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アラフィフおやじの温泉やITや中国や道の駅のブログ

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2007年8月サハリン+北海道旅行記

2007年8月12日~16日サハリン旅行記+16日~18日北海道旅行記



<前泊>8月11日(羽田~千歳)


(1)8月12日その1(新千歳空港~ユジノサハリンスク)


さて、本日からまず先週のサハリン遠征についてご報告します。まずは8月12日(日)の前半。

ロシアについては、英語以外に少し勉強した初めての言語がロシア語であったこともあり、ソ連の時代から一度行ってみたかったのですがなかなか実現できませんでした。特に極東ロシアなど、サハリンを含む日本から近いところにあるロシアに関心がありました。最近では飛行機のフライトも昔より増えたりして、昨年くらいからウラジオストクやサハリンを候補地として具体的計画を検討し始めたところ、ちょうどこの本↓も出たりしたのでサハリンに行ってみることにしました。

ただし、サハリンへ行くには札幌または函館からのフライト、もしくは稚内からのフェリーになるのですが、いずれも便数が少なく、予定が立てにくいこと、またロシアのビザも、ソ連時代とそれほど変わらず事前に交通手段やホテルを押さえていないとビザがとれないということで、まだ個人で完全に自由に行くには少しハードルが高いところです。今回もサハリン部分は専門旅行社に依頼して交通手段とホテルの予約をしてもらいました。

それでも札幌からは飛行機で1時間、かつて樺太として日本が日露戦争後、終戦までの40年間統治していたことを考えれば親近感を感じるところです。サハリンの州都ユジノサハリンスク(日本語では「南サハリン町」というような意味です)は、日本時代は「豊原(とよはら)」といって、札幌にならって街を建設したので碁盤の目のようになっています。戦後は日本人が引き上げてきたあとも、韓国・朝鮮系の人は歴史に翻弄され本国に帰れず(または帰らず)そのままサハリンに残り、今でも万単位で韓国系の人がたくさん住んでいるところも印象的です。

サハリンの歴史等の話はWikipediaのこちらをご参照ください

そのような日本式建物の典型な例がこれです。今はサハリン州郷土史博物館として使われています。かつては樺太庁博物館だったそうです。

サハリン州郷土史博物館

さて前置きが長くなりましたが、この日撮影しまくった写真集その1はこちらのアルバムからご覧くださいませ。時系列に並べていますが、思わず珍しいこともあって意味のなさそうなものも撮っております。。



(2)8月12日その2(ユジノサハリンスク)


今日は那覇空港で中華航空機の炎上事故がありました。この台北~那覇という路線はちょうど去年の今頃まったくこれと同じフライトに乗ったのでちょっとショックです。

さて、俗世間の話はさておき、サハリン旅行記(2)、1日目8月12日その2です。引き続きまずは街を知るため、街歩きをしました。写真はこちらのアルバムにまとめて載せておりますのでよろしければクリックしてご覧ください。(1日目その1はこちら

その中で印象的な写真を一枚。

レーニン像

駅前近くにあるレーニン像。ソ連が崩壊して共産主義が消滅しても、レーニン像はそのまま残されています。シベリアなど極東ロシアでは結構レーニン像が残されているようです。ここユジノサハリンスクではこの広場をレーニン広場、前の大通りをレーニン通りといっていますが、ソ連がなくなってもそのまま名前が残っています。モスクワに次ぐ第2の都市、サンクトペテルブルクは、ソ連崩壊後すぐに旧名レニングラード(レーニンの町という意味です)から帝政時の名前に戻したのに比べて対照的です。サハリンのように首都から遠く離れたところでは、中央の体制がどう変わろうともしかしたらどうでもいいことなのかもしれませんね。取り壊すにもカネがかかりますしね。

ついでに薀蓄をもうひとつ。日本で発行される世界地図や地図帳を見ると、サハリンの中央部に国境線が今でも引かれていることをご存知でしょうか。サハリンの真ん中北緯50度線に一本、サハリンと宗谷海峡の間にも一本線があるはずです。北方領土の択捉島の先に国境線があるのは当然としても、北方領土とは関係のないサハリンにまだ国境線が残されているのは変だとは思わないでしょうか。これは、日本が国際的に南樺太(北緯50度線以下のサハリン)を1951年の戦後処理のためのサンフランシスコ講和条約で放棄したのですが、このとき旧ソ連がこの条約の調印に参加しなかったので、今でも日本政府の立場としては南樺太は帰属未確定、どこの国でもないということとしているわけなのです。一方、ロシア発行の地図をみれば、そんな線はすでにサハリンにはなく、宗谷海峡と国後島の西側にそれぞれあるのみ、地図などは国の立場でどのようにもなるわけですね。。



(3)8月13日その1(ユジノサハリンスク)


サハリン遠征2日目の前半です。この日はユジノサハリンスク(旧豊原)市内を徒歩で歩き回りました。ちなみにユジノサハリンスク(赤色の旗のところです)と北海道の位置をGoogleマップで示しておきますね。


拡大地図を表示

この日まず行ったのは昔「樺太神社」というのがあったあたり。今はロシアの戦勝記念碑や広場になっていて、まったく日本の面影は残っていません。「お風呂」という看板がありましたけど。そのあとは日本式回転すし屋「日本みたい」というところに行ってみました。

回転すし屋で食べた大トロ巻き

味は日本とさほど変わらないのですが、基本的にここ、物価は高いですね。1ルーブル=4.7円くらいでしたが、一番安い皿でも160円くらい、一番高いのは700円以上してました。前日のホテルでも晩飯も2000円以上かかりました。市内バスの初乗りは50円くらい、北方50km先までの郊外バス料金は400円弱くらいでしたが、公共料金以外は全般的に物価高いです。

さて、この日前半の写真はまとめてこちらにアップしておりますので、クリックしてご覧くださいませ。まだ2日目の途中ですのであと1週間近くこの調子で進みます。。。



(4)8月13日その2(ユジノサハリンスク)


サハリン遠征2日目(8月13日)午後、昨日ご紹介した「日本みたい」での昼食後です。この日はユジノサハリンスク市内をくまなく徒歩でまわりました。人口18万の都市ですが、中心部は大して広くなく、碁盤の目でわかりやすいので、初めてでも迷うことなく歩けました。気温もこの日昼間は20度台後半でしたので、長距離を歩いても十分耐えられる気温でした。調子に乗って13kmくらい歩いてしまいました(歩数計で記録済)。

市内にあるロシア語で書いてあるいろいろな看板を見ているだけでも楽しくなりました。特に仕事柄、インターネットやケータイ系のところに目が行ってしまいます。ロシア語で「インターネット」はИНТЕРНЕТと書きますが、市内にインターネットカフェを見つけました。中を覗いただけですが、狭い部屋に10台くらいのPCがあり、少年二人が並んでセカンドライフをやっていたのが印象的でした。

旧豊原町役場

これは駅の近くにあった、日本時代は豊原町役場だった建物。今は民間の会社が入っているようですが、建物はほとんどそのまま。あまり古さを感じさせません。

そんなわけで2日目はほとんどこのような建物の写真と、晩飯に食べた典型的ロシア料理の写真ばかりです。よろしければこちらをクリックしてアルバムをご覧ください

3日目はコルサコフ(旧大泊)など南方面の日帰りツアーの状況です。。



(5)8月14日その1(ユジノサハリンスク、コルサコフ)


サハリン遠征3日目(8月14日)その1です。

この日は、事前に申し込んであった日帰りツアーに行きました。客一人(私)にガイド2名と運転手1名という冗長な形で6時間くらいかけて、ユジノサハリンスク南方のコルサコフ(旧大泊(おおとまり))と南東にある湖、トゥナイチャ湖(日本名は富内(とんない)湖。かつては日本で5番目に大きい湖とされていたそうです)などに行きました。テーマは日本時代の痕跡を探す、ということでした。この日はほとんど一日曇りだったこともあり、温度が20度前後と大変気持ちよい涼しさでした。現地の人はほとんど長袖を着ていたように思います。

コルサコフ市内と港を丘の上から見たところです。

コルサコフ港

右上の桟橋に停泊しているフェリーは帰りに乗るものと同型のようです。ここと稚内を結ぶ航路は、日本時代は稚泊(ちはく)航路とかつて呼ばれていたそうです。コルサコフ市内を上から見たあとは、さらに東を海岸沿いに進み、日本企業も参加する資源開発プロジェクト「サハリン2」の関連施設を偶然見ることができました。相当巨大なサイトでした。

そんなことで3日目前半の写真はこちらをクリックしてアルバムをご覧くださいませ

あと、コルサコフの位置はこちらのGoogleマップでご覧ください

ガイド1(通訳)は片言の日本語と片言の英語とロシア語、ガイド2(観光)はロシア語のみ、私は日本語・英語・中国語(ここでは全く役に立ちません)に片言のロシア語、意思疎通がなかなか大変な一日でした。。



(6)8月14日その2(ユジノサハリンスク、コルサコフ)


まだまだ続くサハリン遠征3日目(8月14日)後半です。ユジノサハリンスク~コルサコフ市内~「サハリン2」サイト周辺のあとは、その近くにあった日本の痕跡のある、オホーツク海を望む丘からです。

石碑

向こうはオホーツク海です。石碑の上のほうは壊され、「日本海軍上陸・・・」のように彫られた部分は手前に転がっていました。日露戦争勝利記念のようなものだったと思われますが、旧ソ連が再度ここを占領して壊したものなんでしょう。

このあとはオホーツク海に臨む小さな町、オホーツコエの海岸、トゥナイチャ湖などをめぐって昼食後ホテルに15時ごろ戻りました。もう一枚途中の景色を一枚どうぞ。

オホーツク海と牛

人とほとんど出会わない、自然がそのまま残されているところばかりで気持ちがいいです。その他たくさんの写真はこちらをクリックしてぜひご覧くださいませ

地図はこちらからどうぞ

サハリン滞在も実質あと一日、翌日は試しに普通のバスで近郊の都市を放浪することにしました。。



(7)8月15日(ユジノサハリンスク、ドリンスク)


サハリン遠征4日目(8月15日)です。4日もいるとだんだん現地化してきて、撮る写真の数も減ってきます。もともと1ヵ所に4泊というのは長すぎると思っていたのですが、飛行機やフェリーの本数が少ない関係で4泊になってしまったということもあります。大体見たかったもの、経験したかったことはできたので、あとは自力で公共交通機関に乗って近郊の別の都市に行くことを最終目標にしました。ちなみにこの日は雨、風も強く気温は20度以下。ホテルのTVでBBCのニュースを見たら東京の天気予報で最高40度と出ていたのでびびりました

本当は、鉄道系でもありますので、鉄道に少し乗りたかったのですが、なにぶん本数がわずかなのであきらめ、近郊都市へ行く中距離バスに乗ることにしました。目的地はユジノサハリンスク北方約50kmのところにある、ドリンスクという街。ここは日本時代は落合と呼ばれていて、駅から西側のほうに小さな店舗を中心にした商店街があったそうです。しかし、今となっては痕跡は見つけられませんでした。

ドリンスク駅はこんなところ。鄙びた田舎の駅という感じで閑散としています。

鄙びた駅の風景

この日はドリンスクをバスで往復し、またユジノサハリンスク市内をなるべくローカル化して散策してサハリン最後の夜を過ごしました。そんなあまり面白くない写真ばかりですが、こちらをクリックしてご覧いただければ幸いです

ドリンスクの位置はこのGoogleマップでご確認ください

さて、ついでにサハリンに行って思ったことを少々。もちろんヨーロッパ人であるロシア人の国ですから、町がヨーロッパっぽいとは感じますが、それ以前にやはり旧社会主義圏だったところということの特徴のほうが大きいような気がしました。20年以上前に初めて行った中国、10年前に行った北朝鮮、今回行ったサハリンは町の雰囲気が似ていると思いました。もともとすべてに国家が優先、一般市民の生活は後回しという状態が続いて民生に対する投資も限られ、みんな箱型の同じような住宅が多いという特徴があるので雰囲気が似てくるのだと思います。今のサハリンは、「サハリン2」などでの投資が来たので、ここ数年間で発展したことで、新しい建物が増えたり、車の量が急増したりしたようですが、それ以前は軍事的な施設以外への投資はほとんどなく、ロシア全体からすれば忘れ去られた辺境の土地だったに違いありません。ここの数年前は活力を失った北朝鮮の地方都市と同じ風情ではなかったのかと思ったりします。今この瞬間が発展しているように見えるからといって、それ以前の放置された状態を忘れてはいけないと改めて感じている次第です。

少し真面目な話になってしまいました。あとは最終日、コルサコフから稚内行きのフェリーに乗って帰国するのみ。まだ続きますのでよろしくお願いいたします。。



(8)8月16日(ユジノサハリンスク~稚内)


サハリン遠征5日目(8月16日)最終日コルサコフから稚内へフェリーで5時間半の船旅です。長らくお付き合いいただきありがとうございます。

この日は朝6時半(日本時間は4時半)ごろ起床、ホテルで用意してくれた簡単な朝飯を食べ、送りのイリーナおばさんと一緒に7時半にホテル出発、港のあるコルサコフに車で向かいます。

コルサコフまでの約40分間、イリーナおばさんのことをいろいろ聞いてみました(とはいうものの、お互い片言の日本語とロシア語なので本当に聞きたい、言いたいことはちゃんと伝わってないかもしれませんが)。イリーナさんはたぶん50半ば過ぎくらいと思われますが、今は娘さんが二人、あと23歳くらいで早世された息子さんがいたそうです(彼女が露和辞典で「殺人」のところを指差したのでびびりましたが)。上の娘さんは20代後半でアメリカ人と結婚し、シカゴに住んでいるそうです。下の娘さんはまだ学生。毎年シカゴにいる娘さんのところには下の娘さんと一緒に遊びに行っているそうです。ユジノサハリンスクからシカゴに行くのは、シアトル行き直行便が一応あるそうですが、シーズン中は席がとれないので、モスクワ、ロンドン経由で行くといっていました。行くだけで疲れそうです。

しかし、そもそもロシアについてはまだ閉鎖的な印象を持っていたのですが、最近はこのように普通の人も意外と簡単にアメリカに行ったりしているんですね。時代が変わったものと改めて感じます。「サハリン2」でアメリカ人もサハリンに結構来ていますので、もうこのような国際結婚なんかも当たり前なんでしょうか。ちなみにイリーナさんはユジノサハリンスク在住18年くらい、その前はハバロフスクに20年くらいいたそうですが、モスクワにも頻繁に行くそうで海外旅行が趣味とも行っていました。日本には北海道には何度か来ているそうです。今のガイドの仕事はたぶん悠々自適で趣味程度にやっている雰囲気がありますが、旦那さんとか何の仕事か聞きそびれたものの、意外と大物の方なのかもしれません

そんな取り留めのない話をしながら40分くらいでコルサコフ港に到着、イリーナさんと別れ、出国審査を完了、フェリーに乗り込みます。

ツワモノな方々

一般の客は大型バスに乗って、前方のフェリーの後部に横付けされて乗船するのですが、前に2台のバイクがそのまま乗り込んでいるのが見えると思います。このお二人は日本からサハリンにバイクでツーリングに来られた方々です。一人が50前後でロシア語堪能な大学の先生っぽい見た目の方、もう一人は30前後くらいの方のように見えましたが、すごいなあと思いました。まだサハリンをこういう形でツーリングする人は非常に少ないでしょうが、ツワモノだと思いましたね。バイクにはロシアのナンバープレートがついていましたが、手続きは大変じゃないんでしょうかね。

この日は乗客が多いためか、定刻を1時間遅れでやっと出航。このような航路を通って(Googleマップでご確認ください)、5時間半かけて稚内に到着、船内には免税のため1缶100円でビールが売っていたり、なかなかのんびりした旅行ができるので船旅はいいものです。主に船から撮った写真を中心に、いろいろと時系列で撮っていますので、ぜひこちらをクリックしてご覧くださいませ

もうすぐ稚内

あと30分くらいで稚内のところ。後ろのほうに利尻富士が見えています。

そんなことで4泊5日のサハリン滞在、完結です。ご覧いただきましてありがとうございました。日本からすぐそこにあるヨーロッパ、まだ全然メジャーな観光地ではありませんが、今後の発展に期待です。

引き続き明日からは北海道編(稚内~旭川~富良野~札幌)になるはずです。またよろしくお願いいたします。。

【鬼のようにたくさんとりまくったサハリンの写真はまとめてこちらからもどうぞ】

■1日目(8月12日)その1:新千歳空港~ユジノサハリンスク

■1日目(8月12日)その2:ユジノサハリンスク市内散策

■2日目(8月13日)その1:ユジノサハリンスク市内散策

■2日目(8月13日)その2:ユジノサハリンスク市内散策

■3日目(8月14日)その1:コルサコフ、サハリン2、トゥナイチャ湖日帰りツアー

■3日目(8月14日)その2:コルサコフ、サハリン2、トゥナイチャ湖日帰りツアー

■4日目(8月15日):ドリンスク日帰り、ユジノサハリンスクまわり納め

■5日目(8月16日):ユジノサハリンスク~コルサコフ~稚内



(9)8月16日(稚内周辺)


さて、サハリン旅行記に引き続き北海道2泊3日ドライブ(一部鉄道)です(8月16日)。

なお、サハリン旅行記はひとまとめにしてトップページにも載せましたここからもアクセスできますのでよろしければどうぞ

稚内には定刻より1時間以上遅れて15時過ぎに入国、港の近くに急いでチェックインして、稚内駅近くのレンタカーの店で予約してあった軽自動車に乗り、宗谷岬方面に向かいました。稚内市内から海岸沿いに30kmくらい北東方面に車を走らせ、宗谷岬に到着。

日本最北端の地

日本最北端の地です(厳密には北方領土択捉島の北端が最北端だったような)。海の向こうは先ほどまでいたサハリン。普通は北海道を北上してここまで来るのでしょうが、私のようにサハリン側から南下してここにやってくる物好きはあまりいないでしょう。。

この後宗谷岬から今度は稚内市西側の突端、ノシャップ岬まで行き、そこでウニ定食を食しました。さらにこの数日温泉から遠ざかっていたので、近くに稚内温泉童夢というのがあったので行ってみました。ここは日本最北端の温泉らしいですが、ここの露天風呂から見える日本海と利尻富士の景色はもう最高でした。公式HPはここ

このあとは駅前の場末な食堂でさらに「かにめし」をいただきました。短時間でしたが充実した稚内周辺ドライブとなりました。一連の写真はこちらにたくさんアップしていますのでクリックしてご覧いただければ幸いです

翌日は稚内からまず鉄道で旭川まで移動します。。



(10)8月17日(稚内~旭川)


北海道遠征その2、8月17日午前、稚内から旭川まで鉄道での移動です。

事前にインターネットですべて予約を入れていましたので、落ち着いてホテルを徒歩で出発。朝7時10分発の「スーパー宗谷2号」という特急列車で旭川まで行くことにしました。

日本最北端の駅

稚内駅にある「日本最北端の駅」の道標。駅は北方向を向いていますので、この先数百mはすぐ海です。最果てまで来たという実感が湧きます。

稚内から旭川までは約3時間半。車窓からはこんな景色が常時見えています。

牛の群れ

こういう景色をボーっと見ているだけで心が洗われます。こちらをクリックすると旭川までの車窓からの景色を中心にもっとたくさん写真が出てきます

旭川に着いたあとは、駅でレンタカーを借り、巷で人気の観光スポット、旭山動物園に向かいます。今日は短めに、続きはまた明日。。



(11)8月17日(旭山動物園)


北海道遠征その3、8月17日の昼です。稚内から旭川に到着後、予約していたレンタカーで旭川市の旭山動物園に行きました。旭山動物園といえば、ご存知の方も多いとおり、行動展示という手法で動物の自然な動きを感じることができるように工夫したことで、超人気になった動物園でございます。お盆休み中ということもあり、相当混雑していました。公式HPはここ

行動展示でも特に売りにしているペンギンアザラシなどは、行列している時間がなかったので、よくテレビで出てくるような場面は見れませんでしたが、オランウータンの綱渡りなどが見れたので満足しました。

ペンギンアップ

こんな感じで間近で見れます。動物との距離の近さを感じます。

もろもろの動物たちの写真はこちらのアルバムにまとめましたので、よろしければこちらをクリックしてご覧ください

ミーハーなおやじでございますが、十分満足させていただきました。人気のある理由がよくわかります。動物園の方、さすがです。さて、旭山動物園のあとはさらに南下、美瑛や富良野の花を見に行きます。。



(12)8月17日(旭川~美瑛~中富良野~札幌)


昨日更新しようと思ったら、サーバーが緊急メンテナンスをやっていて更新できませんでした。予定より1日遅れ、もう実際に旅行した日から2週間経過しようとしていますが、なにかだいぶ前に行った気がしてきました。もう9月になってしまいますし。。

そんなことを思いつつ、今日は北海道遠征2日目(8月17日)午後旭川~美瑛~富良野~札幌とレンタカー(軽)で移動しました。旭山動物園で1時間ちょっと過ごしたあと、旭川ということで「旭川ラーメン」と思ってここで昼飯。ガイドマップに出ていたところにうまくたどり着けなかったので、通りすがりの店に入ったら結構有名なところだったようで、なかなかうまいラーメンを食わせてもらいました。

その後南下、最初の目的地、美瑛の丘に向かいます。ここの景色はいかにも北海道らしくて素晴らしいですが、何ヶ所か訪問スポットがあります。

ケンとメリーの木

これは「ケンとメリーの木」。1972年の日産スカイラインのCMの舞台になったところ。横には当時のスカイラインが展示されている店があります。この近くには「セブンスターの木」「マイルドセブンの丘」などタバコのパッケージを飾った木がいくつかあります。

美瑛の丘から南下、富良野方面に行く途中、美馬牛(びばうし)という駅の近くに「かんのファーム」というところを通りました。ここの花畑は最高でした。

花畑

こんな景色がたくさん見れました。このあとはさらに南下して中富良野の「ファーム富田」というところにも行きました。ラベンダーの季節は少し過ぎてしまったようでしたが、それを差し引いてもなかなか心の洗われるような景色が見れて満足しました。

きれいな花の写真などちょっとご覧になりたい方はぜひこちらをクリックしてご覧ください。

このあとは山中を抜け、高速道路に乗って札幌まで一直線。19:30頃札幌到着、ジンギスカンを食べて一日をしめました。これで残るはあと一日、東京に帰るだけでございます。明日は完結編になるはず。。



(13)8月18日(札幌~新千歳空港~羽田)


今日は夕方5時半前後に何と8300アクセス以上の集中アクセスを受けました。よくわかりませんがエロサイトからのアクセスなんでしょうね。そんなことでいつの間にか50000アクセスを超えてしまいました。

さて、本日は北海道遠征その5(8月18日)、サハリン~北海道旅行記完結編です。長らくお付き合いいただきましてありがとうございました。

最終日は夕方3時半の飛行機に乗るので、とりあえず札幌駅周辺を散策しました。ホテルで朝食後、近くの旧北海道庁の庁舎に行きました。風情のある建物です。サハリンで見た日本統治時代の建物と通じるものがあります。

旧北海道庁

その後市電と地下鉄を乗り継いで「場外市場」というところに行きました。東京の築地市場と同様、卸売市場の外側で一般客向けに魚介類や野菜を売っているところです。この時期はものすごい量のカニをどの店でも売っていました。あと夕張メロンも目立ちました。

その後札幌から快速電車で新千歳空港へ。夕方5時ごろ羽田に到着しました。最終日の写真はこちらにありますのでよろしければクリックしてご覧くださいませ

これでサハリン~北海道7泊8日の旅はやっと終了。こういう経路を旅行する物好きはあまりいないと思いますが、ちょうど涼しい時期にもあたり、避暑ということでも最高でした。昨年から夏の旅行は、近場の海外+国内ということをテーマにしてきました。昨年は台湾と沖縄セット、今年はサハリンと北海道セットになりましたが、この流れで、日本の地方空港から海外へ行く便にあわせて次回も旅程を立てようかと思っています。この条件に当てはまるのはロシアのウラジオストックと新潟韓国のどこかと九州のどこか、という組み合わせになるかもしれません。伊豆諸島とパラオなんていうのができればいいんですけどね。

そんなことで日記では完結するのに2週間もかかってしまいました。ご覧いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

【北海道2泊3日の写真へのリンクはこちらにも】

・北海道遠征その1(8月16日:稚内到着、宗谷岬、ノシャップ岬など)

・北海道遠征その2(8月17日午前:稚内~旭川)

・北海道遠征その3(8月17日昼:旭山動物園)

・北海道遠征その4(8月17日午後:旭川~美瑛~中富良野~札幌)

・北海道遠征その5(8月18日:札幌~新千歳空港~羽田)

◎サハリン旅行記はこちら



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