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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の「まみだより」

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禅の風1982年第3号

2010.05.04
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カテゴリ:禅の風1982年第3号

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火

           泥酔の俳聖

文・大山澄太  版画・秋山巌

先日の59頁に引き続き、60頁をご紹介します。


◎酒に関する覚え書き

「酒は酒袋に盛れ、酒盃は小を可とす。
独酌三杯、天地洞然として天地なし。
さしつ、さされつ、お前が酔えば、わしが踊る。
酒屋へ三里、求める苦しみが、与えられるよろこび。
酒飲みは酒飲めよ、酒好きに酒を与えよ。
飲むほどに酔う。それが酒を味わう境涯である」

酒徒山頭火が踊り出るではないか。天下の酒飲みは万々歳だ。
更に山頭火は哲学する。

◎酒に関する覚え書き

「酒中逍遥、時間を絶し、空間を越える。
飲まずにはいられない酒は、
しばしば飲んではならない酒であり、
飲みたくない酒でもある。
飲みたい酒、それは悪くない。
味う酒、よいかな、よいかな。
酒好きと、酒飲みとの別をはっきりさせる要がある。
酒好きで、酒飲みは、不幸な幸福人だ」

尾崎放哉は大酒を呑むと、よく怒った。山頭火はよくしゃべり、機嫌がよくなった。ここに二人の酒についての異なる風景が発展したかと私は思う。山頭火は幸福な不幸人であったかと私は思う。彼はまた日記にしるす。


「酒と句、この二つは、私を今日まで生かしてくれたものである。もし酒がなかったならば、私はすでに自殺してしまったであろう。たとえ自殺しなかったとしても、私は痴呆委となっていたであろう。まことにまことに、南無酒菩薩であり、南無句如来である。遊歩悠々、行乞三昧でなければならないと思う。夜の雨はしめやかだった。財布はいよいよないふだったがー」

61頁まで入りましたが、きりのいいところまで書き起こしました。

 







最終更新日  2012.09.21 19:39:00
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2010.04.18
カテゴリ:禅の風1982年第3号

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火

           泥酔の俳聖

文・大山澄太  版画・秋山巌

先日の58頁に引き続き、59頁をご紹介します。

画像の木版画「どちらへゆこう」1978年製作は、すでに絶版なのですが、1989年製作の「どちらへゆこう」は、ほとんど同じ構図で、お求めいただけます。

   さて どちらへゆこう 風がふく

昭和9年2月22日の山頭火の句。

つづきはまた。

 







最終更新日  2012.09.16 20:38:24
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2010.04.16
カテゴリ:禅の風1982年第3号

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火

           泥酔の俳聖

文・大山澄太  版画・秋山巌

先日の57頁に引き続き、58頁をご紹介します。

 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ        山頭火

この句碑が、今、伊予の大きい青石に刻まれている。生誕百年を記念して、山頭火が酒造業に失敗破産し、熊本へ逃げて行ったそのあとの酒造を、現在まで受けつづけている防府市大道の大林重義さんが、自宅の入口に建立することにし、十月十一日の山頭火忌当日、除幕することになっている。

「澄太君、のんた。日向の山村の秋だったよ、大きな草葺きの農家の軒下で、般若心経をとなえていた。お経が半分あまりすんだ頃、背の高い、白髪のばあさんが、大きな壺をかかえて出て来た。お経が終ると、“あんたこれいけるか?” と来た。芋焼酎がぷんぷん匂うてくるではないか、うんと堪えてこの鉄鉢を差出すと、ばあさんはにこにこ笑いながら、五合ばかり注いでくれた。わしはのんた、四、五日恵まれていなかったので、そこに立ったまま、鉢を傾けて、二息でぐいぐいやった。
 そこまでは覚えちょるが、・・・・・気がついてみると、稲を刈ったあとの田の畝に寝ころんでいた、まだ新しい筵の下でのんた。そしてこうろぎがしきりに鳴いているではないか、しかも陽が高く昇っているではないか。

 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ

と一句浮かんで来た。そこへあのばあさんが杖をついてやって来た。昨夜は、うちへ連れて来て寝て貰おうかとも思ったが、あんまりよく眠りこんでござるので、筵だけをかけておきましたぞと言うてくれた、あの芋焼酎の味は忘れられないよ」

と言った言葉がしきりに思い出されるこの頃である。私は現在その遺鉢を保存しているのであるが、約七合弱は入る。鉢の底辺には大小のでこぼこがついている。これは凍てた掌から、石の上に落とした時の古傷なのである。私はある日、鉢を包む黄色の布にこんなことを書きつけた。

     銘

米、銭をいただき
酒を注がれ
時には霰に打たれ
すべてを法雨とした
山頭火の鉢よ
                      澄太 印

山口県小郡の其中庵に笠をぬぎ杖をとどめてからの「其中日記」を開いてみると「酒に関する覚書」なるものが、あちこちに出てくる。

「酒は目的意識的に飲んではならない。
酔は自然発生的でなければならない。
酔うことは飲むことの結果であるが、いいかえれば、飲むことは酔うことの原因であるが、酔うことが、飲むことの目的であってはならない。
何物をも酒に代えて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙とという。
悠然として山を観る、悠然として酒を味わう。悠然として生死を明らめるのである」

覚え書きと言うよりも、私は堂々たる信条のように思う。山頭火はこの信条によると、酒徒であった。酒仙にまでたどりつきたい願いはあったようであるが、それは道遠い彼であったと私は思う。若し彼が、悠然として生死を明らめる心境に辿りついていたならば、金剛経の『応に住するところを無くして、面もその心を生ずべし』と悟った筈だ。

「澄太君、君のように一合か一合半をちびりちびりのんで、ほろほろ楽しめるとよいがのんた。わしはその

 ほろほろ が ぽろぽろ となり
 ぽろぽろ が ごろごろ となり
 ごろごろ が どろどろ となり

時には警察の留置場で、ぐうぐう大いびきをかく山頭火だよ」

と言ったことも忘れがたい。


米画像の木版画は「秋の雲」です。

つづきはまた。 

 

 







最終更新日  2012.09.16 20:37:40
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2010.04.14
カテゴリ:禅の風1982年第3号

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火

           泥酔の俳聖

文・大山澄太  版画・秋山巌

昨日の表紙に引き続き、57頁をご紹介します。

作品の句 「この道しかない 春の雪ふる」は、昭和9年3月14日の山頭火の句です。

実父、秋山巌は、山頭火とは直接会う機会は無かったのですが、大山澄太氏とは、何度か会っているのです。

山頭火は、昭和15年(1940年)没です。著作権は、没後50年(1990年)で切れたのですが、秋山巌が山頭火シリーズを発表したのが1970年。しばらく著作権料を支払った作家です。

■ 大山 澄太
1899年(明治32年)岡山県に生まれる。戦後愛媛県にて著述と社会教育に専念、教育文化賞を受ける。雑誌『大耕』主宰。1994年没

 







最終更新日  2012.09.16 20:36:48
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2010.04.13
カテゴリ:禅の風1982年第3号

秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。

禅の風」という雑誌があります。

曹洞宗の出版物なのですが、創刊は1981年(昭和56年)で当時は年2回ほどの発行だったようです。

その「禅の風」 1982年の第3号で、種田山頭火の特集記事に、秋山巌の版画が掲載されていますので、少しづつご紹介していきますね。文は大山澄太さんがお書きになっています。

画像はその3号の表紙です。

山頭火没後70年。これほど愛され続けるるとは、本人は思っていなかったのではないでしょうか?

秋山巌も、そうあってほしいと願います。

続きはまた。

 







最終更新日  2012.09.16 20:36:00
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