母方祖母は彦根藩ゆかり【人事興信録】に曾祖父母の名前が!
秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌生誕100年の企画展が、東京、竹田と終了し、ちょっと寂しくなりました。いろいろ疲れもたまっているので、しばし休息です。昭和3年生まれの母が、8月の誕生日が来たら93歳になります。父が亡くなった年齢になりますので、健在なうちに母方のご先祖様も少し調査したいと思い、手始めにネット検索してみました。母方、私の祖母は「細居とみ」曾祖父「細居乙五郎」曾祖母「外千代」彦根藩ゆかりで、祖母の親は師範学校の校長だったと、母から聞いています。「もとこ」と名前を変えられた・・・とも聞いています。なんと、曾祖父母の名前が、【人事興信録】という、明治期の日本社会のエリートが採録されている人事情報誌に掲載されていました。名古屋大学大学院法学研究科の増田知子教授・佐野智也特任講師らの研究グループが、『人事興信録』のデータベース化をして公開していたのです!日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベースありがとう、名古屋大学♪で、名前が出ていたのが、「中村勝麻呂」氏のところ。滋賀県士族!この方は歴史学者なのですね。彦根藩主「井伊直弼」に関する著作がありました。(存じ上げなくてすみません)曾祖父母の名前は、記述部分(略伝)にあります。「君は滋賀縣士族中村平太の長男にして明治八年三月を以て生れ後家督を相續す同三十四年東京帝國大學文科大學史學科を卒業し大學院に入り幕末外交史を專攻す同四十一年史料編纂官に任ぜられ現在に至る家族は尚四女菊(大八、八生)五女春(同一五、二生)弟元麿(明一二、八生)同妻よし(同三〇、一生、京都、高橋嘉一姉)あり姉友鶴(同五、一〇生)は滋賀縣士族淺野德藏に再從姉外千代(慶應元、一一生)は大阪府人細居乙五郞に嫁し再從兄鐵藏(同元、正生)は滋賀縣士族島野雅五郞の養子となれり」祖母「とみ」の住所が、大阪市東区(現中央区)島町二丁目二十九番地 となっています。戸主 細居貫一妹・・・彦根藩の蔵屋敷に近いのでしょうか。参考ブログ・彦根藩大坂蔵屋敷跡・【はかをたずねて三千里】中村勝麻呂調査はこれからですが、大阪の祖母「とみ」が東京南千住の祖父「萬次」とどうして出会ったのかすごく興味が湧きます。父方では、熊本藩↓幕末の藩士「丸山重俊」が巌の祖父の従兄だった件母方では彦根藩!またまたお勉強です!