放心しながらにぎわう海辺、行き交う船をしばし眺めるのも好き。

そして、力が湧いたら浜へ戻るのだ。

銭函で海に乗ると紅葉で色づいた山が見える季節だな。賑わい過ぎた浜辺で、ひとり浮かんで、眺める紅葉。きれいだったな。

たっぷり風とたわむれた後、ドルムシュで帰る。チェスメのドルムシュバス停からタクシー乗り場まで、歩行者天国のインキラップ通りを歩いていく。
チェシュメ、インキラップ通り

スパイス屋さん。トルコらしいでしょ。
チェシュメのスパイスの店

通りの終わりにゆでとうきび屋さんを発見。びっくり
ホテルからの夕焼け

これは食べていかなくては!私は幼少時に”とうきび坊や”と言われたほど、とうきびに目がない。トルコのとうきびはどんな味がするのだろう?ちょうど腹も減ったし、ぜひ食べようと小銭を妻にせびったら、なんと、「今日、ウインドでどの位お金使ってると思ってるの?もうすぐお夕飯なんだから、がまんしなさい!」

えぇ~!たった3トルコユーロ、約200円だよ?と粘る私に、妻はなんと北海道名物「ジャガポックル」を出してきて、これで我慢しなさい、とのたもうた。

なんで、トルコでジャガポックルなんだよ!怒ってる

俺はトルコのとうきびが食べたいんだ。現地の物を食べるのが旅の楽しみじゃないか。いくらヨーロッパで貴重なジャガポックルだって、目の前のとうきびの価値にかなうはずじゃないか。ジャガポックルは北海道に帰れば食べれるけど、今、この目の前のじいさんのゆでとうきびは、これを逃したら一生食べれないんだよ!甘いミルクとうきびって書いてるじゃないか。ねぇ~食べさせてよ!

と言う、私の言い分は全く相手にされず、とうきびにありつけなかった。ち、財布預けとくんじゃなかった。

まぁ、ただのゆできびにロマンや旅情を感じる私も大げさだが、300TL近く散財した後に3TLをけちる妻もせこい。やはりこれが女性の思考回路なのだろうか。

ま、彼女の経済感覚のおかげで、旅行ができているのだから、あまり文句もいえないが。ぽっ

ホテルのビーチから。ギリシャ領、キオス島に沈む夕日。
キオス島に沈む夕日

キオス島の灯り。どんな人達が暮らしているのだろう。。。
キオス島の灯り










Last updated  October 22, 2010 04:41:34 AM
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October 16, 2010
昨日、Dr.ビヨルクが「君に感謝状がきてたよ。糖尿病で足を切断し、心臓パイパス術の既往があった方で、いくつもポリープがあり、君に世話になった男性の奥さんから。あの患者さん、亡くなったんだ。」と感謝状を手渡してくれた。

スウェーデンでいただいた初めての感謝状。その手紙には患者さんのフレンチホルンを抱えた在りし日の写真が添えてあった。あぁ、あの患者さんだったか。とようやく思い出した。

初めての出会いをブログに記載していた、思いで深い患者さんだった。クリスマス明けの血の池地獄

この方の腸は陥凹型のたちの悪いポリープができやすく、2007年に概ね取られたはずだったのだが、翌年、私のところに回ってきた時に15mmのsm浸潤癌を見つけ、どうしようも取れなくて、手術を勧めた方だった。しかし、ハイリスクということで手術が見送られたと聞いたのが最後だった。

Suneさんは王立楽団のフレンチホルン吹きだったのだ。ホルン部門のリーダーを長年務められていた。

奥さまの手紙には多大な感謝と未だ癒えない心痛がつづられ、胸を打たれた。感激して、全文を翻訳してみたが、もう一度見直し、詳細は自分の胸にのみやきつけることにした。

特に感激したのはSuneさんの闘病姿だった。

お手紙より、抜粋

===============================
彼は求められたことをやろうと頑張りました。いつも、「私はチームの一員としてやらなくてはならない。」と申しておりました。

皆さまにお知りいただきたいのが、彼はいつも全てを受け止め、皆さまと一緒になにがしかの良い方向へ前進できるのだと信じておりました。
================================

Suneさんは人生に与えられた使命という物を感じていたのかもしれない。自分が闘病生活を医療従事者と共に分かち合うことで、死という物を超越し、チームとして、進歩が得られる。自分の死を超えて、なにか良き物が残るとかんじられていたのではないだろうか。

患者さんは手のかかる、社会のやっかいものではない。生き様を通じて、家族に、友人に、医療従事者に医療のことはもとより、生き方や人生を教えてくれ、多くの無形な財産を与えてくれる。その周囲に与えられた経験は必ず活かされ、次の社会の進歩につながり、志は生き続けるのだ。私はそう信じる。

悲しみと戦う奥さまに天国からホルンの音色が届きますように。

私にもスウェーデンでの仕事の自信を与えて下さったSuneさん、ありがとう。ご冥福をお祈りします。 

Suneさんの訃報を伝えた新聞 

Hagaの紅葉Hagaの紅葉






Last updated  October 17, 2010 04:22:29 AM
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October 9, 2010
カテゴリ:
8月7日 トルコ旅行の続き。かねてからの夢だった石灰棚が美しい、パムッカレへ行った。スウェーデンへ帰国そうそうに報告した記事はこちら

今回はその他の写真の続き。
パムッカレはチェシュメから330km離れた内陸に位置する。エフェソスで高速を降りた一般道の農産物直販店で、こんな物を見かけた。

なすの皮の日干し。
トルコのほしナス

トルコ、ヨーロッパのナスはバカに大きい。その中身をくりぬいて、厚い皮を干したもの。トルコ料理はなす料理のバリエーションが多い。これはどうやって使うのだろう?

カッパドキア、白亜の崖を下の駐車場から。ぜーんぶ温泉水に含まれた石灰の付着による自然の芸術。かつてはさぞかし豊富な水量だったのだろう。
カッパドキア

下の入り口付近で。ちなみに崖に上ってはいけません。警備員に笛を吹かれます。
カッパドキア2

温泉プール。カッパドキアの流れる天然温泉をためたプールでお湯につかれる。
カッパドキアプール

ムフフぽっ世界中からきれいな人もたくさん。石灰棚プール

崖を上りきった上からの光景。雄大な景色が広がる。
カッパドキアの崖から

温泉がたまった石灰棚。立ち入り禁止。
温泉棚

坂を登って右手に広い石灰棚がひろがる。残念ながら水が涸れていた。夏場は湯量の減少が深刻で、景観の保存が大変なのだ。前回も触れたが、モーテル、ホテルの林立で温泉源が枯渇しかけた。現在の泉源は日本の援助で新しく追加されたものなのだ。それでも、かつての豊富な湯量を確保できないらしい。雨の降る冬季はもう少し良いらしい。以前はこの棚を歩いたり、湯につかったりできたが、現在は禁止。サンオイルや富栄養化による汚れが深刻化したのだ。
石灰棚

この白亜の崖の上には広大な都市遺跡がひろがる。ヒエラポリス。紀元前2世紀から12世紀まで栄えたそうだ。
ヒエラポリス

倒れた石柱
ヒエラポリス

大きな劇場
ヒエらポリス

残念ながら、遺跡好きの私といえども暑くて暑くて、とても見学はできなかった。エフェソスもそうだったが、泉の湧くところに街ができ、栄えたのだな。しかし、この温泉水を飲んでも腹を下さなかったのだろうか?

夕方4時頃、チェシュメへ出発。
カッパドキアの帰り

19時頃、イズミール手前の高速から見た夕日。夕日の方角がチェシュメ。
帰りの夕日

一日、700km近く運転できるものだなぁ。でも、高速道を歩行者が渡るトルコでの運転はけっこう疲れた。






Last updated  October 9, 2010 11:10:19 PM
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