3日、第34回なとり夏祭りが下増田小学校グランドで行われました。今年も、市民や企業の皆様の協賛をいただき、4,000発の花火が夜空を彩りました。
もともと名取市の夏祭りは、港夏祭りとして閖上港を会場に開催されてきました。しかし、東日本大震災の影響から下増田地区に会場を移して開催してきました。復興の状況が進んだことから次年度からは、また閖上地区で開催する予定です。いわば、下増田での最後の花火大会ということで、名残惜しさもあって、ひときわ思いで深い花火大会でもありました。
さて、そもそも花火は送り盆の時に、魂の鎮魂のために打ち上げられたものだと言われています。そして、歴史をさかのぼって花火に起源を見てみますと、日本で初めて花火を楽しんだのは伊達政宗という説と徳川家康という説があることをご存じでしょうか。
伊達政宗公は、1589年に米沢城で中国人の献上した花火を見たとされていますし、徳川家康公は1613年に駿府城でイギリス人から献上された花火を見たと伝えられています。いずれ、彼らが花火を楽しんだのをきっかけに、将軍家をはじめ諸大名の間で花火が流行し、その後、町民に広がっていったと言われています。
伊達政宗と徳川家康。歴史の英雄たちも、夏を惜しんできっと夜空を見上げていたに違いありません。