海底で発見された戦艦「扶桑 」「山城」などのスリガオ海峡合戦図
秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。2015年、戦艦「武蔵」を発見した、資産家のポール・アレン氏率いる海底調査チームが、フィリピン沖スリガオ海峡海底にて、戦艦「扶桑」「山城」、駆逐艦「満潮」「朝雲」「山雲」を発見したそうです。画像は、調査チーム【RV Petrel】のフェイスブックページ、「IJN Fuso」のアルバムからです。【太平洋戰争沈没艦船遺體調査大鑑】より、スリガオ海峡合戦図をご紹介しておきます。この本は、元海軍大佐、戦艦「武蔵」航海長 池田貞枝氏が、戦後三十年にわたり、大本営、参謀本部、前線部隊の記録はもとより、米軍の戦闘記録に基づく資料を照合し、四千隻におよぶ沈没艦船の詳細な沈没位置、日時、戦没者数等を明らかにした著作です。巻頭の「太平洋戦争沈没主要艦船写真集」より戦艦「扶桑」扶桑(戦艦)煙突は一本で、前檣楼は戦艦中最も高く横から見ると下部は煙突との間にカタバルトを置いたため前方に深く削り取られた形であった。ミッドウェイ海戦、マリアナ沖海戦に参加し、のち19年10月25日スリガオ海峡海戦に「山城」等と参加、駆逐艦魚雷2、戦艦の十字砲火による命中弾数発のため爆発を起し沈没した。スリガオ海峡合戦図(19年10月25日)沈没箇所が×印で記されています。西村彰治部隊突入図 昭和19年10月25日(お名前の字が違いますが、海軍中将 西村祥治です)スリガオ海峡夜戦図 昭和19年10月25日◆艦名・艦種・屯数・沈没年月日・沈没原因・沈没場所・戦死傷者数、記事 「扶桑」戦艦 34.700屯 19.10.25 被雷・砲火 レイテ湾 沈没時約1,350名「山城」戦艦 34.700屯 19.10.25 被雷・砲火 レイテ湾 沈没時約1,350名「満潮」駆逐艦 1.960屯 19.10.25 魚雷艇・砲火レイテ湾 沈没時約 230名「朝雲」駆逐艦 1.960屯 19.10.25 砲火 レイテ湾 沈没時約 230名「山雲」駆逐艦 1.960屯 19.10.25 魚雷艇・砲火レイテ湾 沈没時約 230名以上、関連部分を掲載させていただきました。作戦に関しての詳細は、レイテ沖海戦の<10月25日未明 スリガオ海峡海戦>などをご参考にして下さい。今回発見された艦隊を指揮した西村中将は、秋田県のご出身です。秋田高等学校の同窓会HPに、西村祥治氏を紹介している記事がありますが、とてもわかりやすい良記事ですので、一読おすすめします。西村祥治 日本海軍、最後の勇将戦艦「武蔵」発見の時には、海軍落下傘部隊のブログに記事を書きました。⇒シブヤン海に沈没した戦艦「武蔵」発見のニュースまた、館山海軍砲術学校を卒業したばかりの方も、「扶桑」「山城」に赴任していました。⇒館山海軍砲術学校跡今回も、【太平洋戰争沈没艦船遺體調査大鑑】著者、元海軍大佐、戦艦「武蔵」航海長 池田貞枝氏の序文を抜粋させていただきます。 『・・・若い世代の人々が戦没した父や兄の終えんの地をこの書によって知得し、敬先謝恩の感慨にひとときでもひたり得たとするならば、本書刊行の大半の意義は達したことになる。・・・』船艦が発見されたという事は、艦と運命を共にした戦没者の御霊もそこにあるということです。戦没者一人一人に両親、家族があったという事に、想いをはせたいものです。