「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」@村上春樹
私が本を買うか買わないかは、この「最初の数ページ」で決まるということは、前にも何度か書いたかと思う。書き出しがすべてとは思わないし、そこで作品の価値がわかるとも思わない。でも少なくとも、作品と自分との相性の良し悪しは、多くの場合、この数ページで占うことができると思っている。世界に認められたムラカミハルキ。評判を報じるニュースやたくさんの書評に接し、「一冊くらいは読んでおかないと」といつも思っていた。「村上春樹ってどうよ?」と問われても、読んでいないと持論も展開できない。食わず嫌いは自分の世界を狭くするもと。だから、いつも手にとってはみていた。けれど、その「2~3ページ」で吸い込まれるように作品に入れたためしがなく、「そのまま書棚に戻す」が常だった。新作発売日の4月11日。その朝、私は大手町の丸善の前でたまたま人と待ち合わせていた。丸善の入り口の前には、新刊本が特別に陳列されている。発売仕立ての本をとって、私はいつものようにページをめくった。初めて、読めそうな気がした。このさきどうなるのか、「多崎つくる」という人物とその人生に興味がわいた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が最初の数ページを読んで「その先が知りたい」と思ったわけの一番大きな理由はおそらく「親友だ、友だちだ、先生だ、と心から信頼していた人からある日突然無視されるようになった経験」を私自身が何度も経験しているからだと思う。なぜK先生は私を叱ったのか。なぜTさんは、みんなに「あの子としゃべったらダメ」と言ったのか。なぜFさんは、「用もないのに電話してこないで」と言ったのか。なぜSさんは、1週間学校を休んで出てきた途端、突然私を避け、無視し続けたのか。なぜYさんは、文通をやめ、貸した本も返してくれず、そして「ねえ」と叫ぶ私を振り返ってニヤリと笑ったのか。私の、何が気に食わなかったの?何か、いけないことを言ったり、やったりした?「自分で考えなさい」とK先生は言った。考えても考えてもわからない。だからおしえて!・・・・・・小学校3年生の私に、そう言い返すことはできなかった。わからないまま関係を切られ、その理由を知れないまま、その理由を聞いても答えてくれないという経験は、何重にも巻かれた包帯の下で、癒えることなく熱を持ち、何十年たっても疼き続ける。それらの人とは、もうほとんどが音信不通だし、連絡をとれる人にだって、「あれはなぜ?」と蒸し返そうとは思わない。今さらその「理由」に触れてどうなるのだ。今、この文章を書きながらだって、私の胸はズキズキと痛みを発する。いつもは忘れているその「痛み」を思い出させた一冊だったから、私は多崎つくるの物語を買った。この先私がその「理由」を探る「巡礼」の旅に出ることはない。でも、代わりに多崎つくるの「巡礼」を見届けたい。そうすれば、私にも、新たな地平が見えてくるのかもしれないから……。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ということで、めでたく読了。ムラカミハルキ本、初の読了です。以下、ハルキ本チョー初心者のレビュー。ご笑納ください。ネタバレありです。ご注意のほど。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うーん、どうなんだ? この消化不良。ハルキ本って最後まで読んだことないんだけど、こういう、オチのないのがフツーなの?たしかに、この物語は「事実がどうか」はまったくどうでもよくて、「心の持ちよう」っていうか「自分はどう考えるかで人生は決まる」みたいな話。そういう作風なのでしょうか。これだけ読んでハルキさんを論じるのは失礼なのでわかりません。でも、なにこの理由にならないもっともらしい理由づけ?文中のセリフじゃないけど、そこまで「つくるはそんなことするわけがない」と思っているなら、少なくとも一度くらいコンタクトとれよ!のけものにした方がこういう言い訳するのはままあるだろうけど、3人が3人とも同じような言い訳するところも、逆に信憑性がなかった。きっと何かある。それは何なのか?本当はどうだったのか。連絡とれないほどパニくってた状況などをおしえてくれ~!そういう気持ちでページをめくる。めくってもめくっても、そんなものは全然現れない。とうとう最後まで、この気持ちの着地点は見いだせないままだった。つくるをのけものにしたのは、ほんとにこんな理由だったんだろうか。これだったら、「名前に色の漢字がついていないから(スケープゴートに選んだ)」っていうふうなオチのほうが、ずっと感情移入できたと思う。つくるのほうも「色のない自分の漢字」にそれとなくコンプレックスを感じていたわけだから、それ以来色の漢字が名前についている人は自分から去っていくと思い込み、だから灰田青年に去られてもなんとなく納得していられたが、今度は名前に色がついていない沙羅にも去られそうで、コワくてコワくてしかたないっていうそういう話として書いてくれたら、もっと世の中の理不尽さがリアルになったと思いました。それにしても…。登場する女性に、人間味が感じられないな~。イロケもないな~。人物描写が記号のように簡素化されて、登場人物の誰一人からもねっとりと汗を感じないところ、にじりよるような生命力を感じないところが私としては作品に没頭できないところなのかもしれません。男も女も、名前に「色」がついているわりに、みな個性がないというか。生き方はいろいろ違うのに、喋り方はみな同じ。そして一番気になったこと。レイプされて妊娠して流産して、その罪をまったく無実の人になすりつけて、その前後から精神を病んでいて被害妄想で、回復した後、殺されてしまうものすごい数奇な運命の女性シロについて、あまりにも最後まで淡々と描写している。ていうか、描写してない。つくるにも読者にもこれだけの情報しか与えられないのに、つくるは彼女が自分を陥れた理由が「わかる」という。その理由が、あまりにも「アタマで考えただけ」なのが気になる。つくるが「わかる」というその理由を聞いて「なるほど」って思った読者、いるのかな?このとってつけたような「理由」で読者納得する、と村上さん本気で思ったのか?ていうか、つくるは犯罪をなすりつけられているのに、「今ならわかる」っていう結論自体がちょっと……。「わかる」っていったって、「死人に口なし」でまったく事実が判然としない。彼女の代わりにそのいきさつを語ってくれる人もいないし。アオ、アカ。クロのとことに行きながら、シロのところ(周辺)に行かなかったんじゃ、ほんとの意味での巡礼にならないではないか。もう一歩突っ込んで言わせてもらえば、クロに会ったあとのチャプター「18」(P331)くらいから、この物語は破たんしていると思う。冒頭で蒔いた種を、最後きっちり刈り取ろうという気が作者にない。つくるくんは、アツくならない人っていう設定で、だから「そんなもんか~」ということでいいのかな~。でも、せめて沙羅という女性と会って最後どうなるかは書いてほしかったな。ここまで読者の興味おきざりっていう展開を「そこは想像してください」っていう部類のものと考えられるかどうか、ですな。沙羅はなんで自分のことを話したがらなかったのか、そこもナゾ。人の過去にはこれだけ踏み込んできて、「私とあなたの間にソレがある限りセックスできない」とか言っておいて、自分のことを聞かれても、「私のことはいいから」とか、フツーじゃない。セックスしてるけど、つくるは沙羅のことを求めているけれど、でもこれは恋人じゃなくて、一種のメンターと弟子の関係でしかない気がする。あ!沙羅は精神科医かカウンセラーなのか?そう考えるとしっくりくるな~。でも、それは私が読みたかった物語じゃないな。生活のなかで、出会ったふつうの人との中で、自分の暗部と向き合い、あるいは自分のよさを確信し、歩いていけるような話が好きなのかもしれない。「あなたは昔から魅力的だから自信をもって」と言われて「そうかな~。そうなのかも。でも、名前には色がついてないし…」みたいなつくるくん。巡礼した割には、何も変わってないように思います。*参考amazonのレビューが本作より話題になっているのをご存じですか?ドリーさんのレビュー「参考になった」が2万を超えてます。そのレビューに対するコメントが数百って、尋常じゃない。