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第5回憲法学特殊講義(表現の自由と人権)

第5回~第7回の3回に分けて、ゼミレポート「週刊文春出版差止め事件を考える~表現の自由と人権侵害~」を掲載します。
2日(実質作成時間は7時間程度)という短期間で仕上げたため、内容が相当薄いですがご笑覧ください。

1、はじめに
 このレポートは、昨年起きた週刊文春出版差止め事件(詳細は後述)に関して、過去の事例、判例を元にして表現の自由と人権侵害の問題を考えようとするものである。
 以下、2・本件事案、3・プライバシー権とは何か、4・表現の自由と事前差止めと基本的な事柄を押さえた上で、5・判例を見る、へと進めていこうと思う。

2、本件事案
 元外務大臣田中真紀子氏の娘である真奈子氏の離婚を報じた週刊誌「週刊文春」(2004年3月25日号)が発売されることになった。これに対し田中真紀子氏サイドは、プライバシー侵害を理由とし、週刊誌中の当該記事の切除または抹消のない限りの発売や配布の禁止を求めた仮処分命令を東京地裁に申し立てた。東京地裁は同申し立てを認めたが、保全抗告審において東京高裁はその決定を取り消し、申し立ては却下された。

3、プライバシー権とは何か
(1)それでは、本件で問題になった「プライバシー権」とは何か。「プライバシー権」という権利が憲法条文にないことから問題になる。
 そもそも日本国憲法は、14条以下において詳細な人権規定を置いているが、それらの人権規定は歴史的に国家から侵害されることの多かった重要な権利、自由を列挙したものであって人権の全てではない。しかし社会の変革に伴って生まれた、「自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由」として保護に値すると考えられる法的利益を、何らかの形で保障する必要が生じてきた。それが「新しい人権」である。そしてその根拠は、13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」に見出された。幸福追求権は個人尊重の原理に基づくものであり、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的で包括的な権利として、またこれに基礎付けられる個々の権利は裁判上の救済を受けることができる具体的権利として認知されるようになった。
 さてプライバシー権は、19世紀末のアメリカにおいてイエロージャーナリズムによる個人の私生活の暴露に対して保護を与えるために考え出されたもので、1980年のウォーレンとブランダイスの論文『The Right to Privacy』に初めて登場したとされる。彼らはプライバシーの権利を「一人でほっておいてもらう権利」「そっとしておいてもらう権利」(right to be alone)と主張し提唱した。しかしこの定義ではおよそあらゆる個人的自由が含まれることになりかねず、その内容が多義的で不明確であるとの批判が強かった。
その後、アメリカで州法又は判例法で広く承認されていく中で、1960年、不法行為法学者のプロッサーがプライバシー侵害の概念を4類型に区分し定義付けた。
ア)私生活に侵入すること
イ)他人に知られたくない私事を公開すること
ウ)事実の公開により他人に自己の真の姿と異なる誤った印象を与えること
エ)氏名や肖像を他人が利得のために流用すること
上記の特にア・イの概念が、我が国に「プライバシー権」という概念として流入したのである。
(2)このプライバシー権が我が国の判例において初めて登場したのが「宴のあと」事件(東京地裁昭和39年9月28日判決)である。有田八郎氏の都知事選立候補から落選の経緯、また夫婦の確執をモデルに三島由紀夫氏が描いた小説「宴のあと」が、あたかも有田氏の私生活を覗き見し、もしくは「覗き見したかのような」描写であったことから、有田氏らがそれら描写は耐え難い苦痛であり、プライバシー権の侵害であるとして起こした訴訟である。
 この事件で東京地裁は、プライバシー侵害を認め、以下のように判示した。
・まず、プライバシーの権利性については、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもなく、たとえば軽犯罪法が他人の住居を正当な理由がないのにひそかに覗き見る行為を犯罪としていること、民法235条1項が相隣地の観望について一定の規制を設けているのは他人の私生活をみだりに覗き見することを禁じている趣旨からであること、刑法133条が信書開披罪を定めていることは、「プライバシーの保護に資する」価値があるからであるとして、それを認める。
・次に、どのような場合にプライバシー権が成立するかについては、公開された内容が、
ア)私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られる恐れのあることがらであるか
イ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められるか
ウ)一般の人々に未だ知られていないことがらであるか
を検討し、これらに該当する場合はプライバシー権の侵害が発生していると解すべきである。
(3)つまりこれらによると、プライバシー権とは「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」であって、「私生活上の事実あるいはそう受け取られる可能性がある事実で、一般普通人ならば公開してほしくないと思うはずの他人が知らない事柄」が公開された場合、プライバシー権が侵害されたことになる。

4、表現の自由と事前差し止め
(1)我が国の憲法はその21条において表現の自由を認めている。では、表現物が他者の人権と衝突した場合、どのように解決を図るのか。
 先の「宴のあと」事件は、モデルにされた人物が作家、出版社を相手取って損害賠償請求を求めた。だがプライバシーは、一度表現物として世に出されてしまうと、一般人の周知の事実となり、その回復は困難なものとなり、金銭での解決では必ずしも収まらない場合が発生しかねない。
 ここで出てくるのが、「事前差止め」という考え方である。しかし事前差止めは、一歩誤ると表現の事前抑制となり、表現の自由に対する大きな侵害となる。
 それゆえ、大逆事件の大杉栄氏と伊藤野枝氏らにかかわるいわゆる日蔭茶屋事件を描いた映画「エロス+虐殺」事件(東京高裁昭和45年4月13日決定)では、「本件映画の中心的素材である大杉栄らの恋愛的葛藤や日陰茶屋事件は一般的著書などに記載されており世間も周知であること」「私事を暴露し事実を誇張歪曲することで大衆の好奇心に媚びようといった低劣不当な映画作成の意思は認められないこと」「本件映画の公開上映によって当然に名誉やプライバシー等人格的利益が侵害されたとは断じ得ず、さしせまった、回復不可能な重大な損害が生じているとは言えないこと」から、特に高度な違法性を伴うプライバシー権侵害の場合以外は差止命令が認められないと判断し、上映禁止の仮処分を認めなかった。また、以後、差止請求はほとんど認められることはなかった。
(2)しかし、昭和56年の「北方ジャーナル事件」(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決)で、司法は表現物の事前差止めを認めることになる。
 これは、元旭川市長が以前落選した北海道知事選に再度立候補した際に北方ジャーナルが同氏のことを取り上げた記事が名誉毀損であるとして、当該記事の掲載された雑誌の執行官保管、印刷、製本及び販売又は頒布の禁止などを求めて申請した仮処分にまつまる訴訟である。札幌地裁による仮処分決定を不服とした北方ジャーナル側が、この決定、執行によって損害を受けたとして元市長及び国を相手に損害賠償を請求、一審二審はこの主張を退けたため、この仮処分決定が憲法21条の禁止する検閲及び事前抑制にあたり表現の自由を侵害するという理由で上告した。
 この事件で最高裁は、上告を棄却した上で以下のとおり判示した。
・まず仮処分による事前差止めは検閲には当たらないとし、表現行為に対する事前抑制は厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容される。また、事前抑制が公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体からそれが公共の利害に関する事項であるということができ、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることを考えると、事前差止めは原則として許されないものと言える。ただ、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがあるときは例外的に許容される。
・加えて手続き面に関しては、仮処分手続きのように口頭弁論や審尋を必要とせず立証も疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保する上で手続的保障として不十分であり、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきである。
(3)つまりこれらによると、事前抑制禁止の例外を認めるための要件は次のとおりである。
ア)実体的要件
(a)公共の利害に関する事項についての表現行為であり(公益性)、
(b)-1表現内容が真実でなく(真実性)又は
-2それが専ら公益を図る目的のものでないこと(公益目的)が明白であって、かつ
(c)被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがある(保全の必要性)
場合。
イ)手続的要件
口頭弁論又は表現者の審尋の手続きを踏むことを原則とする。
(なおこの手続的要件に関しては諸説あり、今回のような保全処分手続きでも手続保証が備わっていると解する有力な学説も存在する)

次回に続く


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