カテゴリ:海軍落下傘部隊
秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。
秋山巌が所属した、旧海軍落下傘部隊。私が慰霊祭に参加し、語り継ぐためにお目にかかった方々の訃報が届いていますので、こちらに記しておきたいと思います。 昨年、奄美にお訪ねし、貴重なお話しをうかがった、有村さんの喪中葉書が届きました。 有村栄男さん、2016年(平成28年)7月13日、96歳で永眠されました。 有村さんは、横須賀鎮守府第三特別陸戦隊山邊隊高崎隊でした。 有村さんをご紹介してくれた、横浜の實井さんの事も気になっていたので、今日お電話しましたら、 10/20に入院し、11/6に酸素吸入、11/7 1時27分に亡くなったと、奥様にうかがいました。 實井来三郎さん、大変お世話になりました。生前葬のビデオはとても感動しました。 實井さんの奥様から、真柄さんも今年亡くなったとお聞きしました。 戦友会の名簿で確認しましたところ、ひたちなか市の真柄辰夫さんとわかりました。 皆様、それぞれ波乱の人生だったと思います。激戦地より生還し、戦友の為に慰霊碑、モニュメントの建立までなされ、手記集も残して下さいました。 心より、ご冥福をお祈り致します。 海軍落下傘部隊を語り継ぐ会 町田珠実 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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館山海軍砲術学校を検索していて、貴ブログを見つけました。私は今、戦死された山口政夫さんが所持していたハガキを解読しています。榎本加藤治さん書いものです。
町田珠実さんに相談したいことがありまして、まずは、以下のURLの記事をお読み頂きたく存じます。 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/57535134.html (2016.12.24 03:52:25)
小嶋日向守さん
記事、コメント欄を拝見しました。 館砲に関しては、私もお世話になっている「安房文化遺産フォーラム」の愛沢先生か、事務局の池田さんにお訪ねするのが一番ですね。ちなみに、お二方のお名前は、海軍落下傘部隊の名簿にはございませんでした。また何かございましたら、info☆iwao-akiyama.comの☆を@に変えて、メールにてご連絡下さい。 町田珠実 (2016.12.27 10:10:00)
ギャラリーMamiさん
ご返答ありがとうございます。 貴ブログにコメントを投稿したあと、2016.05.27の海軍落下傘部隊慰霊祭2016という記事を拝見し、まさに相談したかった「館砲」に詳しい方の存在を知り、「安房文化遺産フォーラム」の池田様宛にメールを出したところです。まだ返信はありませんが、何かわかれば、町田さまに連絡します。 他に相談というのは、二ドル札掠奪云々というおよそ無稽な話を喧伝するハガキの持ち主の考える「すばらしいこと」が、山口・榎本両氏の遺族に届ける意味があるのかという点です。このことに関しては翻訳記事にコメントがありますが、私には判りません。 www.all-nationz.com/archives/1063053047.html それはさておくとして、町田珠実さまは当時の用語にもお詳しそうなので、文字の判読に関しても御意見を戴ければと思います。 (2016.12.27 16:03:08)
「山口・榎本両氏の遺族」を
「山口政夫氏の遺族」に訂正します。 (2016.12.27 16:11:40)
小嶋日向守さん
ここまで解読出来ているのは素晴らしいです。そして、大事なのはこのハガキを山口政夫さんが大切に持っていたという事実ではないかと思います。遺族(家族)が知りたいのは、何処で、どんな状況で、だと思うのですが、軍人勅諭の通り 「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽し」と覚悟されたのでしょう。御霊に感謝いたします。 私も、海軍落下傘部隊関係もあり、時間が取れませんので、あまりお役に立たないと思いますが、何かありましたら、またコメント致します。 (2016.12.28 13:12:17) |
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