テーマ:戦争遺跡(17)
カテゴリ:海軍落下傘部隊
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 今日は、「館山海軍砲術学校」跡をご紹介します。 説明文 昭和18年10月、この館山海軍砲術学校へ入学した海軍第三期予備学生は1,440名であった。 昭和18年10月 8日入校式が行われ海軍第三期兵科予備学生を拝命、直ちに日夜の猛訓練が開始された。 翌昭和19年1月末基礎教程を修了、引続き術科教程に入り、陸戦、対空、化兵の各班に分科し、夫々第一戦指揮官としての専門教育を受けた。 同三月末、あるいは五月末術科教程を修了。 この隊列(写真)の中にも多数の戦没者がいる。 戦没者は比島、硫黄島を第一として各地域の部隊および艦船における戦没者は次のとおりである。 大和 9、武蔵 6、山城 6、長門 5、扶桑 3、那智 3、大鷹・大鳳・熊野・羽黒・葛城 各1 グアム、テニアン、パラオ、比島方面、インド洋方面、ビルマ、ビアク、ボルネオ、セレベス、ラポール、南漢島、マレー方面、スマトラ、舟山島、東シナ海、モルッカ諸島、マリアナ群島、黄海、内南洋、アンポン、ニューギニア、ペリリュー島、サイパン方面、硫黄島、東シナ海方面、台湾方面、沖縄方面、南西諸島方面、千島、内地近辺、合計229名。 この外基礎教程後他術科へ転出後戦死者 若干名。法務死 若干名。 ここに館砲校全景を伝える希少な写真を展示し、「鬼の館砲」といわれた猛訓練を受け、勇敢敢闘の末倒れた万余といわれる将兵・同期生たちの護国の想念を偲び、深き感謝と鎮魂の想いを捧げる次第である。 上記 ↑ の説明文は、今回とても参考になっているサイト「殉國の碑」 さんより、転載許可をいただき転載しております。 相馬市のお隣、原町出身の特攻の方がいることも、教えて下さいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.25 01:42:09
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