秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の「まみだより」

2010/02/22(月)01:44

海軍福見部隊写真帳 追記

海軍落下傘部隊(22)

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。「大東亜戦争記念 海軍福見部隊写真帖」について、改めて父に聞きました。写真は、昭和16年11月の終わりに、台湾の陸軍嘉義航空基地の兵舎前で撮ったそうです。もしかしたら、12月に入っていたかも知れません。秋山巌20才でした。山辺雅男著<海軍落下傘部隊>には「昭和16年11月26日に、落下傘部隊を乗せた豪華船新田丸が東京湾を出港し、12月1日、台湾高雄港に入港した。・・・陸路、嘉義市郊外にある陸軍嘉義航空基地に進出した。ここには、陸軍部隊は一兵もなく、ガラ空きであった。」とあります。<落下傘奇襲部隊>の中の、横三特の吉田精一さんの記録には、「11月中旬館山航空隊沖に一隻の商船が入港して来た。・・・各中隊は明日あの船に乗船せよとの命令がきた。我々は命令のまま其の船に乗った。・・・その日の夕方館山沖を出港し、船は一路南下しているようだ。11月の末であったと思う。船は台湾の高雄港へ入港した。そして上陸、台湾の嘉義にある陸軍の飛行場へと移動した。・・・そして12月8日太平洋戦争がはじまったのです。我々は、嘉義へきて初めて我々の敵が米国英国オランダである事を知った。 ・・・1月になって我々は嘉義航空隊を出発し、ダバオ、タラカン島そしてケンダリーと移動する。このケンダリーから我々は戦闘に参加したのです。」 とあります。父は「嘉義航空基地は山の中でもう寒かったんだよ」と言っていました。改めて、集合写真をみると、みんなもの凄い張り詰めた顔をしています。館山を出て、まもなくの写真なんですね。巻末に、戦死者の顔写真(集合写真をのばしたものだと思います)と、ご住所が載っているのですが、その中に、相馬郡の方がお一人いらっしゃいました。今の南相馬市です。本当に、全国から精鋭が集められたのですね。写真帖の発行は、昭和18年4月  非売品 編集者 海軍福見部隊記念写真帖編集委員 撮影者 小川正義 印刷者 帝国海軍社 

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る