テーマ:版画家「秋山巌」(227)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖 文・大山澄太 版画・秋山巌 先日の57頁に引き続き、58頁をご紹介します。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ 山頭火 この句碑が、今、伊予の大きい青石に刻まれている。生誕百年を記念して、山頭火が酒造業に失敗破産し、熊本へ逃げて行ったそのあとの酒造を、現在まで受けつづけている防府市大道の大林重義さんが、自宅の入口に建立することにし、十月十一日の山頭火忌当日、除幕することになっている。 「澄太君、のんた。日向の山村の秋だったよ、大きな草葺きの農家の軒下で、般若心経をとなえていた。お経が半分あまりすんだ頃、背の高い、白髪のばあさんが、大きな壺をかかえて出て来た。お経が終ると、“あんたこれいけるか?” と来た。芋焼酎がぷんぷん匂うてくるではないか、うんと堪えてこの鉄鉢を差出すと、ばあさんはにこにこ笑いながら、五合ばかり注いでくれた。わしはのんた、四、五日恵まれていなかったので、そこに立ったまま、鉢を傾けて、二息でぐいぐいやった。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ と一句浮かんで来た。そこへあのばあさんが杖をついてやって来た。昨夜は、うちへ連れて来て寝て貰おうかとも思ったが、あんまりよく眠りこんでござるので、筵だけをかけておきましたぞと言うてくれた、あの芋焼酎の味は忘れられないよ」 と言った言葉がしきりに思い出されるこの頃である。私は現在その遺鉢を保存しているのであるが、約七合弱は入る。鉢の底辺には大小のでこぼこがついている。これは凍てた掌から、石の上に落とした時の古傷なのである。私はある日、鉢を包む黄色の布にこんなことを書きつけた。 銘 米、銭をいただき 山口県小郡の其中庵に笠をぬぎ杖をとどめてからの「其中日記」を開いてみると「酒に関する覚書」なるものが、あちこちに出てくる。 「酒は目的意識的に飲んではならない。 覚え書きと言うよりも、私は堂々たる信条のように思う。山頭火はこの信条によると、酒徒であった。酒仙にまでたどりつきたい願いはあったようであるが、それは道遠い彼であったと私は思う。若し彼が、悠然として生死を明らめる心境に辿りついていたならば、金剛経の『応に住するところを無くして、面もその心を生ずべし』と悟った筈だ。 「澄太君、君のように一合か一合半をちびりちびりのんで、ほろほろ楽しめるとよいがのんた。わしはその ほろほろ が ぽろぽろ となり 時には警察の留置場で、ぐうぐう大いびきをかく山頭火だよ」 と言ったことも忘れがたい。
つづきはまた。
最終更新日
2012.09.16 20:37:40
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