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太宰治

2015.06.19
XML
カテゴリ:太宰治
太宰治が生まれ、かつ彼岸に旅立った日、6月19日を、「桜桃忌」と言います。

太宰作品についてのレビューをまとめてみました。

こちらまでお立ち寄りください。






Last updated  2015.06.21 17:50:38
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2012.08.06
カテゴリ:太宰治


ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ 【DVD】

ダメンズを愛した女の生きる道

監督:根岸吉太郎
販売元:ポニー・キャニオン

ストーリー●戦後の東京。
大谷(浅野忠信)は著名な小説家だが酒ぐせ女ぐせが悪く、
妻と息子の待つ家には寄りつかない。
懇意の居酒屋で大金を盗むという愚行に走った大谷の借金のカタに、
サチはその店で働くようになる。
それを機に、夫婦の力関係は少しずつ変わっていく。


酒は飲む女はつくる、嫉妬はするカネは入れない心中はする。
このダメ亭主に尽くし続ける糟糠話のようにも見えるが、
妻サチをあっけらかんと演じる松たか子に生活感があってよい。
ヴィヨンとはフランスの泥棒詩人の名。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」とは、
戦後を生き抜く女たちへのエールである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この映画については、ほかにもレビューをいくつか書いています。
こちらこちらをどうぞ。






Last updated  2012.09.17 11:02:32
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2012.08.05
カテゴリ:太宰治


【送料無料】人間失格 豪華版 [ 生田斗真 ]



【送料無料】人間失格 [ 生田斗真 ]

文体を具現化する映像の力

監督:荒戸源次郎
配給:角川映画

ストーリー●津軽の裕福な家に生まれ、貴族議員を父に持つ大庭葉蔵(生田斗真)。
平凡な家族愛に恵まれなかった孤独な少年時代は、
はにかみ屋の横顔の下に御しがたい恐怖の自画像を生み出す。
人並みはずれたコンプレックスとプライドのはざまで、
葉蔵は自分の人生を確立できないまま酒と薬に溺れ、
女たちの間をさまよっていく。


「人間失格」は、太宰治のファンであれば必ず読む代表的な初期の作品で、
太宰の自伝的な小説として知られる。
葉蔵を通してなされる過激な心情の吐露は、
特異なエピソードの連続でありながら、若者にありがちな心の空洞を
鮮やかに代弁し、熱狂的なファンを獲得してきた。
しかしこの小説の命は、
たたみかけるような文体の迫力、ざらついた生の肌触りであり、
はっきりした起承転結の印象は残りにくい。
名作でありながら、今まで映画化・ドラマ化がなされなかった所以だ。
荒戸監督は、原作を忠実になぞることよりも
一つひとつの文章から汲み取れる心象を大切にし、
それらを美しい映像に置き換えて成功している。
原作にない中原中也(森田剛)との場面も秀逸で、
古書店先でのやりとり、トンネルの中に降りしきる赤い花びらなど、
文学的で美しい映像が太宰の世界をより深めていく。
2009年は太宰治生誕百周年で、さまざまな作品が映画化されたが、
これこそ太宰を読みつくし愛しつくした人間の作った映画といえよう。







Last updated  2012.09.17 10:34:42
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2009.12.09
カテゴリ:太宰治
三鷹市は、市制施行60周年プレイベントとして、
生誕100年記念写真展 太宰治の肖像
を、12/23まで、三鷹の芸術文化センターでやっているそうです。

トンビを着てうつろな目をしている太宰の顔、顔、顔。
手酌で酒を飲んでいるところ。
その背後の障子はどこもかしこもアナが空いている……。

ちょうど「ヴィヨンの妻」の頃ですかね。
終戦後、三鷹に住んでいた太宰。

「人間失格」の文庫についていた奥野健男の解説に、
太宰は人間としての人生は、
27歳のときに終わったと自分で思っていて、
そこから先は、ただ作家として生きてきた、
そしてそのいきさつを、
「人間失格」ですべて吐き出して、
もう思い残すことがなかったから自殺した、
それが、40歳のときだった、と書いています。

だから「人間失格」のラストは
「自分はことし、二十七になります。
 白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます」
と結ばれている、と。

この解説を今読んで、それから当時の写真を見ると、
また今までと違った感慨が湧いてきます。

どす黒い「自分」を内包しつつ道化を演じていた若いとき、
その「自分」を飼っていたところは空洞のまま、
道化だけで生きようとしたその後。
太宰の「本当の自分」は、誰にも理解されぬまま、葬られていたのかもしれない。
だから
「死のうか」ってすぐなっちゃうんですよね。
お前は既に死んでいる、状態なんだから。

写真の中に閉じ込められた太宰の瞳にうつっているものを
また追ってみたくなりました。

*昨日、アクセス数が30万を超えました。
 みなさん、いつもありがとうございます。
 もうすぐブログ開設3年になります。

文化センターでは、本日12/9、
「ヴィヨンの妻」の朗読会もあるそうです。
(事前申込みが必要のようですが、関心のある方は問い合わせてみてください)









Last updated  2009.12.09 09:01:01
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2009.12.04
カテゴリ:太宰治


「ヴィヨンの妻」遅ればせながら、観てまいりました。
映画としての出来は置いておいて、
太宰作品の映画化として、どうだったのか。
ここでは、
原作小説との比較という形で、私の考えを書いていきます。



ヴィヨンの妻改版

酒は飲む、女にはだらしない、カネは盗む、心中はする、
自分のことをタナに上げて、妻が男に取られるのはイヤ、
家にもろくすっぽ帰らない大谷(浅野)に、
妻のサチ(松たか子)は、なぜここまで尽くすのか。

それを二人のなれそめである「万引きでつかまって交番にいるところを、
弁償してとりなして助けてくれたから」っていうことにしちゃったのが、
なんといっても最初のアヤマチのような気がする。

サチっていう女を、監督や脚本家は理解できぬままに構築してしまった感がある。
サチは浅草で父とおでんの屋台をやっていた。
そこへふらっと飲みに寄った大谷とデキてしまって
妊娠して一緒になった。
一緒になったとはいえ、親に許しをもらったわけでもなく、
内縁の妻だった。

「内縁の妻だった」ってところ、
まーーーーったくムシ。
これは「人間失格」のヨシ子(石原さとみ)もそうだけど。

アマタ女のいる男をめぐる争いに勝つには、「妻」でいる必要がある。
一軒家を構えているか、
仕事関係の人に「奥さん」と呼ばれているか、
子どもが「父ちゃん」と彼を呼ぶか…。

自分が「妻」であると確認できる仕掛けを作らなくては
他の女との差別化ができない。
そのとき、もっとも確実かつ問答無用の印籠が「紙切れ」なのだ。

しかし、
サチに「紙切れ」はない。内縁だから。
でも、ほかの愛人とは違うところをみせたくて、
「主婦」におさまっていた。
何日も家を空けられても、カネが一銭もなくて子どもを医者に見せられなくても、
「家」を守る「主婦」でいようとした。

ところが大谷の借金(というか、初めは盗んだカネの返済)のカタに
椿屋という居酒屋で働くことになる。
客あしらいのいいのは、おでん屋での経験があるからだ。
「主婦」のサチは仮の姿で、水商売のほうが合っている。
だから
サチはすぐさま看板娘に。美人だから、だけではない。
サチも慣れない仕事じゃないから楽しい。

ポイントは、
「夫」である大谷が「椿屋のサッチャン」に会いたくて、
二日に一度は店を訪ねるようになるところだ。
そしてサチにツケて飲む。

「私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものになりました。
 …(中略)…これまでの胸の中の重苦しい思いが、きれいに脱ぎ去られた感じでした」

脱・主婦宣言である。
「家」にしがみついて「私は彼のツマなのよ!」というのに疲れたのである。
彼のいない時間を楽しく過ごせるだけではない。
お金が稼げるだけではない。
椿屋のサッチャンでいるほうが、彼も寄ってきてくれる。
「夫」と一緒にいられる時間が長くなるのだ。

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」

椿屋から家まで、親子三人で帰る道々、サチは大谷に言う。
ここは映画でも使われているが、
映画だけを観ると、
こうすれば、お金の心配がないじゃない、みたいな理由しか浮かんでこない。

少なくとも、私はそうだった。
普通、奥さんが居酒屋で働くって、ものすごく決意のいることだし、
それも新聞にも電車の中吊りにも名前が躍るような有名人の妻ならなおさら。

だけど、
もともとお酒が縁で一緒になった「内縁の妻」なら、
全然話が違う。
「元に戻った」から幸せなんだ。
無理しなくなったから、幸せなんだ。

それを「女には、幸福も不幸も無いものです」と一刀両断な夫。
でもサチは、
「わからないわ、私には。でも、いつまでも私、
 こんな生活をつづけて行きとうございますわ」と高らかに言い放つ。
この
すでに夫に庇護されようという気持ちの抜けたサチの強い自立心は、
映画ではうやむやにされてしまった気がした。

すべてが男目線なのである。
店の常連である男との一件も、塗り替えられている。
原作は、初めての客が家に押しかけてきて、泊めてやったら犯されたっていう、
もうあっけないものでございます。
そこを
何日も、何日も、店に通って帰りは同じ電車に乗って帰り続けた、とか、
家には大谷に連れられてしかたなく来た、とか、
キスはしたけどナニはしなかった、とか、
若い男が飲み屋のおネエさんに淡い恋をして、
おネエさんもボクがカンチガイするような風情だった、みたいな。
これ以上いうと、ネタばれになるけど、もろもろ。

妻夫木くんのイメージには合ってましたが、
これはこれで男のロマンだよね。
原作にはない辻(堤真一)の話も、これまた男のロマン。
司法試験めざしてがんばる辻を秘かに応援していたサチを
万引き事件で見捨てておきながら
弁護士先生になった今、
「思い出すのは君のこと」みたいな。
「どうして、こんなに君がホシイんだろう…」って、アナタ…。

映画の中で、大谷が
「私はサチのことがよくわからない」という場面がある。
だから怖い、とも言う。
でも、
太宰はとてもよくサチという女を理解してこの小説を書いたのだ、と
今とてもよくわかる。

サチはどうでもいい男に犯されはしたけれど、
自分の意志で大谷以外の男に抱かれるような女ではない。
自立はしているけれど、愛しているのは大谷である。
そして
昭和二十一年という、戦後の、ものがなくセーフティネットもなく、
進駐軍という名のアメリカに植民地にされていた日本で、
誰も彼もが泥棒をし悪党になって生き抜いていたという事実を、
太宰はさりげなく、そして優しく温かい目で描いているのである。

「椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんが
 ひとり残らず犯罪人ばかりだということに、気がついてまいりました。
 夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。
 路を歩いている人みなが、
 何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。
 …(中略)…あんな上品そうな奥さんでさえ、
 こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、 
 我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、
 この世の道徳には起こりえない事でしょうか」

ここを読んだとき、
昭和21年を生きていた人々は、どんなに胸のつかえが降りたことだろう。
前の年まで、「欲シカリマセン勝ツマテハ」と欲望を抑えつけられ、
生き恥をさらすくらいなら死ぬのが日本男児や大和撫子だとおしえられ、
本気でそう思ってきた人もたくさんいたのに、
そんなんじゃホントに死んじゃう敗戦国の巷にあって、
生きるため、家族のために、
泥棒もした、身も売った、人もだました、
それがいけないことと知っていても、やむにやまれず
自分のできることは、みんな何でもしていたはず。

太宰が、爆発的に読まれた背景には
こういう「赦し」があちこちに仕込まれていたことも
理由のひとつに違いない。

だからこそ、
「ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ」という大谷にサチが言う
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
という言葉がラストにくるのである。

フランソワ・ヴィヨンという、フランスの詩人で大泥棒の名前を
タイトルに持ってきた理由は、そこにある。

最初に大谷が椿屋から盗んだ五千円(当時大金)は、
当時の日本人一人ひとりが何がしかの罪を背負って得た、
生きるための糧の象徴なのである。








Last updated  2009.12.04 12:34:03
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2009.11.24
カテゴリ:太宰治
太宰治生誕百周年ということで、
「斜陽」「パンドラの匣」「ヴィヨンの妻」と
太宰の小説の映画化作品が目白押しですが、
来年の2月、「人間失格」がお目見えします。

私、これが一番好きかも。
これぞ太宰の世界って感じる。
小説をなぞるだけでなく、
ものすごく象徴的に切りとられる場面があって、
そこが美しく、妖しく、魅力的。

映画初主役となる生田斗真、好演。
特に最後のほう。
人間「失格」になってからが、いいです。

中原中也役の森田剛も、
並み居るベテランたちの中にいて、
ちょっと平面的かなと思われたけれど、
後半は引き込まれる演技でした。

きっと、生田くんも森田くんも、
撮影の中で何かをつかんだんじゃないでしょうか。

また小説を読み返したくなりました。






Last updated  2009.11.25 00:21:45
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2009.09.04
テーマ:お勧めの本(4479)
カテゴリ:太宰治


パンドラの匣改版

3ヶ月間、「河北新聞」をとり続け、
復刻新聞小説としての「パンドラの匣」を楽しんできました。

正直言って、高校生のころ読んだ記憶はもはやまったく残っておらず、
今年太宰治の生誕100年を記念して映画化される
と聞いて、パラパラと手持ちの文庫をひもといても、
はっきり言って「あ、そうだった」と思ったことといえば、

「わたくしこと」というあだ名をつけられてしまった女性のエピソードのみ。

太宰の作品にいろいろ影響された私としても、
大してインパクトのある小説とはいいがたい部類でした。

今回読み直してみて、
それも毎日来る新聞小説という形だから
(きれいさっぱり忘れてしまっている)結末をページを繰って先に知ることもなく、
どうなるのだろう、
もっと言えばどのくらいの長さなんだろう、
それさえもわからないという感じの
新鮮な読書として経験できたことは、よかったと思います。

人と作品、人と時代というものは、
やはり切り離せないものだなあ、と感じたのでした。

結核という、当時は死病とも言われ、
でも、誰でもかかりうるという意味では逆に、
今よりずっとなじみのある病気の療養所という
隔離された場所で、
新しい時代に胸ふくらませる人たちのお話です。

戦時中は、
男なのに体が弱い、というだけで、どんなに肩身が狭かったろうか。
今もまた、
新しい日本を作るために、何かできたらいいという希望を持ちながら、
いつ治るのか、治らないのか、
不安な毎日を送っている人々。

でも民主主義の風は確実に吹いていて、
男女平等のこととか、アメリカ人とどう接するかのこととか、
日本らしさって何なのか、とか、真のリベラルとは何かとか、
ちょっとした会話のなかに、
けっこう政治的な話題がつまっているのです。

健康な男性は、兵隊にとられ、徴用にとられ、戦闘や空襲で死んでいった。
新たな国づくりに自分のような病気持ちが、いったいどれだけ力になれるのか。
彼らは死んでいったのに、
自分たちは笑って、恋して、生きてていいのか。

もちろん、
太宰はそんなこと、一言もいいません。
言わないけれど、そこはかとなく感じるのです。
読んでいると。
そんな済まなさというか、
それこそ「生きててすみません」的な心の痛みのようなものが、
今度の映画でも
映像の中からほの見えてくるといいな、と思います。

新しい時代への期待とともに、
もっといえば「生きている」ことの喜びとともに…。


映画「パンドラの」の公式サイトこちら


映画ではこの話を「青春映画」という切り口でとらえた、という話は聞いています。
今の時代にも共感できるような部分から入ると、
そういうことになるのかもしれませんね。

映画の公式サイトの予告編をのぞいてみると、
原作に忠実な描写が多いようです。設定は少し変えてあるところがあるか?
気になったのは、
竹さんが若すぎなところ。きれいすぎ。
読んだ感じでは、笠置シズ子的なイメージがあったのに…。
あと、書簡形式なところをそのまま踏襲しているので、
朗読を多用。
そこはちょっと……工夫がほしかったかなー。
というのも、
手紙の描写と主人公が見ている現実とのズレに
観客が違和感を感じないといいのだけれど。

竹さんの「若さ」も、そういうところから受ける印象なのかも。
手紙は(そして小説は)「見て」いないわけだから、
書いたままを信じるしかないですからね。

とにかく、観に行こうとは思います。

*河北新聞では「パンドラの匣」終了後、
 やはり太宰の作品の「たづねびと」を短期間で掲載、
 その後8/31(月)より
 同じく太宰の「お伽草紙」を連載しています。






Last updated  2009.09.04 14:34:08
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2009.07.06
カテゴリ:太宰治
河北新聞をとるようになって、はや1カ月。
復刻連載されている太宰治の「パンドラの匣」も、
そろそろ中盤である。

毎日少しずつ読む太宰は、
これといって大きな事件も起こるはずのない
そしてどうしたって発展性のない
健康道場(療養所)での小さな人間関係の輪を、
これまた「手紙」という個人的なやりとりの中に押し込めていながら、
穏やかな語り口のなかに人生が詰まっていて、
次が読みたい!と筋ばかり追いたくなるような気持ちというより、
毎回心の芯のところがポッと熱くなるような
そんな気持ちにさせてくれる。

今日は「コスモス」と題した項の(4)。
道場の患者の一人で俳句好きな男・かっぽれが
小林一茶だの看護師のマア坊だのの句をさも自分の句のように振舞っていることに、
非常な軽蔑を覚えていた主人公が、
自分の句を盗まれたマア坊が、ちっとも気にしていないどころか
「がんばってね!」とニコニコしているのを見て、

「この人たちには、作者の名なんて、どうでもいいんだ。
 みんなで力を合わせて作ったもののような気がしているのだ。
 そうして、みんなで一日を楽しみあう事が出来たら、
 それでいいのだ…(後略)」

と思うところ。
これって、21世紀にいう、いわゆる「著作権2.0」なんですけど!

ものかきならば、こだわらずにはいられない「著作権」について、
まだ著作権が今よりずっと守られていなかった昭和20年ごろに、
人一倍大事なことと把握しつつも、
こんな発想の転換をすることもできた人なんだな、と
改めて彼の自由さをしのぶ。

発想の転換、といえば…。

この回の「手紙」は、
こうして「俳句盗作事件」についてずっと書かれていたのだが、
その結びがふるっている。

「…(前略)…と思って、この手紙を破らずに
 このまま差し上げることにしました。
 僕は、流れる水だ。ことごとくの岸を撫でて流れる。
 僕は、みんなを愛している。きざかね。」

唐突。
唐突だけれど、そのチェンジ・オブ・ペースにハッとする。
そうなんだ。
これが太宰の魅力の一つ。
心をわしづかみにされる。

「きざかね」はいいすぎ(笑)かもしれないけど、
「僕は流れる水だ」には、まいった。

こうして読み返せば、
価値観が崩壊し、何がどうなるかかいもく見当のつかない戦後の世の中で、
「こうでなければならない」という概念から解き放たれ、
誰の、どんな意見も受け入れられる柔軟性を身につけた、
という意味で「流れる水」なんだ、と解釈できるのだけれど、
そんなお勉強チックな解釈なんかより
「僕は流れる水だ」「みんなを愛してる」「きざかね」の
唐突にして開放的なフレーズこそが、
ブンガクなんだ、と感じるのだった。

やっていやがる。

久々に、そんなふうに、私は日記に書くわけである。
日記といっても手書きではなく、
鍵つきだったり一人きりの秘密でもなく、
Web2.0の世の中の、公開ブログというツールに移り変わっても、
太宰は不滅です。




パンドラの匣

*文中「今日」とありますが、
 仙台から送ってくる関係で二、三日ずれています。
 今日扱っている「コスモス(4)」は、7月3日付の河北新聞夕刊に掲載されています。






Last updated  2009.07.06 23:36:13
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2009.06.19
カテゴリ:太宰治
100年前の今日、1909年(明治42年)6月19日、
小説家・太宰治は生れました。
そして1948年(昭和23年)の同じ日に、
太宰治は玉川上水の土手で心中水死体として発見されます。
死後数日経ってのことでした。
以来、
この日は彼の作品の名前にちなみ「桜桃忌」と呼ばれています。

私が太宰治の小説に出会ったのは、
今から36年ほど前になります。
高校1年のとき、
(私は高1を2回やってるんですが、最初の高1のとき)
国語の先生が太宰が好きで、
教科書のほかに太宰の短編を刷ってきて、
それについての授業をしたんです。
「黄金風景」というものでした。
小さな診療所の待合室で知り合った若い奥さんが
胸を病んだ夫に付き添っている人で、
ある日夫の病気が恢復に向かい、
「おゆるしが出たの」と頬を赤らめよろこんで家に帰る
日傘をさしての後ろ姿の躍動感を
「黄金風景」といって寿いだ、小作品。
私の目の中に、陽光を受けて輝く白い日傘がくるくる回る風景が
この題名を思い出すたびに今も浮かんできます。

先生は
太宰好きが高じて文芸評論家になった奥野健男という人の、
太宰治論も刷ってきて、
アツくアツく語ったものです。

それが、私と太宰との出会いだったかもしれません。

最初の高校1年の夏までにほとんど太宰は読み終わった、ということは、
5ヶ月くらいで(文庫のものは)読破しちゃったんですねー。
私も、何かに憑かれたようにのめりこんだわけです。

ただ最後のほうは、
すでに太宰のことはわかったような気でいて、
読み方も、
どこか「読みつくす」ことが目的となり、
雑に斜め読んでいた節があります。

「パンドラの匣」
そんなころ、一気に読んでしまったものの一つで、
それだけにあまり印象になかった、ということは
先日ちょっと触れましたね。

今回、
河北新聞に当時と同じように再連載されている第一回目を
私は初めて読むように、丁寧に読んでいこうと思い立ちました。
およそ1400字、原稿用紙にして3枚半の文章は、
手紙文という形式ということもあって、声に出して読むと
またいっそう文字に託された思いがしみ入ってきます。

戦後まもなく書かれたこの小説は、
「あの日の正午」「天来の御声に泣いておわびを申し上げたあの時」
から始まった、
「世界の誰も経験した事のない全く新しい処女航海」のゆくえを
「どんな性質な出帆であっても必ず何かしらの幽かな期待を感じさせる」ものとして
「パンドラの匣」になぞらえている。

天地がひっくり返ってしまい、
今までの良いが悪いに、悪いが良いにすり替わり、
何を基準に生きていいのかわらかず、
一体日本は、そして自分たちは、これからどうなるんだろう?…と
その茫洋とした不安に立ち尽くす日本人たちに、

東北のマハラジャの息子で、
「金持ちですみません」気分で共産主義にはまり、
ホネがないから活動は続かず、
自分の情けなさをヤクで紛らわし、
女にすがって泣き、
何かといえば「死のうか」と思いつつでも生きてきた
そんな太宰治が、

昭和20年10月22日に、
戦後たったの2ヶ月しか経っていない、
いまだ進駐軍の占領下にあった頃に、
新聞を通じて人々に呼びかけた文章は

しかし、その匣の隅に、
 けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、
 その石に幽かに「希望」という字が書かれていた
、という
ギリシャ神話の一説に触れられて次回に続けられています。

「あの日」を境に
泣いて泣いて、そしてすっとからだが軽くなってちがう男になり、
胸を病んでいることを初めて人に明かした男が
これから
「幽かな希望」を頼りにいかに生きていくか。

当時の人々はきっと続きを、
早く読みたいと思ったことでしょう。

小説の冒頭部分に「読みたい」の地雷を滑り込ませ、
さらに「何なんだ?」の題名の訳もしっかり入れ込む。

やっぱり、太宰って、すごい作家です。






Last updated  2009.06.19 12:59:43
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2009.06.18
カテゴリ:太宰治
明日は桜桃忌です。
以前申し込んでおいた河北新聞が、昨日から届き始めました。
そして今日、
バックナンバーも一挙に来た。
そして、
これが「パンドラの匣」の第一回です。

映画のほうも、特別試写会を無事終えたもよう。
舞台あいさつで、
窪塚洋介も「日本文学の面白さにまいった!」と言っていたようで、
映画の面白さ、太宰の持ち味、
どちらも自信がありそうな感じでした。
私も早く観たいなー。

その前に。
毎日読む、という新聞小説の楽しみを満喫します。
(といっても、15日分は早く読まなくっちゃね)






Last updated  2009.06.18 22:43:36
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