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カテゴリ:音楽
「蒼いバラ」の世界を見る続きです。
今回も、玉置さんの著作権を大切に考え、 安易なコピペなどはご遠慮くださいませ。 1番で「サヨナラ」を言わなければならなかった二人について、 2番は、こんなふうに始まります。 「夜風がそっと頬に 触れてくる/拭えない過去を 連れ去るように」 「拭えない過去」のために二人は別れる。 そういうことは、悲劇の恋人にはよくあることです。 だからそのままスルーしてしまいそうな歌詞ではあるのだけれど、 これを書いたのが玉置さんだということを、私は知っている。 彼がどういう恋愛をしてきたか、 私はアカの他人のくせに、なぜか彼の女性遍歴をいろいろと知っている。 そこでどの「過去」が「拭えない」過去なのか、 思いをぐるぐると廻らせるのでありました。 歌を聴きながら。 その過去を「連れ去る」ように彼を訪れた「夜風」とは、 いったい何? 「拭えない」は拭ってほしいの?ほしくないの? 「連れ去る」は連れ去ってほしいの?ほしくないの? 夢の水面に咲く 赤いバラ/いつか届く願いを 待っている 時を越えて愛を紡ぐ二人は/何もかも愛しいから 哀しいその命を抱きしめたんだ/離れたくなくて…Wow… 熱いその花びらに口づけた/何も言わないで…何も… かつて妻帯者だったために別れた女性と 「時を越えて」愛を紡いだニュースだったり、 その蜜月が、今度は女性のほうの離婚が成立せずに破局したニュースだったり、 この2番の歌詞に触れると、 人間・玉置浩二の私生活がさらけ出されているようにも感じます。 4月4日の日記で 「私はどちらかというと、 作品は作品として分析したり、評したりしたいほうである」 「その人がどういう人生を送ったとしても、 そこにある作品そのものから浮かび上がるものの素晴らしさを、 私たちは評価するのが一義的である」 と書いた私ですが、 こうして作品の向こう側に透けて見えるドラマを反芻するもの また味なものではります。 ただそれは、勝手な想像の域を出ないけれど。 本当に個人的な、ものすごく自分に密接な出来事を取り上げて、 そこから普遍的な真実が醸し出されてくる。 これが、芸術の素晴らしさでしょう。 一方で歌い手のイロコイを想像しつつも、 体が妙にアツくなるのは、 歌詞が自分自身の体験のひとコマを 古いアルバムの中から引き出す力があるからなのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.14 14:56:46
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