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ガムザッティの感動おすそわけブログ

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歌舞伎・伝統芸能

2013.03.30
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カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
染五郎と菊之助の「二人椀久」が観たくて行きました。
美しかったです。
息がぴったりで、ゆっくりとたゆたう二人の動きにくぎ付け。

富十郎丈と雀右衛門丈で戦後に復活した新舞踊ということで、
途中、「あれ? ずいぶん斬新な動きだな~」という部分あり。
若い2人だけれど、
かえってそういうテンポの速いところは趣がそがれた感がありました。
踊りって難しいな~。
誰でもできそうな振りにこそ、神が宿らないと美しく見えないのね。

傾城松山に入れ揚げた末に発狂、座敷牢に幽閉された豪商の椀屋久兵衛の
一夜の夢に現れた松山との幻の逢瀬を描いたものですが、
これを見ながら、

「ああ、ジゼルやな…」

と思ったわけであります。

アルブレヒトの夢に出てきたジゼルと踊る二人。

そして、松山の姿は消え、久兵衛は夢と知る……。

この、「夢と知る」のところの染五郎が素晴らしかった。
仰向けに倒れているのだけれど、
すべてを知ってぱたりと手から力が抜けるときの、瞳の中の虚無。

素敵でした~。

もちろん、菊之助も。
この人の踊りには、重力を感じます。
そして緩急のキレのよさがありながら、真綿のような温かい空気が肌を覆っている。
好きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう一つ、「一條大蔵卿」
この1年で、勘九郎、歌昇、染五郎と、初役三連発観ていますが、
それぞれに味があって面白いですね。

もっとも私の好みだったのは、歌昇だったかもしれない。
勘九郎の大蔵卿は、
「おバカ」加減というか、「おバカ」を表すシチュエーションの構成が抜群で、
これってやっぱり勘三郎譲りかな~という感じ。絶妙の間合いで観客を沸かせ、
物語の中でもそういう「おイタ」をする殿様に翻弄される感じがよく出ていた。
でも最初からちょっと切れ過ぎというか、種明かし的な表情がはっきりしてるし、
最後ヒーローで終わる感じです。


歌昇の大蔵卿は、「おバカ」というより「凡庸」「無能」な殿様で、
おつきの人たちが「おかわいそうに」と同情しちゃうような殿様。
振り回されるというより「ものの数に入らない」「シカトでOK」的な殿様。
だから、
周りの人は、彼がそばにいても平気で悪口言ったり、大切なことも喋っちゃったりしちゃう。
それを全部わかりながら、「全然わからない」「興味ない」ふりを20年以上してきたという、
その凄みを最後に振り絞る歌昇の大蔵卿が、一番好みです。
(まあ歌昇の、というより、吉右衛門の踏襲ですが。)
彼の大蔵卿を見たときは、
「大蔵卿と常盤御前の夫婦って、ほんとになるべくしてなった運命の夫婦だな」と思った。
本心を隠したもの同志、そうと分かればその後の人生も少しは明るくてよかった、と、
心から安心したものです。

染五郎は、同じ吉右衛門から学びつつも、
いわゆる「バカ殿」に徹していて、前半は正直「ここまでやってどーなの?」っていう感じ。
でも、ぶっ返ってからは大蔵卿の忸怩たる思いを吐露して見ごたえあり。
彼のよかったところは、
「どんなことをしても生き延びてやる」
「生きて生きて、源氏が天下をとるところを見届けてやる」という執念のようなものを
よすがに生きていることがよくわかるところ。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があるくらい、
何でも死んじゃおうっていう武士の世の中に、
こういう生き方を宣言して「かっこいい」と思わせるところがすごい。

勘九郎大蔵卿の
「ほんとはこんなにすごいんだぞ。今までの、あれは仮の姿だぞ」っていうカッコよさとは
ちょっと一線を画してる。
染五郎大蔵卿は
「こんなぶざまな生き方こそ、ほんとの男の生き方だ!」っていう
運命受容型、自己肯定型、むき出しのカッコよさなの。

いろんな人の見比べは、本当に楽しい。
彼らがこれからお芝居を重ねていく間に、また変容していくのを見守るのもうれし。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昼の部は、都合がつかずに見られませんでした。
松緑丈の「暗闇の丑松」ものすごく評判がよいです。
観たかったな~。
丑松のブロマイド、1枚買ってしまいました。







Last updated  2013.04.01 11:38:39
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2013.03.27
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
本日、歌舞伎座の開場式でした。
お練りは雨で大変でしたね。
私は仕事があったので、テレビ中継を録画してさきほど拝見しました。

先月は、
「月刊スカパー!」3月号中村勘三郎追悼の特集記事を書かせていただきました。
3ページで、渡辺えりさんの談話も入っています。

そして4月号には、同じく特集で「新・カブキ座のススメ」を書きました。こちらも3ページ。

「歌舞伎のミライを創る若手8人」というページもあります。

ここでいう「若手」っていうのは、「花形」にあたる30代の面々なんですが、
今日のお練りや最近のワイドショーでの取り上げ方をみると、
すでにその下の世代に世間の眼が移りつつあるのを実感。
私も本文のなかで、中村壱太郎や中村歌昇など、その世代についても言及しています。

哀しいことの続いた冬でしたが、
若芽が芽吹いて花が咲く、そんな歌舞伎界になってほしいですね。






Last updated  2013.03.27 22:36:10
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2013.02.04
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
ようやく、勘三郎の逝去を受け入れられたかと思ったら、
今度は團十郎の訃報が……。

不安はあった。
夏ごろから、團十郎の声にかすれが混じり、
体調が万全でないことがうかがわれた。
勘三郎休演の穴を埋めるため、團十郎も仁左衛門もフル回転で、
二人とも大病を経験しているだけに心配していた。

病状について、あまり情報が出てこないことも、
勘三郎丈のときと似ていたから、恐れてもいた。

だから、突然の訃報とはいえ、
衝撃はない。
衝撃ではなく、暗い穴の中にゆっくりと引きずり込まれるような
なんとも重苦しい気持ちである。

いったい、
歌舞伎座の幕はどうやって開くのだろうか?
これからの歌舞伎界はどうなってしまうのだろう?

海老蔵がしっかりと父の死を受け止めているようで、
コメントに少し救われた気がする。
もっとも悲しく、もっとも不安な人に救われてどうする、と思いつつ、感謝。

当面のこととして、
歌舞伎座の公演の代役探しが心配だ。
六月の「助六」は海老蔵がやるだろうけれど、
四月の「鶴寿千載」の雄鶴、「弁天小僧」の日本駄右衛門をどうするか。
五月の「三人吉三」の和尚吉三、「石切梶原」の大場三郎も。

大幹部が首を揃えての公演が続くので、それなりの風格がないと釣り合わない場合がある。
それでまた誰ぞが無理をして、体調を崩すというドミノ倒しにならないことを
切に、切に望む次第である。
他の公演との重なりや、初役であれば稽古の準備など、難しいことが多いだろうけれど、
もし若手が抜擢されたのなら、
この緊急事態をうまく乗り切ってそれを力とし、成長していってもらいたい。

テレビの報道を見ていて、
團十郎丈が最初に白血病に倒れたのは息子・海老蔵の襲名公演の最中で、
57歳であったと改めて思いだす。

勘三郎丈も、息子勘九郎の襲名公演のさ中に病気がみつかり、享年57歳。
襲名披露とは、それだけ大変なものであり、
57歳という年齢も、「80歳に比べればまだまだ」という単純な比較では語れない、
大きなストレスのかかる年代なのかもしれない。

團十郎丈は、2度の「無間地獄」を通り抜け、
その後も長く舞台に立った。その生命力をこそ讃えよう。

ご冥福を心から祈ります。合掌






Last updated  2013.02.04 11:34:04
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2013.01.12
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
チケットがとれず、
とても評判がよかったので、残念に思っていたところ、
お正月にWOWOWで放送してくれたので、観ることができました。

やはり三谷幸喜はただものではないな~、というのが第一声であります。
そこにあふれ出る文楽へのリスペクトと愛情がハンパない!
だからこそつくりあげられた新作だ、と思います。

また、
同じくWOWOWさんにも一礼。
平成中村座の放送のときと同じく、放送の仕方にものすごく工夫のあとがある。
いきなり本編に入るのではなく、
文楽のしくみの特徴や人形の素晴らしさ、
あるいは語りやお囃子の重要性についてきちんとそれも面白く紹介、
「見てみたい」と思わせてくれるし、
見ながら「なるほど、さっき言ってたのはこれね!」と響くこと響くこと!

私も勉強になったし楽しめましたが、
文楽初体験の夫や娘も、見入っていましたし、
「今度劇場で本物を見てみたいな~」と言っていました。
すごいことですよね、これ。

「文楽を理解し、愛し、ファンになってもらいたい」気持ちが伝わってきました。

それは、
今回三谷文楽を作り上げてきた文楽の技芸員の方々とて同じこと。
三谷さんのありとあらゆる「新しい試み」に協力しつつも
三谷さんが「(スペクタクル場面で)本水を使いたい」と言ったとき、
「人形はすべてがつくりもの。水がなくても水を使っているように見せるのが文楽」と
その本質をきちっと説明して違う角度からの挑戦を促しました。
それに対し三谷も
「なるほど! こうなったら全部つくりものでやってやる!」と意欲を見せます。
こういう対等かつ敬意をもったやりとりができる関係というのが素晴らしい!

「古いもの」と「新しいもの」は決して相反するものではないこと、
どこは踏襲し、どこは新しくできるか、
そこを皆で学びながら深め、広げていけたこの三谷文楽は、
文楽の未来の一つの形を示したと思います。

新作ながら「曽根崎心中」や「心中天網島」の名場面は
劇中劇のようにしてそのままやっているのもステキ。

でももっとも感じ入ったのは、
「文楽は大阪のもの」という大きな核です。
大阪弁でやったからこそ、
たとえ現代語でつくったとしても浄瑠璃にうまくのれたのだと思う。

大阪が、世界に誇る文化遺産。
「遺産」といっても「現在生きている遺産」であり、
これからもずっと進化し続ける伝統です。
大事にしたいと思いました。






Last updated  2013.01.15 10:45:05
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2013.01.10
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
中村壱太郎が初役・お園に挑む「毛谷村」
市川海老蔵の弁慶、片岡愛之助初役の富樫が繰り広げる「勧進帳」
市川宗家を代表して海老蔵が供する「にらみ」付きの口上
若手の舞台ながら大変見どころのある第二部を観ました。

まず「毛谷村」
一昨年、松竹座でこの全体の物語「彦山権現誓助剱」を通しで見ている。
六助は仁左衛門、お園は孝太郎。愛之助は敵役の京極内匠(微塵弾正)で出ていた。

そのときのレビューはこちら

愛之助が悪役としてはちょっとこぶりで、
主役が出てくる後半までひっぱるだけの力に欠けていたため、
「どちらかといえば、愛之助が六助、弾正が仁左衛門のほうがバランスがよかったのでは?」
「あるいは弾正は亀鶴」と書いたら、
配役がそのとおりになって愛之助vs亀鶴なのでとても楽しみに劇場へ。

結論から言うと、
やっぱり義太夫ものの名場面っていうのは、俳優の力量がものすごく問われる。
その残酷なまでの事実を見せられた気がした。

亀鶴の弾正はやはりニンだった。
ただし、この弾正がものすごーく悪いヤツだという余韻が残らない。
松竹座のように「通し」であればこの程度でOKだけれど、
お客さん、弾正の「過去」を知らないので、もっと悪辣な感じで退場しないと。


壱太郎のお園。
一言でいうと、まだまだ。
この場面は孝太郎と福助、二人のお園を見ているが、
彼らの「メリハリ」の小気味よさに比べ、
壱太郎は「ニセ立ち役」と「通常の女方」とを並べているだけ。
お園っていうのは、「男勝りな女性」であって、どちらかというと現代的な女性なので、
虚無僧姿のときも女性とわかってからも、基本現代の女性の感覚のほうがより真実味がある。
そんな「デキる女性」「賢い女性」「やり手の女性」だからこそ
「女房じゃ、女房じゃ!」とぶりっ子するのが面白いのだ。
なのに壱太郎は、後半「ヨヨ」と泣きすぎる。
あんな「女っぽい弱気」じゃなくて、「男っぽい健気」さで、悔し涙にくれたほうが
ずっとキャラが統一されてわかりやすい。
でもときどきぶりっ子。
でも戦いはじめると豪快。
そこが爽快で、ちょっとかわいくいじらしく、そして笑えるのである。

剣豪の長女にして女ながらに剣の使い手、
長女らしい頼もしさで尊敬する父亡き後の一家を支えつつ仇を探して遍歴する、
お園の責任感の強さと賢さは、
「ヴェニスの商人」のポーシャをほうふつとさせる。

「女に生まれた運命の悲しさ」と「意中の人と結婚できる幸せをつかんだ喜び」
そのギャップが
「女房じゃ、女房じゃ」のセリフに凝縮されている。

こうした悲喜劇性を、孝太郎や福助は一瞬で表していたのである。
これから、壱太郎のお園がどう変化していくか、見守りたい。


愛之助の六助。
最初はいいんだけれど、お園がセリフをまくしたてたり活躍したりの間、
それをしっかり受け止める演技ができていない。

お園がニセの虚無僧だったり、女だったり、いきなり女房気取りになったり、
尊敬する剣豪の娘とわかったり、さすがの剣の技で侵入者を手玉にとったり、
そういう一つ一つに対し、六助がどう感じているのかが見えなかった。

これを見て、仁左衛門の六助の凄さを改めて思い知る。

親孝行で気のいい田舎者でありながら、居並ぶ者のいないほどの剣豪、そして正義漢。

この演じ分けを仁左衛門は表情一つで刻々とやってのけていた。

最初の弾正との申し合いからして、
愛之助は「あ、もしかしてわざと負けてる?」と観客が感じ取ることのできる演技ではなかった。
「わざと負けた」ということは、あとのセリフで「そうだったんだ」とわかった次第。
まあ、この場面に関しては、仁左衛門のほうがずっと演じやすかっただろうけれど。

ということで、
「毛谷村」、この3人での宿題再提出、期待してまーす(笑)。

さて、「勧進帳」

これも「毛谷村」同様、名曲というものは本当に難しいものだということを実感。
いやお囃子はよく響いて心地よかった!
そのお囃子に乗って、出てきた海老蔵の存在感の素晴らしいこと!

四天王が小粒というか、壱太郎も種之助も松也も女方ということなのか、
所作にきびきびとしたスピーディーさがないのと対照的に、
海老蔵の弁慶が楷書の演技で際立った。

愛之助の富樫も、最初の名乗りが朗朗として立派!

この2人でどこまでいってくれるのか、と期待がふくらんだ…のだが…。

やっぱりそんな甘いものではありませんでした。

この前、幸四郎と梅玉の至高の勧進帳に酔ってしまっただけに、
中盤の、一本調子のだれようにちょっと腰砕け。

富樫は
最終的に「義経一行とわかった」上で通すのだけれど、
では、「いつ」義経だとわかり、「なぜ」鎌倉の命にそむいて通そうとしたか、
その心理の変化がまーーーったく見えなかった。
だから、
本当は弁慶と同じくらい重い役にもかかわらず、
山伏は通さないって言っておきながらニセの勧進帳をまんまと信じ込み、
おみやげまでつけて通そうとしたところを家来の注進で一回止めて、
弁慶に「なぜ止めた」とくってかかられ「だって家来が…」と責任逃れし、
最後はなんだか知らないけどやっぱり通してあげることになって、お酒までふるまうという
一種のバカ殿みたいに見えてしまった。

そして弁慶。
海老蔵っていう人は、本当に不思議な魅力を持った役者で、
そこに「いる」だけで舞台に力がこもる、その存在感は本当に見逃せない。声もよい。

しかし、セリフが悪い。
口上で静かに話す声の良さが、セリフに全然生かされない。
専門家がよく海老蔵に「もっと浄瑠璃を学べ」と言っているが、
なるほどそういうことなのか、と最近思う。


だが、そういう技巧的な部分より何より、「肚(はら)」が見えないことが致命的。

必死で白紙の勧進帳を読み、
希薄で富樫との問答を喝破し、
地獄に落ちる覚悟で主人の義経を打擲し、
愛嬌と懐の深さで大酒を飲み、
知略の人として一行を逃げさせる、
その「弁慶」という人の肚がまったく見えないからつまらないのだ。

弁慶の人物の大きさ、
豪快だが主人の前では子どものようになってしまういとおしさ。
危機にあっては鬼神のような恐ろしさ。

そうした「肚」が、海老蔵の弁慶にはありませんでした。

大幹部と呼ばれる人たちの凄さを思い知った正月最初の歌舞伎とはあいなりました。






Last updated  2013.01.12 19:19:15
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2013.01.09
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
昨年暮れから歌舞伎の公演を途中休演、入院して療養を続けていた團十郎さんが主役の3月公演「オセロー」が、公演自体中止となりました。

詳細はまた後程。

(追記)

3月、ルテアトル銀座では、
「オセロー」の代わりに「花形歌舞伎」と銘打ち、
市川海老蔵主演で「夏祭浪花鑑」と「高坏」をやることが
松竹のHPに発表されています。

「夏祭浪花鑑」は、この前もなかなかよかった。
若手の座組も魅力的。
亀鶴と海老蔵なら見栄えもするし、亀鶴なら安心。
だけど、
大事な脇が小粒なのが気になる。
お梶もちょっと…。

そういうことも考え合わせると、
価格設定がどうなのかな~、とは思いますが、
「オセロー」で設定した金額を引き継ぐので、仕方ないのかな。
海老蔵さんを観たい人は、まったく問題ないですけどね。

だけど、「オセロー」のほうは團十郎・海老蔵親子だけでなく、
朝海さんとか水野さんとか、
ファンを引き連れてきてくれそうなキャストが複数いたことを考えると、
それで大丈夫か?って思っちゃいます。

・・・というような私らの不安を払しょくするいいお芝居をして、
大入り満員となりますように!








Last updated  2013.01.10 08:21:41
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2013.01.06
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
昨年六月の澤瀉屋の襲名披露公演(&追善公演)に向けて、
香川照之(現中車)と先代猿之助(現猿翁)の親子の奮闘ぶりに密着した番組。

猿翁丈の、復帰に賭けるリハビリの壮絶さに
72歳でここまでやったんだ、と改めて頭が下がる思いでした。
ほんとに、奇跡の復活だったものね。

8年ぶりに、自分で自分の化粧をするときの、ちょっと戸惑ったような空気。
しかし、思った以上にしっかりとした手つき!
「舞台人が、舞台に立つことでなせるわざ」とか思っていましたが、
「復帰する」という覚悟と努力がなくてできるものではなかったのでした。

それもこれも、
「これを逃したら親子で共演は難しい」
「今のうちに、すべてを伝えたい、おしえたい」
という中車に対する思いからだったんですね。

これまで、
「香川照之」の側から彼の「復帰する」物語を見ていたので、
父親として、「復帰させる」側としての覚悟の重さを突き付けられました。

この正月、大阪松竹座で、中車が石川五右衛門という大役に挑戦しているのも
これでナゾが解けた、という感じです。
体調を崩しながらも必死で稽古をつける猿翁の情念の強さ。

「彼にできるかどうかわからない。できたら奇跡ですね」

そうなんだ。
「できると思ったからやらせてる」わけじゃない。
「できなくてもいい、やらせたい」んだ。

その父の思いにこたえ、
震えながら、恐れながら、怖くても初日をあける中車の壮絶さも、また。

「役がつく」
これが「後ろ盾」の強みなんだな、と、つくづく思いました。

中車47歳。
猿翁72歳。

72歳にして復活し、完璧ではないにしろ動く口と体を使い、弟子の口を使って
アタマの中にあるすべての芸を、息子に渡そうとする猿翁。

勘三郎はまだ57歳だけれども、もうそれができないのだな。

でも。
「孝行したいときには親はなし」というくらいで、
親子というものは、そうやってすれちがうようにできているのかもしれません。

意地を捨て、恥を捨て、全人生を賭け、
歌舞伎に、父に、飛び込んでいった中車と、
それに手を貸した亀治郎(現猿之助)こそ、
本当に奇跡を起こした人たちだったのかもしれない。

(浜木綿子と猿翁と中車の稽古場でのスリーショットには泣けた)

「小栗栖の長兵衛」の六月初日を見ながら、
声のつぶれる前の中車はいいじゃないか、と思った。
いいけど、やはり歌舞伎は長丁場
声がつぶれてしまうような発声ではこれからも難しいだろう。
また、
テレビ番組のために集音しての声と、劇場に響く声とでは
少なからず印象が異なるのも事実である。

ただ
今月の「石川五右衛門」初日を見ると、ニンでもないのによくやっていると思った。
やはりただものではない役者である。
長い目で見ていきたい。

47歳だけれど、猿翁の72歳まではあと25年ある。
「中車」の名前が似合うようになる日が、きっとくるだろう。
応援したいと思った。

香川照之の歌舞伎への思い、父への思いについては、
こちらこちらもどうぞ。






Last updated  2013.01.07 13:16:22
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2012.12.28
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
尾上菊五郎・菊之助が初役で演じる「籠釣瓶花街酔醒」を観たくて行きました。
(観劇自体は南座より前)

今度中村勘三郎追悼で急遽年明けで上映することになった「シネマ歌舞伎」でも
この「籠釣瓶~」をやります。
このときは勘三郎と玉三郎。

田舎の商人で顔じゅうに疱瘡のあとがある、という設定の佐野次郎左衛門が、
吉原一のおいらんである八ッ橋を請け出す寸前にこっぴどく振られ、
その恨みで数か月後に八ッ橋を妖刀で斬り殺してしまうというお話。

八ッ橋は売れっ子だけど、玉三郎は「誇り高き」おいらんというより、
人と人との間をさまよって廓に流されついたような主体性のなさを強調、
そこがかえってはかなさ、せつさな、可愛さを醸していました。
勘三郎は「いかにも」な、都会擦れしていない純朴な田舎商人として演じています。

今回、菊五郎は初役です。
彼は次郎左衛門を
吉原の華やかさに度肝を抜かれたおのぼりさんというよりも、
田舎の人間だってそれなりに作法をわきまえれば洗練されていくものだよ、という
自分に自信のある男として演じます。

そんな次郎左衛門に対し、八ッ橋は一刀両断で「いやでござんす」と
公衆の面前で身請け話をドタキャン。
八ッ橋を見せて自慢しようと地元の人間を連れてきていた次郎左衛門は
面目まるつぶれです。

彼は彼で廓で「田舎者」と言われぬように、
「きれいに遊ぶ」客として自分を高めていったのだから、
おいらんと本気の恋を望んでいたとは思われたくない。
けれど、「いやな客」とだけはとられたくない「研鑽」のすべてを否定されてしまう。
そんじょそこらのお客より金ばなれもいいし、廓の衆は彼を称賛していたのだから、
本当に愕然としたことでしょう。
「なんで今さら。そんなことなら最初から言ってくれればこっちだってそのつもりで」と
文句の一つもいいたくなります。

実は八ッ橋、
自分によくしてくれた客として、次郎左衛門に感謝の気持ちがあります。
だから、ここは「芝居」。
でも芝居とはいえ真夫である栄之丞に心中立てするからには、
あちこちのお客にいいように媚びを売ったりするのを潔しとしません。
だから悪いと思いながらも決然と「芝居」するんですね。

玉さんの八ッ橋は、
まあどうせお客なんだし、エイギョーでおだてもすればつれなくもするのが廓のならい、
向こうだって、商売女のコトバなんかハナから本気で聴いたりしないはず、みたいに
ウソをついてる、だましてる、という感覚がない。
玉三郎は、この八ッ橋を「助六に出てくる揚巻とは異なるタイプのおいらん」と位置付け、
役作りしたと述べています。

しかし菊之助の八ッ橋はそれとは違う解釈です。
「所詮売り物買い物」という次郎左衛門の言葉は、逆に
八ッ橋の喉を、小骨のようチリチリと突き刺したに違いありません。

「売り物買い物」にだって、心はある。

「芝居」で始めたはずなのに、最後は「カネの力でどうにでもなると思いなさんな」っていう
本気のタンカになっていく。
それこそ「売り物買い物」の女として生きねばならぬ日頃のうっぷんが、
この場面に収れんされていく必然性が、菊之助の八ッ橋には見えるのです。
そこが玉三郎の、あまり自分というものを持たず、
やりたいことといえば愛する男にいい着物買ってあげちゃったりすることくらいで、
フラフラと周りの者のいいようになってしまう八ッ橋との、決定的な違いです。

どちらが好みかっていうのは、人によって違うでしょうし、
まず「いい男代表」の菊五郎が、「顔はあばたの田舎者」になること自体にムリがある、
という違和感もぬぐえません。
弱きものが窮鼠猫を噛む的に復讐するというよりは、
最初から自尊心と翳りを秘めた男として存在する次郎左衛門は、
菊五郎がなるべくしてなったキャラクターともいえます。

菊之助は、
苦界に身を沈めても、自分を失わない女が似合います。
御園座でやった「伊勢音頭恋寝刃」のお紺は「武家の娘」という出自が色濃く、
その「女のプライド」が二重三重の「実は」とあいまって、ものすごく魅力的でした。

ただ今回も含め、どんなおいらんをやってもあまり違いが出ません。
若いから、解釈も一直線なのでしょう。
水に馴れ、やさぐれていく女の臭いが漂うには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。

これから経験を積んでいくうち、違うタイプのおいらんも演じるようになるその日を楽しみにします。

三津五郎丈の「奴道成寺」は、「娘道成寺」の男性バージョンとでもいいましょうか。
何かの本に書いてありましたけれど、
「立ち役も道成寺を踊りたかった」んだなあ、と。
それでつくられた演目なのだと実感しました。
それほど、「道成寺」という演目は、踊り手にとって一つの高みなのでしょうね。

*今回、昼の部は見ませんでした。
私、「御贔屓勧進帳」ってどうも好きになれなくて。
「首のイモ洗い」っていうの、リアルに感じちゃうほうなんで。あしからず。






Last updated  2012.12.30 23:42:28
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2012.12.27
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
「あなたはせっかちで、エレベーターのドアが開くのも待てず、
 ドアをこじあけようとしていたところを見たことがあります」

勘三郎の、そんな姿、想像できてしまいます。
本当に、生き急ぎ、あっという間に向こうに行ってしまいましたね。

「安らかになんか眠ってほしくない。このへんをウロウロしていてほしい」

「化けて出てきてくれ」

と、野田秀樹は言いました。
「のこった方が、先にいった方の葬儀委員長になる」
そう約束した勘三郎と野田秀樹でした。
そうはいっても、やっぱり委員長は松竹のお方になってしまいましたけれど、
野田さんも、委員の一人にはなっておりました。

「化けて出てこい!」というのは、
彼がつくった戯曲「パンドラの鐘」の最後のセリフです。

誇り高き女王であったヒメ女が
自らを戴くクニを守るため、そのすべてを一身に引き受け死んでいったとき、
その女王を一人の女として愛した男、ミズヲが
彼女の生きざま、死にざまを見守り、支えながらも、
血を吐く思いで魂から絞り出した叫び。

「化けて出てこい!」

書いた野田秀樹も、ヒメ女を演じた大竹しのぶも、築地本願寺にいて
こんなコトバを、こんなに早く、勘三郎に弔辞で発するなんて、
誰も思いもしないことでした。

どんな形でもいいから、そばにいたい。そばにいてほしい。
それが、
勘三郎を愛するすべての人たちの願いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三津五郎さんの弔辞も身に染みました。

「肉体の芸って、つらいね」

三津五郎さんのいまだ若々しい声を聴きながら、
同い年の勘三郎さんの、あの肉体がもうこの世にないことが不可思議でなりません。

若き二人が踊った「棒しばり」、私が初めて「すごい」と思った歌舞伎舞台です。
何も知らない私でも惹きつけられました。今でも忘れられません。

それにしても…。

テレビのコメンテーターが勘九郎・七之助に対して
「(勘三郎さんのように)新しい歌舞伎をめざしてほしい」とかエールを送っていましたが、
そりゃちがうでしょ。

12000人の人々がお弔いの列をつくり、
行けなかった人も含めたくさんの人が彼の死を悼んだのは、
「新しい歌舞伎をやったから」なんて単純なもんじゃないよ。

奇しくも三津五郎さんが言っている。

「君は交友関係も広く、活動の場も広かったから、
 さまざまな人の心に、さまざまな思いを残したと思うけど、
 僕は50年間一緒に芸を勉強し続けた友人として、
 不屈の信念で体に宿った魂、 人の何倍もの努力によって培った芸のすごみで、
 誰にもマネのできぬ芸の境地に立った歌舞伎役者だったことを、伝え続けたいと思います」

ま、勘三郎が好きな人は、みんなわかってるけどね。

「のりちゃん、君はすごいです。僕は負けました」

仁左衛門さんが高らかにおっしゃった。
仁左衛門さんと勘三郎さんの「沼津」も、もうあれが最後なんだな~。
娘役の孝太郎さんを抱きしめながら、
「ええわい、ええわい…」とつぶやいた勘三郎さんの顔、声…。
思い出しただけで涙がこぼれます。

つらい、つらい、年の瀬になりました。
合掌


(追記)
いつまでアップされつづけるかわかりませんが、
みなさんの弔辞全文がアップされていますので、はりつけておきます。










Last updated  2012.12.28 13:27:02
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2012.12.24
カテゴリ:歌舞伎・伝統芸能
今回は、はじめ夜の部だけにしようかと思っていたが、
昼の部も観ることにして本当によかったと思っている。

「壽曽我対面」については(1)でも書いたが、
改めてこの演目がよくかかることの意味を噛みしめた。
また、今回は本当にスター揃いで華やかだった。
平成中村座のとき、役者も舞台の幅も「物足りない」と感じたのと対照的。
老舗南座の、顔見世興行の、この顔ぶれでこそ成立する演目だと思った。

「佐々木高綱」は初見。
岡本綺堂らしい権力に物申す正義と反骨精神と人間愛の物語。
我當の大きさが立派。ともすれば理屈っぽくなるセリフ劇を、
抑揚のある声量豊かな声で喜怒哀楽を吹き込んでくれた。
孝太郎と愛之助の兄弟は、
ちょうど曽我十郎と五郎と反対で、姉がかたき討ちにはやり、弟がいさめる形。
人の好さそうな愛之助のところに、姉役の孝太郎が訪ねてきたその瞬間、
物語がぐーっと動き出すところが見事だった。
ギリシャ悲劇の「オレステス」をほうふつとする。
我當、孝太郎、愛之助、と松嶋屋が手堅い演技で見せた。

続く「梶原平三誉石切」
よく見る話だけれど、「佐々木高綱」とセットで見ると、
登場人物につながりがあるのでいつもとちょっと見方が変わった。
休場の團十郎に代わり、梶原は翫雀。
私は翫雀、好きだな~。この人、なんでもしっかりこなせるいい役者だ。
残念なのは、小柄なこと。もうひとまわり大きければ、という恨みが残る。
でも好き。

「廓文章・吉田屋」
私は仁左衛門・玉三郎のものを観てしまったので、
藤十郎の伊左衛門ってどうなんだろうって思っていたのだが、
やっぱり藤十郎はすごい!
ていうか、別物。
いわゆる「ぼんち」って、つまりこういう人だよな~って納得。
勘当されて尾羽打ち枯らしても、ふっと匂う金持ちのわがままさっていうか、そういうの。
「なんなのコイツ」っていう感じと、「かなわんな~」っていう感じ。
そうなんだよね。
初めて藤十郎で「河床」みたとき、紙屋治兵衛にまったく感情移入できなかった私。
あの時に比べると、少しは「ぼんち」を容認(笑)できるようになったかも。
いずれにせよ、同じ上方とはいえ、これは仁左衛門では出ない味だな。
仁左衛門と玉三郎だと、
伊左衛門さんいい男すぎちゃって、夕霧にスネるところも甘えてるだけみたいに見える。
藤十郎の伊左衛門は、ほんとイケズ。何様?って感じ。
お金もないのに何いばってんの、的な。ブツブツ文句ばっか言うし。
でも、そういう伊左衛門を、夕霧は愛してるのよね。
この夕霧を演じる扇雀が、もう最高に素晴らしい!
ふて寝している伊左衛門に、口づけせんばかりに顔近づける夕霧のせつなさ。
伊左衛門のどんなイケズもいとわない。
来てくれてうれしい。会ってくれてうれしい。生きていてくれてうれしい!
病気にまでなっちゃった夕霧の、愛の深さをおしえられました。

ほんとに、昼の部観てよかった。
(ちなみに、こちらが玉様と仁左衛門丈の「廓文章」レビュー。)

夜の部、
「仮名手本忠臣蔵」は(2)に、「船弁慶」は(1)に、詳しく書きました。
ここで付け加えるとすれば、
藤十郎の義経が放つオーラでしょうか。
「廓文章」のときもそうでしたが、花道に登場したそのときから、
ほかの人とは明らかにちがう存在感で輝きまくります。
目が吸い付いていっちゃうの。
義経の地位の高さと、若さ・青春と。どちらも感じさせる藤十郎が、すごすぎる!


夜の部最後は「関取千両」
「双蝶々曲輪日記」の「角力場」みたいな話です。
橋之助も翫雀も、関取の役はとても似合います。
このお話の結末を見届けたとき、口から出てきた言葉は

「男ってバカだよな~」

であります。
恩人の女を請け出すために、自分の妻を売ってどうすんじゃ!!
それも、妻が自ら売られていったのに、
「何にも言わぬ!」とか言っちゃって見送ってさ。
妻が決断してなければ八百長やってわざと負けるつもりだったわけだし。
正義より、愛より何より、義理が大事なわけだ。

まあ、
勘平だって似たようなもの。
盗みも妻の身売りも、すべてが忠義のためですから。

結局、歌舞伎って、バカな男の話の連続なんだよね。
バカだけど憎めない。
アホだけど、そんな男に女は尽くす。
理不尽だけど、
理不尽こそが人生だ。
お芝居を見に来る庶民は、自分の人生の理不尽さを噛みしめつつ、
その理不尽さの中にきらりと光る真の愛を見つけ、
その脇に咲く仇花の可憐さに目を細め、
ちょっぴり胸のすく思いで日常に戻っていく。
そんな力が、歌舞伎にはあるんじゃないか、と、改めて考えたのでした。

今回、南座はお囃子や義太夫がとても充実していました。
顔見世ならではでしょうか。
楽しませていただきました。






Last updated  2012.12.24 22:45:18
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