閲覧総数 3188
2020.12.20
全5件 (5件中 1-5件目) 1 禅の風1982年第3号
テーマ:版画家「秋山巌」(176)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖 文・大山澄太 版画・秋山巌 先日の59頁に引き続き、60頁をご紹介します。
「酒は酒袋に盛れ、酒盃は小を可とす。 酒徒山頭火が踊り出るではないか。天下の酒飲みは万々歳だ。 ◎酒に関する覚え書き 「酒中逍遥、時間を絶し、空間を越える。 尾崎放哉は大酒を呑むと、よく怒った。山頭火はよくしゃべり、機嫌がよくなった。ここに二人の酒についての異なる風景が発展したかと私は思う。山頭火は幸福な不幸人であったかと私は思う。彼はまた日記にしるす。
61頁まで入りましたが、きりのいいところまで書き起こしました。
最終更新日
2012.09.21 19:39:00
コメント(0) | コメントを書く
2010.04.18
テーマ:版画家「秋山巌」(176)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖 文・大山澄太 版画・秋山巌 先日の58頁に引き続き、59頁をご紹介します。 画像の木版画「どちらへゆこう」1978年製作は、すでに絶版なのですが、1989年製作の「どちらへゆこう」は、ほとんど同じ構図で、お求めいただけます。 さて どちらへゆこう 風がふく 昭和9年2月22日の山頭火の句。 つづきはまた。
最終更新日
2012.09.16 20:38:24
コメント(0) | コメントを書く
2010.04.16
テーマ:版画家「秋山巌」(176)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖 文・大山澄太 版画・秋山巌 先日の57頁に引き続き、58頁をご紹介します。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ 山頭火 この句碑が、今、伊予の大きい青石に刻まれている。生誕百年を記念して、山頭火が酒造業に失敗破産し、熊本へ逃げて行ったそのあとの酒造を、現在まで受けつづけている防府市大道の大林重義さんが、自宅の入口に建立することにし、十月十一日の山頭火忌当日、除幕することになっている。 「澄太君、のんた。日向の山村の秋だったよ、大きな草葺きの農家の軒下で、般若心経をとなえていた。お経が半分あまりすんだ頃、背の高い、白髪のばあさんが、大きな壺をかかえて出て来た。お経が終ると、“あんたこれいけるか?” と来た。芋焼酎がぷんぷん匂うてくるではないか、うんと堪えてこの鉄鉢を差出すと、ばあさんはにこにこ笑いながら、五合ばかり注いでくれた。わしはのんた、四、五日恵まれていなかったので、そこに立ったまま、鉢を傾けて、二息でぐいぐいやった。 酔うて こうろぎと 寝てゐたよ と一句浮かんで来た。そこへあのばあさんが杖をついてやって来た。昨夜は、うちへ連れて来て寝て貰おうかとも思ったが、あんまりよく眠りこんでござるので、筵だけをかけておきましたぞと言うてくれた、あの芋焼酎の味は忘れられないよ」 と言った言葉がしきりに思い出されるこの頃である。私は現在その遺鉢を保存しているのであるが、約七合弱は入る。鉢の底辺には大小のでこぼこがついている。これは凍てた掌から、石の上に落とした時の古傷なのである。私はある日、鉢を包む黄色の布にこんなことを書きつけた。 銘 米、銭をいただき 山口県小郡の其中庵に笠をぬぎ杖をとどめてからの「其中日記」を開いてみると「酒に関する覚書」なるものが、あちこちに出てくる。 「酒は目的意識的に飲んではならない。 覚え書きと言うよりも、私は堂々たる信条のように思う。山頭火はこの信条によると、酒徒であった。酒仙にまでたどりつきたい願いはあったようであるが、それは道遠い彼であったと私は思う。若し彼が、悠然として生死を明らめる心境に辿りついていたならば、金剛経の『応に住するところを無くして、面もその心を生ずべし』と悟った筈だ。 「澄太君、君のように一合か一合半をちびりちびりのんで、ほろほろ楽しめるとよいがのんた。わしはその ほろほろ が ぽろぽろ となり 時には警察の留置場で、ぐうぐう大いびきをかく山頭火だよ」 と言ったことも忘れがたい。
つづきはまた。
最終更新日
2012.09.16 20:37:40
コメント(0) | コメントを書く
2010.04.14
テーマ:版画家「秋山巌」(176)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖 文・大山澄太 版画・秋山巌 昨日の表紙に引き続き、57頁をご紹介します。 作品の句 「この道しかない 春の雪ふる」は、昭和9年3月14日の山頭火の句です。 実父、秋山巌は、山頭火とは直接会う機会は無かったのですが、大山澄太氏とは、何度か会っているのです。 山頭火は、昭和15年(1940年)没です。著作権は、没後50年(1990年)で切れたのですが、秋山巌が山頭火シリーズを発表したのが1970年。しばらく著作権料を支払った作家です。 ■ 大山 澄太
最終更新日
2012.09.16 20:36:48
コメント(0) | コメントを書く
2010.04.13
テーマ:版画家「秋山巌」(176)
カテゴリ:禅の風1982年第3号
![]() 秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「禅の風」という雑誌があります。 曹洞宗の出版物なのですが、創刊は1981年(昭和56年)で当時は年2回ほどの発行だったようです。 その「禅の風」 1982年の第3号で、種田山頭火の特集記事に、秋山巌の版画が掲載されていますので、少しづつご紹介していきますね。文は大山澄太さんがお書きになっています。 画像はその3号の表紙です。 山頭火没後70年。これほど愛され続けるるとは、本人は思っていなかったのではないでしょうか? 秋山巌も、そうあってほしいと願います。 続きはまた。
最終更新日
2012.09.16 20:36:00
コメント(0) | コメントを書く このブログでよく読まれている記事
全5件 (5件中 1-5件目) 1 総合記事ランキング
|
|