学習自由区

2011/06/20(月)15:38

追憶 晩年編8-1

Memories(37)

新年を迎えても,私たちの業界では,のんびりと正月気分に浸っているヒマはありません。 自塾の受験生に全力を投入しなければなりませんから。 師匠も私も多忙な日々を送っていましたが,入試に関する情報交換や会の勉強応援掲示板のレス分担の打ち合わせ等,それなりに電話連絡は取り合っていました。 2月に入る頃,ある変化が生じました。 まず,師匠が訴える体調不良が,やや深刻化してきたこと。 食欲不振,腹部の膨満感,加えて,黄疸の症状…。 それまでの「疲労系」に「内臓疾患系」が加わったことは,無知な私にもわかりました。 流石に「ヤバイな」と感じたので,とにかく医者に診てもらうことを強く勧めました。 師匠は,知る人ぞ知る「医者嫌い」。 いつもなら絶対に首を縦に振らないのですが,「そうだなぁ。検査でもしてもらった方がいいかもしれないな」と,珍しく素直に私の提案を受け入れてくれました。 私にできることと言えば,掲示板のレスを可能な限り引き受けること。 師匠が担当していたコから,私でも対応できそうな投稿が寄せられたときは,「オレがレスを書きますから,Jさんは早く帰って身体を休めてください」と,このときばかりは有無を言わせないつもりで提案しました。 やはり,いつもなら「担当のバランスが悪くなるから…」と譲らなかったのですが,あっさりと受け入れてくれました。 「一応,『ウロコ先生が体調不良のため…』って前置きしておきますよ」と言ったら, 「『体調不良』の前に『極度の』を入れてくれ」と。 このとき初めて,「尋常ではない」と悟りました。 数日後,病院での「予備的な検査」の結果をお知らせいただきました。 楽天及びアメーバブログに書かれている,最後の記事と全く同じ内容でした。 医学に関する知識は,せいぜい人並みにしか持ち合わせていなかったので,「ビリルビン濃度 黄疸」でネット検索し大雑把にチェックしましたが,新生児に関する記事が圧倒的に多く,それほど深刻にはとらえられませんでした。 あのとき…。 漢字一文字の致命的な病名を検索ワードに加えていたら…。 不謹慎な言い方ですが,師匠の体調不良の訴えには「慣れっこ」になっていたので,危機感がマヒしていたことは痛恨の極みです。 さらに「入院されれば,絶好の休養となる!」という意識が支配的だったことも否めません。 これを要するに,私は「最悪のケース」を想定していなかったのです。 師匠の塾では,毎年,受験生の通常授業は2月までとなっていました(3月は希望者のみ)。 「今を逃したら,長期休養の機会が失われてしまう」との思いから,「入院して(3月は思い切って塾をお休みにして),回復に専念すべきである」と強く主張しました。 呆れたことに,「そんなこと言ったって,もう春期講習のお知らせを渡し始めちゃったんだ」と師匠。 事,ここに至ってなお,春期講習をやるおつもりだったとは…。 「では,配布しちゃったコには電話で連絡しておきましょう。とにかく,今は養生することが第一です!!」 放っておいたら,ホントに春期講習をやりかねないと感じたので,再度強調しました。 比較的あっさりと「じゃあ,そうするか」と仰ったことが,脳裏に焼き付いています。 その時点で,既定の事実だったのかもしれませんし,誰かに「後押し」して欲しかったのかもしれません。 師匠から最後のお電話をいただいたのは,2月28日のことでした。

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