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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の「まみだより」

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山頭火 みちのくまで

2009.10.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

山頭火のみちのくの旅もいよいよ終わりです。

~山頭火の日記~(昭和11年)

六月廿九日 曇り。
沈静、いよいよ帰ることにする、どこへ。
とにかく小郡まで、そこにはさびしいけれどやすらかな寝床がある・・・・・
七時、さよなら、ありがたう、ごきげんよう、青衣子よ、坊ちゃんよ。
十時の汽車で逆戻り、二時、鳴子下車、多賀の湯といふ湯宿に泊まる、質実なのが何よりうれしい。
いつでもどこでも、帰家穏座の心でありたい。
どしゃぶりになって旅愁しきり。

六月三十日 雨ー曇。
眼ざめるとすぐ熱い熱い湯の中へ、それから酒、酒、そして女、女だった。
普通の湯治客には何でもないほどの酒と女とが私を痛ましいものにする。

七月一日 腫れ。
心身頽廃。
四時出立、酒田泊。
アルコールがなければ生きてゐられないのだ、むりにアルコールなしになれば狂ひさうになるのだ。・・・・・

七月二日 曇。
天地暗く私も暗い。
十時の汽車で南へ南へ。ーーーー
雨、風、時化日和となった。
夜一時福井着、駅で夜の明けるのを待つ。
明けてから歩いて、永平寺へ、途中引返して市中彷徨。

~みちのくの日記ここまで~

山頭火が鳴子で泊まったのは「東多賀の湯」という所です。

     「湯上りのつつじ真っ赤に咲いて」
    
      「あてもない懐草こんなにたまり」

と詠んでいるそうです。私も一度訪ねてみたい宿です。

鳴子温泉 東多賀の湯   女将のブログ

山頭火が其中庵に帰着したのは、7月22日、前年末に其中庵を出立してから、約7ヶ月半の長旅でした。

※秋山先生は9日に来相予定ですが、台風の影響がありそうですね。皆様も台風被害に備えてご注意下さい。

◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆

平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時

会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美

秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!

 

 







最終更新日  2009.10.08 03:24:08
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2009.10.06

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

昭和11年、山頭火のみちのく日記 続きです。

~山頭火の日記~(昭和11年)

六月廿七日 晴。
ーーー妙な夢を見た。
青衣子が方々を案内して下さる。しづかな日だった。
政岡の墓、伽羅樹一もと。
躑躅ヶ岡、枝垂桜の老木並木。
乳房の木。萩。
宮城野をよこぎる。蝶々。
Sさんから芳醇一壜頂戴。
夕方、K君わざわざ来訪。
熱い湯からあがってうまい酒をよばれる。
主人心づくしの鯉の手料理!
手紙二つ書く、ーーー澄太君へ、緑平老へ、ーーーこれは悲しい手紙だ、私の全心全身をぶちまけた手紙だ(或いは遺書といってもよからう!)、懺悔告白だ。
良寛遺墨を鑑賞する、羨ましい、そして達しがたい境地の芸術である。
多々楼君、都影君、江畔老、緑平老、・・・・・感謝々々。

~日記ここまで~

澄太君は言うまでもありませんが、大山澄太。
緑平老は、木村緑平。内科医で、「層雲」同人。山頭火を物心両面で支えた人。

緑平メモによると、六月二十六日、抱壷居山頭火宛に、七円電送しているとの事。

では、この時山頭火が、木村緑平に送った手紙をご紹介しておきましょう。

~山頭火 書簡集より~

六月三十日  宮城県鳴子にて(封書)木村緑平へ

これと同じ手紙を澄太兄へも送りました、おたよりを下さいますならば、福井郵便局留め置き。

緑平兄

かういふ手紙は自他共に不快を与へられるだけでありませう。しかし、私は書かねばなりません、そしてあなたに読んでいたゞかなければなりません、此手紙は私の懺悔告白であります、私はあなたを欺いてゐたとは思ひませんけれど、或いは買ひいかぶられてゐるのではあるまいかと思ひます、それで私は私自身が観た私を暴露して、そして少しでも心身安らかになりたいのです、私の中には二つの私が生きてをります、「或る時は澄み、或る時は濁る」と書いたのはそのためです、そして澄んだ時には真実生一本の生活を志して句も出来ますが、濁った時にはすっかり虚無的になり自棄的になり、道徳的麻痺症とでもいふやうな状態に陥ります。

私は長年此矛盾に苦しんで来ました。そしてその原因は無論私が変質者であるためでありますが、それを助長するものはアルコールであると信じます、といって私とアルコールとはとうてい絶縁することが出来ません、絶縁すれば私はもっといけなくなるのです、此矛盾の苦悶に堪へかねて、幾度か自殺を企てました、昨年の卒倒も実は自殺未遂だったのです。此旅行だって死場所を見つけるためでした。

私は今また引返しつゝあります、そしてこれだけのことを申上げておかないと死んでも死にきれません、ましてお目にかゝることは出来ません、これだけしか書けません、私の衷情を御推読下さい。ーーー

~手紙ここまで~

これだけしか書けません・・・・・私からみると、すごく書いていると思うんですけが。同じ手紙を澄太さんにも書いているのですから、本当にすごいエネルギーです。

さて、みちのくの旅も、鳴子温泉を残すのみとなりました。では。

◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆

平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時

会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美

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最終更新日  2009.10.07 02:59:51
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2009.10.05

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

仙台の海藤抱壷は、昭和15年9月18日に亡くなっています。その後1ヶ月もしないうちに、山頭火も亡くなるのですが、抱壷の訃報を受け取った時の山頭火の日記をご紹介しておきます。

昭和十五年
九月二十二日  秋晴、何ともいへない心よさ、午後は曇る。
未明起床、しゆくぜんとして省悟する所があった。
郵便が来てーーー抱壷の訃を通知されてーーー驚いたことは驚いたけれどこれは予期しないではない悲報であった、あゝ抱壷君、君は水仙のやうな人であった、友としては余りに若く遠く隔ててはゐたが、いつぞや君を訪ねて仙台へいったときのさまざまの思いでは尽きないーーーこみあげる悲しさ淋しさが一句また一句、水のあふれるやうに句となった、ーーー抱壷君、君はよく昨日まで生きてくれた、闘病十数年、その苦痛、その忍耐、そしてその精進、とてもとても私のやうな凡夫どもの出来ることではない、私は改めて君に向かって頭を下げる、ーーーあゝ逝く者は逝く、抱壷もついに逝ってしまった、あゝーーー私は一人静かに焼香し読経した。

・・・抱壷に関してここまで・・・

それでは、昭和11年のみちのく日記に戻ります。

~山頭火の日記~(昭和11年)

六月廿五日 曇。
握飯と傘とを持って、そして切符までも買って貰って、松島遊覧の電車に乗り込む。
塩釜神社参拝、境内神さびて、おのづから頭がさがる、多羅葉樹の姿、松島遊覧、ーーーあまりに遊園化してゐる、うるさいと思ふ。
瑞巌寺(雲居禅師の無相窟)。
五大堂、福浦島。
松島は雨の夜月の夜逍遥する景勝であらう。
三時の電車で石巻へ、露江居におちつく、お嬢さんが人なつこくてうれしい。
入浴、微酔、同じ道をたどるもののありがたさ。
寝ること~ 忘れること~。

六月廿六日
早い朝湯にはいってから日和山の展望をたのしむ、美しい港風景である、芭蕉句碑もあった。
十時出発、汽車で平泉へ、沿道の眺望はよかった、旭山・・・・・一関。・・・・・平泉。ーーー
 毛越寺旧蹟、まことにほろびるものは美しい!
     中尊寺、金色堂。
     あまりにも現代色が光ってゐる!
何だか不快を感じて、平泉を後に匆々汽車に乗った。
九時仙台着、やうやく青衣子居を探しあてゝ厄介になる。
青衣子君の苦脳と平静とは尊くも悲しい、省みて私は私を恥ぢた。

~日記ここまで~

石巻の露江とは、戦前『石巻日日新聞』で編集長を勤めた佐藤露江の事。戦後は『石巻日日新聞』を「復刊」し、社長となっています。

それにしても、行く先々、迎えてくれる友がいたのですねぇ。秋山巌と、本当にだぶってしまいます。

みちのく日記は、もう少し続きます。

◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆

平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時

会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美

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最終更新日  2009.10.06 00:28:51
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2009.10.04

 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

鶴岡での山頭火は、昨日のブログの通り大爆発でした。

層雲同人、秋兎死こと和田光利さんのようなまねは、私など到底出来ませんが、それだけ山頭火は愛されていたのでしょうね。

では、山頭火の日記に戻ります。浴衣と手拭い一本で、何処へ逃げ出したかというと、仙台です。

~山頭火の日記~(昭和11年)

六月十六日~廿二日
酒、女、むちゃくちゃだった。
秋君よ、驚いてはいけない、すまなかった。
かういふ人間として、許してくれたまへ。
湯田川温泉行。

六月廿三日 曇
梅雨らしく降る。
私は遂に自己を失った。さうらうとしてどこへ行く。ーーー
抱壷君にだけは是非逢ひたい、幸いにして澄太君の温情が仙台までの切符を買ってくれた、十時半の汽車に乗る。
青い山、青い野、私は慰まない、あゝこの憂欝、この苦悩、ーーーくづれゆく心身。
六時過ぎて仙台着、抱壷君としんみり話す、予期したよりも元気がよいのがうれしい、どちらが果たして病人か!
歩々生死、刻々去来。
あたゝかな家庭に落ちついて、病みながらも平安を楽しみつゝある抱壷君、生きてゐられるかぎり生きてゐたまへ。

六月廿四日 快晴
令弟に案内されて市内見物。
仙台はよい都会だ、品格のある都会である、市内で郭公が啼き、河鹿が鳴く。
広瀬川、青葉城。
東北学院に青城子を訪ねる、君は温厚な紳士である、寂しい人でもある(その事情は後で君の口から聞いた)。
午後、青衣子君来訪、抱壷君父子と共に会飲、しめやかな酒であった。

~~~日記ここまで~~~

抱壷君とは、海藤抱壷(かいどうほうこ)のこと。仙台市生まれで、「層雲」同人。肺結核のため長期療養生活の後、39歳の若さで亡くなっています。

春陽堂の本では、「東北学院に青城子を訪ねる」とありますが、青城子は、飯尾星城子(本名由多加、星城子から青城子に改号)の事ですが、北九州八幡の人なので、東北学院に訪ねたのなら「青衣子」だと思います。

青衣子は菊地青衣子。私は詳細わかりませんので、ご存じの方いらしたら、教えて下さい。

みちのくの旅は、まだ続きます。

◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆

平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時

会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美

秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!

 







最終更新日  2009.10.05 08:17:52
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2009.10.03

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

山頭火が、鶴岡で大迷惑をかけた、和田光利さんの回想文です。
長文ですので、ご興味のある方だけ読んで下さいね。

       みちのく行状記    和田光利(あきとし)

 ある日の風が一枚の葉書を運んできた。
 それは流転の俳人・山頭火からで、新秋の風の吹く頃、みちのくの光利を訪問するとしたためてあった。未だ会った事のない盟友、山頭火が遥々とやってくる。私の胸は高鳴った。

 彼が一代の酒仙である事を熟知していた私は、歓待する費用にもと、貧しいけれど蔵書が沢山あったので、その半分近くを顔見知りの古本屋に引き取ってもらった。また勤務先の宿直を代行して宿直料を溜め込んだ。

 ござんなれ山頭火ー某年某月某日、たしか六月何日であったか、私が遅れた原稿を書くために、在家していてすこし倦んで顔を上げると、突如、網代笠をかむり、黒衣を着用した法体が、門前の青葉を押し分けるように、ぬっと入ってきた。ロイド眼鏡がきらりと光った。

 時期はまだ早いが、「あっ山頭火だ!」私は下駄をつっかけたか、跣だったか、すぐ飛び出して、「山頭火よく来たねえ」、彼も「光利!」と絶叫して抱き合った。

 家内も老母も小さい長男まで玄関まで出迎え、北座敷に招じ入れた。もうすぐ百年の知己で遠慮もへったくれもなかった。山海の珍味ーーー日本海の海岸は岩が多く、肴は波が荒いから魚肉が引き緊ってうまい。酒は地酒がとてもおいしい。

 私達は飲み食い、夜を徹して歓談がつきなかった。文学の話や人生の話。私が朗詠する事をよく知っている彼は、盛んと朗吟させた、万葉の短歌や芭蕉、蕪村、放哉、山頭火、そして私の作品をーーー。

 二人とも酒は強かった。みちのくの深閑とした星空、その下の寺院の様な大きな萱葺屋根をかぶった一室。どんな大声を出しても外には漏れない。

「山頭火、あんたは世を、家を捨てた・・・私は大貧乏だが、数人の家族を擁して暮らしている、しかも永遠を睨みつけて俳句を続けている。どうだ」

と言ったら、山頭火はすなおに、

「光利にはとてもかなわない」

と言った。後年考えると、西行の如く、文覚の如く、蓮生坊の如く、鬼の如き大勇猛心がなければ、一世を捨てる事が出来得ないのだと、独り微苦笑した事だ。

 山頭火の大好物は酒と水と温泉だが、某日、鶴岡の城下町の近くの湯田川温泉に連れていった。着くとちょっと昼酒を傾けてから、温泉に入った。このあまり熱くない柔らかな湯はおおいに彼を喜ばせた。

この温泉は河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)も荻原井泉水も竹久夢二も喜んだ湯であった。後日、山頭火が行方不明にあった折も、お金も持たずに、私の名前を使って、四、五日滞在していた(宿では私をよく知っているので、支払いは後で私がした)。

 庄内滞在は二週間ぐらいだったろうが、某日鶴岡の一流料亭から電話がきて、種田さんという人が、和田先生を御待ちしているという。当時、私は鶴岡放送局から依頼されて、いつも放送をやったり、あちこちで講演などをやっていたので、鶴岡人はたいがい私を知っていた。

 山頭火は少しも悪びれず、金持長者の如く、鶴岡の名妓や半玉三、四人を招いて、大盤振舞をきめこんでいた。芸者連の三味などに合わせて、歯のない口をモグモグさせて、野崎参りなどを悠々と唄っていた。

「光利、光利の君よく来たのう、さあさあ上座へ上座へ」

あたかも客を招待する態度であった。

「また朗詠を頼みますよ」

まるで芸人を雇ったようなものだった。私はすこしくすぐったかったが、山頭火の"分け入っても分け入っても青い山"だとか、牧水の"幾山河こえさり行かば淋しさの果てなん国ぞ今日も旅ゆく"を唄った。

さて、大遊興の果て、引きあげる事になった。私はとても駄目だと思ったが、一応、「金は、マネーは」と囁いた。やっぱり身に寸銭も帯びずである。

「私には、"山頭火講演会"があるが、私の名前で電報を打っても、送金してしてよこさないから光利の名前で打電して下さい」

 私には結果がはっきり分かっているから、料亭の主人がよく私を知っているので月末払いにして引きあげた。山頭火は大分泥酔していて自動車を呼んでくれという・・・。あんたは旅人なのだから歩くんだよと、二キロ近い道を歩かせた。鶴岡公園の傍を通る時、前をめくって用を足しながら、

「鶴岡の星はめっぽう光っているのう」

とほざいた。人情の濃やかな庄内はよほど気にいったらしかった。その後、もう一度、新包亭という大料理屋へ招ばれて、私が迎えに行った。もちろんノーマネー。二料理店の支払いや、温泉の払いには大苦労したが、すこしも憎む気持ちにならなかった。彼の不平不満がたまに爆発するのだ。

山頭火が懺悔の印として網代笠、法衣、エゴの一杖を残したのは全国で、私の家一軒であろう。法衣は後日送ってやった。私の浴衣を着て、手拭い一本で失綜した山頭火は、永平寺からも御詫びの便りをよこした。

(俳人・層雲同人)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上、昭和53年(1978年)4月10日発行の
『別冊新評』放浪の俳人・山頭火の世界<全特集> より、
和田光利さんの寄稿全文です、改行は、読みやすいように私がしました。

この特集では、秋山巌の作品が、巻頭で沢山紹介されていて、寄稿もしておりますので、欲しい方は古書店検索で探してみて下さい。
まだ入手可能だと思います。

 







最終更新日  2009.10.04 02:28:40
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2009.10.02

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

山頭火は、昭和11年、54歳の時に「みちのく」を旅しています。

その前年、昭和10年の8月に、カルモチン(睡眠薬)で、自殺未遂をしているのですが、その時の日記には、

『八月十日 第二誕生日、回光返照。
生死一如、自然と自我との融合。・・・中略・・・正しくいへば卒倒でなくして自殺未遂であった。・・・中略・・・とにかく生も死もなくなった。多量過ぎたカルモチンに酔っぱらって、私は無意識裡にあばれつつ、それを吐き出したのである。
断崖に衝きあたった私だった。手を撤して絶後に蘇った私だった。』

とあり、その後は「身辺整理」が数日続きます。そして、12月6日の日記は

『十二月六日
旅に出た。どこへ、ゆきたい方へ、ゆけるところまで。
旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く! 逃避行の他の何物でもない。』

みちのくへの旅は、死に場所を求めた逃避行だったはずですが、昭和11年4月、東京。5月、甲州路、信濃路を歩き、6月には新潟、そして山形へ。

昭和11年、6月11日から、山頭火のみちのく日記をご紹介します。

六月十一日 十二日
ぼうぼう。ばくばく。

六月十三日日
鶴岡へ、秋兎死居。

六月十四日
秋君といっしょに湯田川温泉へ。

六月十五日
散歩。

六月十六日~廿二日
酒、女、むちゃくちゃだった。
秋君よ、驚いてはいけない、すまなかった。
かういふ人間として、許してくれたまへ。
湯田川温泉行。

~~~日記ここまで~~~

秋兎死(あきとし)、秋くんというのは、本名:和田光利(あきとし)さんの事。山形県鶴岡の「層雲」同人。

何を謝っているのかというと、山頭火は湯田川温泉で、はめを外して大散財をして、秋兎死さんに支払いを押しつけて、逃げ出してしまったんです。

後に、和田光利さんが「みちのく行状記」として書いたものがありますので、またご紹介いたしますね。山頭火のとても有名な逸話ですから。

続く。

◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆

平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時

会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美

秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!

 

 







最終更新日  2009.10.03 17:01:54
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