禅の風 第3号 泥酔の俳聖 2
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖文・大山澄太 版画・秋山巌先日の57頁に引き続き、58頁をご紹介します。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ 山頭火この句碑が、今、伊予の大きい青石に刻まれている。生誕百年を記念して、山頭火が酒造業に失敗破産し、熊本へ逃げて行ったそのあとの酒造を、現在まで受けつづけている防府市大道の大林重義さんが、自宅の入口に建立することにし、十月十一日の山頭火忌当日、除幕することになっている。「澄太君、のんた。日向の山村の秋だったよ、大きな草葺きの農家の軒下で、般若心経をとなえていた。お経が半分あまりすんだ頃、背の高い、白髪のばあさんが、大きな壺をかかえて出て来た。お経が終ると、“あんたこれいけるか?” と来た。芋焼酎がぷんぷん匂うてくるではないか、うんと堪えてこの鉄鉢を差出すと、ばあさんはにこにこ笑いながら、五合ばかり注いでくれた。わしはのんた、四、五日恵まれていなかったので、そこに立ったまま、鉢を傾けて、二息でぐいぐいやった。 そこまでは覚えちょるが、・・・・・気がついてみると、稲を刈ったあとの田の畝に寝ころんでいた、まだ新しい筵の下でのんた。そしてこうろぎがしきりに鳴いているではないか、しかも陽が高く昇っているではないか。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよと一句浮かんで来た。そこへあのばあさんが杖をついてやって来た。昨夜は、うちへ連れて来て寝て貰おうかとも思ったが、あんまりよく眠りこんでござるので、筵だけをかけておきましたぞと言うてくれた、あの芋焼酎の味は忘れられないよ」と言った言葉がしきりに思い出されるこの頃である。私は現在その遺鉢を保存しているのであるが、約七合弱は入る。鉢の底辺には大小のでこぼこがついている。これは凍てた掌から、石の上に落とした時の古傷なのである。私はある日、鉢を包む黄色の布にこんなことを書きつけた。 銘米、銭をいただき酒を注がれ時には霰に打たれすべてを法雨とした山頭火の鉢よ 澄太 印山口県小郡の其中庵に笠をぬぎ杖をとどめてからの「其中日記」を開いてみると「酒に関する覚書」なるものが、あちこちに出てくる。「酒は目的意識的に飲んではならない。酔は自然発生的でなければならない。酔うことは飲むことの結果であるが、いいかえれば、飲むことは酔うことの原因であるが、酔うことが、飲むことの目的であってはならない。何物をも酒に代えて悔いることのない人が酒徒である。求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙とという。悠然として山を観る、悠然として酒を味わう。悠然として生死を明らめるのである」覚え書きと言うよりも、私は堂々たる信条のように思う。山頭火はこの信条によると、酒徒であった。酒仙にまでたどりつきたい願いはあったようであるが、それは道遠い彼であったと私は思う。若し彼が、悠然として生死を明らめる心境に辿りついていたならば、金剛経の『応に住するところを無くして、面もその心を生ずべし』と悟った筈だ。「澄太君、君のように一合か一合半をちびりちびりのんで、ほろほろ楽しめるとよいがのんた。わしはその ほろほろ が ぽろぽろ となり ぽろぽろ が ごろごろ となり ごろごろ が どろどろ となり時には警察の留置場で、ぐうぐう大いびきをかく山頭火だよ」と言ったことも忘れがたい。米画像の木版画は「秋の雲」です。つづきはまた。