追憶 晩年編8-2(最終回)
いつものように穏やかな口調で,「検査」入院の経緯を説明されました。特に変わった様子もなかったため,師匠とお話した最後の機会だったにもかかわらず,一部始終は記憶していません。ただ,「『検査』入院」であることを殊のほか強調されていました。また,話の流れの中で「3月に塾を閉じて…」と仰った後,即座に「『3月中は』ってことだからね。ずっとってわけじゃない」と慌てて言い直されたことを鮮明に覚えています。私もそのように解釈していましたから,敢えて念を押す必要などなかったのに…。想像の域を出ませんが,すでに覚悟を決めておられたのだと思います。時期が時期だけに,余計な心配をかけたくないという配慮だったのかと。今のところ,師匠から「告知」された方を,私は知りません。逆に,遠まわしであっても「危惧」を表明していれば,「実は…」と心情を吐露していただけたかもしれません。それまでにも,ご自分からは決して言い出さず,こちらから水を向けると悩みを打ち明けてくれるということは間々ありましたから。結果として,私は最後まで「何も知らずに」接してしまいました。これでよかったのかどうか,永遠に判断はつかないでしょう。「退院したら,まっ先に知らせてくださいね」私の希望が叶うことはありませんでした。「検査」入院されたのは3月2日。「一度お見舞いに伺わなければ…」と思いつつ,日常の業務に忙殺されていました。公立高校の後期選抜が3月9日。ウチの塾では,多少無理をするコ,危なっかしいコを,ギリギリまでサポートします。これが終わると,自己採点結果の検討。合格発表までヤキモキが続きます。その間,師匠からは音沙汰なし。「最良のケース」だと,検査入院後の精密検査如何で,長期入院は避けられたかもしれなかったのに…。自己採点結果の検討が終わって一段落。春期講習前にはお見舞いに参上するため,師匠の自宅にメールしようと思っていた矢先…。思いがけなく,奥様からお電話をいただきました。その後の経緯は,3月16日以降の記事にある通りです。…師匠が亡くなられてから,100日が経過しようとしています。未だにその死を現実として受け入れられない自分がいます。流石に,最近では「師匠に電話しなければ…」と受話器を取ることはなくなりましたが(苦笑)。時が経てばいずれ実感できるのではないかと思っていましたが,どうやら間違っていたのかもしれません。これほどまでに「師匠の死」を受容できないということは,事実に反するからなのではないか?師匠はどこかで生きておられる。それも,「私たちの心の中で」などという陳腐なものではなく,どこか「別の世界」で。卓越した指導力を見込まれてスカウトされ,「その世界」へ行ってしまわれたのではないか?そう思えてならないのです。もし声が届くのでしたら,最後に一言。「そちらでも,無理なさいませんように」 了