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2020.12.20
全6件 (6件中 1-6件目) 1 山頭火 みちのくまで
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 山頭火のみちのくの旅もいよいよ終わりです。 ~山頭火の日記~(昭和11年) 六月廿九日 曇り。 六月三十日 雨ー曇。 七月一日 腫れ。 七月二日 曇。 ~みちのくの日記ここまで~ 山頭火が鳴子で泊まったのは「東多賀の湯」という所です。 「湯上りのつつじ真っ赤に咲いて」 と詠んでいるそうです。私も一度訪ねてみたい宿です。 山頭火が其中庵に帰着したのは、7月22日、前年末に其中庵を出立してから、約7ヶ月半の長旅でした。 ※秋山先生は9日に来相予定ですが、台風の影響がありそうですね。皆様も台風被害に備えてご注意下さい。 ◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆ 平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時 会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
最終更新日
2009.10.08 03:24:08
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2009.10.06
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 昭和11年、山頭火のみちのく日記 続きです。 ~山頭火の日記~(昭和11年) 六月廿七日 晴。 ~日記ここまで~ 澄太君は言うまでもありませんが、大山澄太。 緑平メモによると、六月二十六日、抱壷居山頭火宛に、七円電送しているとの事。 では、この時山頭火が、木村緑平に送った手紙をご紹介しておきましょう。 ~山頭火 書簡集より~ 六月三十日 宮城県鳴子にて(封書)木村緑平へ これと同じ手紙を澄太兄へも送りました、おたよりを下さいますならば、福井郵便局留め置き。 ~手紙ここまで~ これだけしか書けません・・・・・私からみると、すごく書いていると思うんですけが。同じ手紙を澄太さんにも書いているのですから、本当にすごいエネルギーです。 さて、みちのくの旅も、鳴子温泉を残すのみとなりました。では。 ◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆ 平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時 会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
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2009.10.07 02:59:51
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2009.10.05
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 仙台の海藤抱壷は、昭和15年9月18日に亡くなっています。その後1ヶ月もしないうちに、山頭火も亡くなるのですが、抱壷の訃報を受け取った時の山頭火の日記をご紹介しておきます。 昭和十五年 ・・・抱壷に関してここまで・・・ それでは、昭和11年のみちのく日記に戻ります。 ~山頭火の日記~(昭和11年) 六月廿五日 曇。 六月廿六日 ~日記ここまで~ 石巻の露江とは、戦前『石巻日日新聞』で編集長を勤めた佐藤露江の事。戦後は『石巻日日新聞』を「復刊」し、社長となっています。 それにしても、行く先々、迎えてくれる友がいたのですねぇ。秋山巌と、本当にだぶってしまいます。 みちのく日記は、もう少し続きます。 ◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆ 平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時 会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
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2009.10.06 00:28:51
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2009.10.04
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 鶴岡での山頭火は、昨日のブログの通り大爆発でした。 層雲同人、秋兎死こと和田光利さんのようなまねは、私など到底出来ませんが、それだけ山頭火は愛されていたのでしょうね。 では、山頭火の日記に戻ります。浴衣と手拭い一本で、何処へ逃げ出したかというと、仙台です。 ~山頭火の日記~(昭和11年) 六月十六日~廿二日 六月廿三日 曇 六月廿四日 快晴 ~~~日記ここまで~~~ 抱壷君とは、海藤抱壷(かいどうほうこ)のこと。仙台市生まれで、「層雲」同人。肺結核のため長期療養生活の後、39歳の若さで亡くなっています。 春陽堂の本では、「東北学院に青城子を訪ねる」とありますが、青城子は、飯尾星城子(本名由多加、星城子から青城子に改号)の事ですが、北九州八幡の人なので、東北学院に訪ねたのなら「青衣子」だと思います。 青衣子は菊地青衣子。私は詳細わかりませんので、ご存じの方いらしたら、教えて下さい。 みちのくの旅は、まだ続きます。 ◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆ 平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時 会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
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2009.10.05 08:17:52
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2009.10.03
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 山頭火が、鶴岡で大迷惑をかけた、和田光利さんの回想文です。 みちのく行状記 和田光利(あきとし) ある日の風が一枚の葉書を運んできた。 彼が一代の酒仙である事を熟知していた私は、歓待する費用にもと、貧しいけれど蔵書が沢山あったので、その半分近くを顔見知りの古本屋に引き取ってもらった。また勤務先の宿直を代行して宿直料を溜め込んだ。 ござんなれ山頭火ー某年某月某日、たしか六月何日であったか、私が遅れた原稿を書くために、在家していてすこし倦んで顔を上げると、突如、網代笠をかむり、黒衣を着用した法体が、門前の青葉を押し分けるように、ぬっと入ってきた。ロイド眼鏡がきらりと光った。 時期はまだ早いが、「あっ山頭火だ!」私は下駄をつっかけたか、跣だったか、すぐ飛び出して、「山頭火よく来たねえ」、彼も「光利!」と絶叫して抱き合った。 家内も老母も小さい長男まで玄関まで出迎え、北座敷に招じ入れた。もうすぐ百年の知己で遠慮もへったくれもなかった。山海の珍味ーーー日本海の海岸は岩が多く、肴は波が荒いから魚肉が引き緊ってうまい。酒は地酒がとてもおいしい。 私達は飲み食い、夜を徹して歓談がつきなかった。文学の話や人生の話。私が朗詠する事をよく知っている彼は、盛んと朗吟させた、万葉の短歌や芭蕉、蕪村、放哉、山頭火、そして私の作品をーーー。 二人とも酒は強かった。みちのくの深閑とした星空、その下の寺院の様な大きな萱葺屋根をかぶった一室。どんな大声を出しても外には漏れない。 「山頭火、あんたは世を、家を捨てた・・・私は大貧乏だが、数人の家族を擁して暮らしている、しかも永遠を睨みつけて俳句を続けている。どうだ」 と言ったら、山頭火はすなおに、 「光利にはとてもかなわない」 と言った。後年考えると、西行の如く、文覚の如く、蓮生坊の如く、鬼の如き大勇猛心がなければ、一世を捨てる事が出来得ないのだと、独り微苦笑した事だ。 山頭火の大好物は酒と水と温泉だが、某日、鶴岡の城下町の近くの湯田川温泉に連れていった。着くとちょっと昼酒を傾けてから、温泉に入った。このあまり熱くない柔らかな湯はおおいに彼を喜ばせた。 この温泉は河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)も荻原井泉水も竹久夢二も喜んだ湯であった。後日、山頭火が行方不明にあった折も、お金も持たずに、私の名前を使って、四、五日滞在していた(宿では私をよく知っているので、支払いは後で私がした)。 庄内滞在は二週間ぐらいだったろうが、某日鶴岡の一流料亭から電話がきて、種田さんという人が、和田先生を御待ちしているという。当時、私は鶴岡放送局から依頼されて、いつも放送をやったり、あちこちで講演などをやっていたので、鶴岡人はたいがい私を知っていた。 山頭火は少しも悪びれず、金持長者の如く、鶴岡の名妓や半玉三、四人を招いて、大盤振舞をきめこんでいた。芸者連の三味などに合わせて、歯のない口をモグモグさせて、野崎参りなどを悠々と唄っていた。 「光利、光利の君よく来たのう、さあさあ上座へ上座へ」 あたかも客を招待する態度であった。 「また朗詠を頼みますよ」 まるで芸人を雇ったようなものだった。私はすこしくすぐったかったが、山頭火の"分け入っても分け入っても青い山"だとか、牧水の"幾山河こえさり行かば淋しさの果てなん国ぞ今日も旅ゆく"を唄った。 さて、大遊興の果て、引きあげる事になった。私はとても駄目だと思ったが、一応、「金は、マネーは」と囁いた。やっぱり身に寸銭も帯びずである。 「私には、"山頭火講演会"があるが、私の名前で電報を打っても、送金してしてよこさないから光利の名前で打電して下さい」 私には結果がはっきり分かっているから、料亭の主人がよく私を知っているので月末払いにして引きあげた。山頭火は大分泥酔していて自動車を呼んでくれという・・・。あんたは旅人なのだから歩くんだよと、二キロ近い道を歩かせた。鶴岡公園の傍を通る時、前をめくって用を足しながら、 「鶴岡の星はめっぽう光っているのう」 とほざいた。人情の濃やかな庄内はよほど気にいったらしかった。その後、もう一度、新包亭という大料理屋へ招ばれて、私が迎えに行った。もちろんノーマネー。二料理店の支払いや、温泉の払いには大苦労したが、すこしも憎む気持ちにならなかった。彼の不平不満がたまに爆発するのだ。 (俳人・層雲同人) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 以上、昭和53年(1978年)4月10日発行の この特集では、秋山巌の作品が、巻頭で沢山紹介されていて、寄稿もしておりますので、欲しい方は古書店検索で探してみて下さい。
最終更新日
2009.10.04 02:28:40
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2009.10.02
テーマ:山頭火の句が好きな方(116)
カテゴリ:山頭火 みちのくまで
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 山頭火は、昭和11年、54歳の時に「みちのく」を旅しています。 その前年、昭和10年の8月に、カルモチン(睡眠薬)で、自殺未遂をしているのですが、その時の日記には、 『八月十日 第二誕生日、回光返照。 とあり、その後は「身辺整理」が数日続きます。そして、12月6日の日記は 『十二月六日 みちのくへの旅は、死に場所を求めた逃避行だったはずですが、昭和11年4月、東京。5月、甲州路、信濃路を歩き、6月には新潟、そして山形へ。 昭和11年、6月11日から、山頭火のみちのく日記をご紹介します。 六月十一日 十二日 六月十三日日 六月十四日 六月十五日 六月十六日~廿二日 ~~~日記ここまで~~~ 秋兎死(あきとし)、秋くんというのは、本名:和田光利(あきとし)さんの事。山形県鶴岡の「層雲」同人。 何を謝っているのかというと、山頭火は湯田川温泉で、はめを外して大散財をして、秋兎死さんに支払いを押しつけて、逃げ出してしまったんです。 後に、和田光利さんが「みちのく行状記」として書いたものがありますので、またご紹介いたしますね。山頭火のとても有名な逸話ですから。 続く。 ◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆ 平成21年10月9日(金)~13日(火)10時~18時 会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
最終更新日
2009.10.03 17:01:54
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