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アラフィフおやじの温泉やITや中国や道の駅のブログ

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アフリカ日記から

アフリカの国々を書いた日記

【スワジランド】


もう10年以上前になりますが、某政府系金融機関に出向して、3年間アフリカの関係の仕事をしました。おやじの昔話ですが、そのころ行った国で普通あまり行くことのない国、二度と行かない国について少し紹介してみたいと思います。

一つ目はスワジランド。この国の名前やアフリカのどこにあるか知っている方はほとんどいないのではないかと思います。南アフリカの右上よりの端にくっついてる、人口80万人くらい(当時。今は100万を超えている)の王国です。この国は南アに三方を囲まれていますが、同様に南アに四方を囲まれた「レソト」や以前南ア領だった北西側で南アに接する「ナミビア」とともに、完全に南アの経済圏に入っています。私は南アのヨハネスブルクから空路で小さな飛行機で入国しましたが、南ア経由で行くしか方法はないと思われます。首都のムババネというところは小さな町ではありますが、結構こぎれいなところで、一般の方がアフリカについて持つような未開な印象は全くありません。

この国はスワジ族という部族が大半で、白人が若干います。政府の役人と何回かミーティングをしましたが、スワジ族の人はほとんどDlamini(「ラミニ」と言うような発音)という姓の人ばかりでした。現地語には「クリック・サウンド(粘着音)」といって、息を吸いながら発音する音(説明しにくいですが、舌を少し巻いて犬猫を呼ぶときのあの音に似ています)があります。南アやジンバブエなど南部アフリカ地域の言語で出てくる音ですが、普通耳にする音ではないので違和感がありましたが、音声フェチの私にとっては生でこの発音が聞けて感動ものではありました。

この国での思い出は入国のときです。アフリカの他の国でも入国の際にスーツケースを空けられたことは一度もありませんでしたが、めったに来ない飛行機の入国審査の列の先頭になった私はいきなり荷物を空けられることになり少々びびりました。スーツケースのふたの裏に日本の「エ●本」が入っていたからです(なぜエ●本を持っていたかは気にしないでください)。でも、ふたの裏のファスナーで閉まるポケットの中なので、まずここまでは見ないだろうと思っていたら、全部開けてきます。係員は目ざとくエ●本を取り出し、高く持ち上げて「これ何?」と聞いてきます。私は言葉を失いましたが、後ろに7~8名並んでいたので恥ずかしいやら、どう対応したらいいのかわからないやらでいたところ、係員から「別室に来なさい」と言われて、小さな部屋に通されました。

ここで係員から、「お金払えばもって行ってもいいよ。いらなければここに置いていけ」みたいなことを説明され、私は当然「いらない」と答えたところ、意外とあっさりと、かつにっこりしながら係員は私を解放しました。一瞬別室行きになったときはどうしようかと思いましたが、もしかしたら彼らはきれいな日本のエ●本を欲しかったのかもしれません。今度行く機会があったらたくさん持っていってあげたいと思います

さて、再度入国審査のところに戻ると、同じ飛行機で来た10数名は誰もいなくなり、たまたま途中でこの日同じ飛行機に乗った日本人の人が心配して待っていてくれました。「何があったのですか」と聞かれて「いやあ、ちょっとした問題が・・・」とお茶を濁しました。10年以上前なので今はそんなに厳しくしていないかもしれませんが、この国に行く機会のある方、エ●本を持ち込むときは、スーツケースに入れるよりも手持ちのカバンに忍ばせた方がいいかもしれません

この国の人はみんな穏やかで、基本的にみんな優しそうでした。たいした産業もなく、南アからの観光などで経済が成り立っている感じなので自然とそうなるのでしょう。中国様とは全く対照的です。ちなみに、スワジランドは当時(今もそうだと思いますが)中国ではなく、台湾と外交関係があって、「中華民国」名義で道路などの経済援助が行われていることを示す看板を何箇所かで目にしました。リゾート系のホテルに2泊して、役人とのミーティングのほか、国王から信頼を受けて技術専門家として長期滞在している当時70歳前後の日本人の方に会ったり、山中のダム現場の見学などをしましたが、今でもとても印象深く記憶しています。

この感じで少しアフリカの昔話シリーズをしてみたいと思います。続く。


【ナミビア】


アフリカ昔話第2弾です。

昨日ご紹介したスワジランドと同じ時期にナミビアという国に行きました。ナミビアという国名は「ナミブ砂漠」から来ていますが、昔は「南西アフリカ」と呼ばれ、南アフリカ(以下、南ア)の支配下にありました。ここも南アのヨハネスブルクから空路で入国しました。首都はウィントフーク(Windhoek)というところですが、やはり小ぢんまりした小さな町です。面積は確か日本より広かったと思いますが、人口は国全体で数百万程度だったと思います。したがって、首都は人口数十万くらいしかおらず、あまり人がたくさん集まっているところを見た記憶がありません。

この国も南アの影響下にずっとあって、南アから独立したのも90年代初頭ころと遅かったので、南アと同じような雰囲気があります。といっても南アの雰囲気というのをご存知ない方のために少々説明しますと、一般に言われるような未開の地というところではなく、都会はむしろ先進国と大差ありません、というかヨハネスブルクなどはニューヨークのように高層ビルが立ち並ぶ大都市です(今は世界最悪の治安といわれています)。気候も緯度的にはオーストラリアのシドニーあたりと似たようなもので、かつ高地にあるので、穏やかな季節が続く過ごしやすい場所です。基本的に古い時代から白人が植民しに来るようなところは、オーストラリアなどと同様、気候的に本国と近いところがまず選ばれたのだと思います。オーストラリアと違うのは南アや南部アフリカの場合は陸続きでアフリカ大陸とつながっていて外部から人がたくさん流入してくること、そもそも土着の人たちの人口が多かったことで、後代のアパルトヘイトなど、白人が自分の権益を守ろうとして無理な体制を作らざるをえなかったというところが大きな違いだと思います。

さて、そういうことでナミビアについても、南アと同じように首都にはきれいな建物がたくさん並び、おしゃれなショッピングモールなどもありました。でも少し郊外に出ると原野が広がり、空港から市内に行く途中も赤茶けた大地が広がっていて、行ったことはないですが写真で見た火星の地表に通じるものがありました。そういえば空港では予約した運転手付レンタカー(Chauffeur Drive)が手違いで迎えにきておらず、タクシーもやっと見つけた感じで少々苦労したことを思い出しました(「運転手付レンタカー」などというと贅沢!と言われるかもしれませんが、仕事で出張する場合は他に足の確保が難しいのでこれが一応普通です)。

ここでも政府の役人や政府系の会社の人のところを訪問しました。とても印象に残っているのは、役所の幹部クラスのドイツ系らしき人です。南アと同じように白人が随所にいるのは当たり前といえば当たり前なのですが、ナミビアの場合は第1次世界大戦前に10年ちょっとドイツが植民地にしたことがあり、この末裔の人たちが結構そのまま残っているようです。彼は私とは英語で会話をしましたが、かかってきた電話ではドイツ語を話していました。街中でも英語とアフリカーンス語(オランダ語系の南アのボーア系白人が使う言葉)に加えてドイツ語が併記されているところも多く、100年近く前に10年ちょっとしか統治しなかったドイツ人の言葉がそのまま残っているのはとても興味深いものを感じました

ここでは首都に2泊しただけですが、北側の方に行くと名前は忘れましたが動物に出会えるサファリもあったと思います。帰りは空路で市内にある小さな空港から10人乗りくらいの小型機で真夜中ヨハネスブルクに戻りました。ちなみにこの空港の名前は「エロス空港」。昨日のエ●本ネタほどではありませんが、個人的には好きな地名のひとつです。なお、行った順番でいうと、ナミビアの方がスワジランドより先でしたが、エ●本持込はナミビアの場合は大丈夫でした。

また明日もこの調子で続きます。では。


【南アフリカ】


アフリカネタ3日目です。今日は南アフリカ(南ア)について書きます。

南アは昨日の日記にも書いたとおり、南部アフリカ地域の大国です。アパルトヘイト(人種隔離政策)が終わってからは、政治的には黒人が掌握している状況にありますが、経済は白人が握っている状況が続いているはずです。天然資源に恵まれていることから経済レベルは完全に他のアフリカ諸国とは別格で、先進国と同等のレベルにあり、次回のワールドカップ開催地になるくらいちゃんとした国ではありますが、極めて貧富の差が激しい状況にあります。

南アには他の南部アフリカ地域の途上国に行く関係で、中継地として何度も入国をしましたが、連続滞在日数は最長でも2泊でした。最大の都市であるヨハネスブルクが大半で、そこから車で1時間くらいの首都のプレトリアにも1回だけ行きました。最近ではヨハネスブルクは世界最悪の治安であると言われており、殺人も日常茶飯事と聞いています。金持ちの白人は郊外に住んでいるので、市内はゴーストタウン化し、低所得者が空いてしまったビルに寝泊りしていて昼間でも近づくのは危ないと聞きます。

当時(93~94年ごろ)もすでに治安は最悪レベルと言われていたのですが、初めて行ったとき(一人です)ナイロビからの帰途トランジットで1泊したのですが、夜遅い時間に飛行機で到着し、空港からタクシーに乗り、ヨハネスブルク駅にほど近いホテルに泊まりました。また、翌朝時間があったので、駅まで10分程度ですが歩いて往復したりしました。でも、あとで関係者の人に聞いてみると、まず「夜一人でタクシーに乗るのはだめ。迎えの車を手配したほうがいい」とか「ヨハネスブルク駅の周辺には絶対近づくな。殺されるぞ」というのが定説だったようで、知らずに危険地帯に入り込んでいたようです。一応それまでも危ない行動はしないよう慎重にしていたのですが、やはり事前に情報はいろいろ調べておかないといけないと思いました。たまたま運がよかっただけで今こうしてブログを書いていますが、場合によっては10年以上前にこの世からいなくなっていたかも、と思うと結構恐いものがあります(まあ事件に遭遇するかは確率の問題なので、遭遇しない確率の方が高いですけどね)。

でも街としてはニューヨークの規模をちょっと小さくしたような雰囲気で、普通に歩いていれば恐怖心などは感じるところではないと思います。街も基本的にきれいでした。車をあるルートで借りて、ヨハネスブルクから100km以上はなれたところにあるサンシティというラスベガスのようなところにも行ってみましたが(カジノや遊園地がある広大なテーマパークみたいなところ)、このように下界とは隔絶された世界もあります。ただ、市内から少し離れたところには、ソウェトという貧しい黒人の人たちの居住地があり、ここにも行くことができましたが、黒人の運転手からは「ドアのカギは絶対閉めて。窓は開けないで。人の写真は絶対撮らないで」と事前に注意をされ、緊張感があるところでしたが、見た目はそれほど小さな家というわけではなく、ちゃんと車を持っている人もいたりして、よくわけのわからない世界だったことを記憶しています(日本人の目からすると家の大きさは特に小さくはなく、白人や金持ち黒人の住む家が大きすぎるのだと思います)。

当時はまだアパルトヘイトが終わったばかりのタイミングだったので、今はもう少し良くなっているかもしれません。また、行く機会はありませんでしたが、南アはサファリもたくさんあり、野生動物を間近で見ることができますし、南にあるケープタウンは英国風のきれいな都市のようであり、ケープタウンとヨハネスブルクを結ぶ、相当前でないと予約がとれないという「ブルートレイン」という名の人気の豪華寝台列車もあったりなど、観光地としてはいいところだと思います。ご興味ある方は次回のワールドカップのときにでも是非行ってみてください(というにはちょっと遠いですけどね)。

ちなみに南アは最近中国様と資源の分野などで関係が深まっているようですね。きっと中国様の方たちが今は相当増えていることと思います。そんなことでまた明日。


【ウガンダ】


突然ですがマイナーな国シリーズ、アフリカのウガンダです。ウガンダはケニアの西隣の内陸の国です。ゴリラのふるさととしても有名ではあります。あと、70~80年代にはアミン大統領というとんでもないおっさんの独裁でも有名です。アミン大統領はかつてアントニオ猪木との試合がセットされたりしましたが、その前に確かクーデターで失脚したかなにかで試合が流れたこともありました。

ここに行ったのは2回、滞在日数は合わせても4日くらいですが、隣の東アフリカでは一番メジャーな国であるケニアの出張時についでに行った感じです。訪問した先はホテルとあちらの役所くらいだったので、大した思い出というものはないですが、飛行機から見た景色はきれいでした。ケニアのナイロビからウガンダ航空のプロペラ機で飛び立つと1時間も経たないうちにアフリカ最大の湖、ビクトリア湖の北側上空を飛びます。このあたりは緑がとても豊富でした。関係ないですが、旧英国植民地だった場所には「ビクトリア」という名前がたくさんありますね。このビクトリア湖のほか、ジンバブエにはビクトリア・フォールズ、香港にもビクトリア・ピークとかビクトリア港など世界中にあったりします。

ウガンダの玄関口はそのビクトリア湖のほとりにあるエンテベ空港というところで、70年代にハイジャック事件でも一瞬ですが有名になりました。首都はカンパラといいますが、空港から田舎の道をまっすぐ1時間あまり北上したところにあります。首都といっても山間部の小さな田舎の町という感じで、高い建物は当時(94~95年ごろ)あまりありませんでした。

市内を少し歩いたりしたものの、特に印象に残ったものはないのですが、ここの滞在中の思い出はひとつだけ。朝起きたときに「ここはどこ?私は誰?」と思ったことを覚えています。あらためて「とんでもないところに来てしまったもんだ」と素朴に思いました。それだけです。別にオチはありません。食べ物でひとつ思い出したのは確かキャッサバ(?)というイモを磨り潰したものやバナナをゆでたようなものが主食として出されたような気がします。書きながら思い出していますが、一般的にウガンダ人はとても勤勉でした。役所の事務所内にも入りましたが、どこか日本の昔の会社風の雰囲気で、個室はなく机を島形にして配置していました。アフリカでも欧米のように個室形式が多かった記憶がありますが、この国の場合は日本式となぜか近くてとても親近感をもったことを思い出します

そんなことでとりとめのない話になりました。失礼します。


【1994年のアフリカのサファリ(ケニア)】


また昔話ですいません。今日の写真は1994年11月に行ったアフリカ・ケニアの「マサイマラ国立動物保護区」、いわゆる「サファリ」というものです。ケニアでは最も有名どころのサファリで、マサイ族の居住地に隣接しているところです。このときは仕事で2週間あまりナイロビに滞在したのですが、週末を使って1泊で同行者と二人で行きました。あくまでも仕事の合間の土日に自費で行ってますので誤解はしないでくださいませ。

飛行機の中

このような小型のセスナ機に乗ってナイロビから1時間くらいのところにマサイマラ保護区はあります。ちょうどこの数ヶ月前、日本人観光客の乗った同型機が墜落事故を起こしたことを同行者も私も別々に聞いていたのですが、その話題はお互いに一切触れませんでした。座席が乗客7人分(操縦席のとなりにも一人乗って後ろに6人)しかなく、低空で飛行かつ進行方向とは反対向きの席でしたので、緊張感と息苦しさで大変でした。

上空から

上空からはこんな感じです。地平線の先まで見え、雲の形から遠くでスコールが降っているのがはっきりわかります。

飛行機

草原の真ん中にある滑走路に着陸した飛行機。最初滑走路にシマウマの群れがいて着陸できず、1回旋回して待ったあと、ようやく着陸したことを覚えています。写真は帰りの客を乗せて飛び立つところだと思われます。

ロッジ

先ほどの飛行場には迎えのガイドと車が来ていて、予約していたロッジ式ホテルに到着します。見かけはシャビーな感じがしますが、ちゃんと別棟にレストランや土産物屋の建物も完備しています。シャワーやトイレもあったと思います。

ライオン

さて、専用のジープでサファリを回ります。基本的に動物が活動するのは朝なので、サファリも早朝~午前中実施が基本です。まずはライオン。日本のサファリパークとは違って動物は密集していませんので、プロのドライバーが動物の出没するポイントを選んで進みます。

チータ

チータです。正面にいるようなああいう車に我々も乗っています。

ダチョウ

ダチョウですね。景色が最高にきれいです。動物を見つけられなくても十分満足できました。

スタック

でもちょっと油断するとこのようにぬかるみにはまります。通常数台のキャラバンで回りますので、お互いに助け合うことになります。

キリン

またちょっと油断すると、目の前をキリンが横切ったりします。

ハイエナ

馬のようにも見えますがハイエナです。

マサイのショー

夜はロッジでこのようなマサイ族のショーもありました。マサイ族は「誇り高き人」ということで、あえて文明の恩恵を受けないというのが建前ですが、かなり商業化はされていました。

ケニアには1週間~2週間の滞在を4回くらいしましたが、サファリのファンになりました。たぶん明日も別の写真をアップします。仕事のついででもないとなかなか簡単には行けませんが、機会があればまた行ってみたいと思っています。360度地平線の景色の中にたまにぽつぽつと動物がいる光景を見たことで少し人生観も変わった気がします。そのまま天国に行ってしまいそうです。

そんなことで、ではまた。


さて、今日も12年前のアフリカのサファリの写真にお付き合いください。昨日の写真より約半年前、1994年3月にケニアに初めて行ったときの写真です。このときはナイロビから陸路で確か片道4時間くらいのところにある、「アンボセリ国立公園」というところに1泊で行きました。キリマンジャロに近く(このときは見えませんでした)、山を越えればタンザニアという位置にあります。

ナイロビ

これはナイロビ市内。確か標高2000m近いので、階段に上ると息が切れます。緑が多くきれいなところですが、当時隣国ソマリアの内戦の余波などもあり、治安が非常に悪い状況ではありました。

ロッジ

このときアンボセリで泊まったロッジ。

サル

何という種類かわかりませんが、サルが出迎え。

部屋

部屋はこんな感じでした。電話の横にあるのはたぶんマラリア避けのスプレーかと。

入口

これがサファリの入口。このときはサンルーフ付きのワンボックスでした。ちなみに同行者はいなかったので車には私一人。感動を分かち合う人がいなかったのは少々寂しかったです。

ゾウ

ゾウです。普通の安物のカメラで撮っていますが、絵のような景色です。

もう1枚だゾウ

ゾウをもう1枚。ゾウを見るならアンボセリ、だそうです。

シマウマ

シマウマが目の前を横切ります。これも絵のような景色。

カバ

真ん中に団子のように見えるのはカバ。カバは水辺にいるのでこういうところではめったに見られないと運転手が言っていた記憶があります。あと、サイを見ると天国に行けると言っていたような気も・・・(それほど珍しいということです)

ヨハネスブルク

最後はついでですが、帰路トランジットで1泊した南アフリカのヨハネスブルク。アフリカでは最大の都市(のはず)、見かけはニューヨークみたいなところでしたが、当時から(今も)世界最悪の治安といわれていました。知らずに危ないところを歩いてしまったことに後から気づきました。

そんなことで昔を思い出して書いているうちに、また行きたくなってきました。ああ・・・


【1994年のビクトリアフォールズ(ジンバブエ)】


またまたアフリカ昔話です。1994年11月、12年前にアフリカ・ジンバブエにあるビクトリアフォールズ(ビクトリアの滝)に行ったときの写真を少しご紹介します。ビクトリアの滝は、ナイアガラ、南米のイグアスと並んで「世界三大瀑布」と言われているところです。一昨日の華厳の滝など日本の滝もすばらしかったですが、これらはどれも規模が巨大なので圧倒されます(といっても他の2つは行ったことがありませんのでよく知りませんが)。あと、ジンバブエという国は、南アフリカと同様、白人支配の期間が長かったので(旧名ローデシア)、都市の感じは南アの小型版のようなこぎれいなところでした。

ハラレ空港

首都ハラレの空港。ここから日帰りでビクトリアフォールズツアーに参加しました。片道は飛行機で1時間くらいだったかと。ちゃんとしたジェット機が飛んでいます。

ビクトリアの滝

ビクトリアの滝です。確か川幅が1kmはあったのではないでしょうか。落差も相当な高さです。

少し近づきます

少し近づきます。

さらに近づきます

さらに近づきます。水しぶきが飛んできます。

横から

横からです。

遠目から

遠目からです。

もう一度正面から

もう一度正面から。

おっさん

これはビクトリアの滝を「発見」したというリビングストンの銅像。

ザンベジ川

滝の見学のあと、上流の川で遊覧船に乗りました。この川はザンベジ川。この川幅なので当然滝の水量も膨大になります。ビクトリアの滝はジンバブエとザンビアの国境にありますが、ザンビアの「ザン」はこの川の名前から来ています。ビクトリアの滝はジンバブエからもザンビアからも見ることができますが、ビクトリアフォールズという名前の町がジンバブエ側にあり、景色もそこからの方がきれいなので、通常はジンバブエ側から行くようです。

ワニ

たぶん、その後行ったワニ園かと。あまり記憶に残っていません。

これも仕事の出張の週末を使って日帰りしました。あくまでも自費で行っております。念のため。そろそろネタが尽きてきましたので、明日から面白くないかもしれませんのであらかじめお許しくださいませ。では。


【ゾウと地平線】


再び昔話写真シリーズです。前にお見せしました12年前のケニアのサファリで撮った写真を数枚。今日はあえて文章は書かないことにします。

まずはゾウから。

ぞう

ゾウ

象

続いて地平線。

ちへいせん

チヘイセン

地平線

CHIHEISEN

いやあ、アフリカっていいっす。


【相当マニアックな言語】


著しくマイナーでマニアな言語シリーズです。アフリカ南部で話されているXhosa(コサ)語Swazi(スワジ)語です(両方とも南アフリカの公用語。後者はスワジランドの公用語)。昔アフリカの仕事をしていたときに、南アフリカやスワジランドに行ったことがあります(7月25日7月27日の日記でも書きました)。ここで直接耳にすることができたこの二つの言語には世界的にもこのあたりにしかない、クリックサウンド(粘着音ともいいます。PCの「クリック」(=「カチッ」という音)の意味と同じ)があることでかなり特殊なものです。

この音を文章で説明するのは非常に難しいですが、例えば犬や猫を呼ぶときに「チュッチュッ」といったり、舌打ちするときの音に似ています。普通、言語の発音(母音も子音も)は息を吐きながら行うものですが、このクリックサウンドというのは息を吸いながら発音するということで、相当特殊だといえます。ネット上でこの音を聞けるサイトはないか、探してみたところ、ありました。これです。

http://www.phonetics.ucla.edu/course/chapter6/xhosa/xhosa.html

(単語のところをクリックすると音が聞けます。Windows Media Playerが開くはずです。音量は少々小さいです。ソフトが対応していない方、すいません)

クリックサウンドも3種類(上のサイトの縦の列3つです)あり、舌先が前歯の裏(「ツ」で息を吸う感じ)、硬口蓋(北京語のZHの舌の位置で息を吸う感じ)、舌の両側(「チュ」で息を吸う感じ)のように分けられます。このサイトでもよく聞くとわかりますが、途中で息を吸う音が入ると相当違和感を感じます(どうでしょう?)。

コサ語とスワジ語はどう違うのかよくわかりませんが、この3つのクリックサウンドは両方にあったと思われます。スワジランドという国に行ったとき、現地の人同士がこの言葉を話すのを結構長く聞きましたが、とても印象深く記憶に残っています(もちろん外国人には英語を話しますが)。スワジランドではクリックサウンドを語頭に含むNcane(「c」が上で言ったクリックの一番左の音で、さらにその前が鼻音化します)という姓の人がやたらたくさんいて困りましたが面白かったです。こういう音まねは得意でしたので、真似してNcaneさん!と呼んだら現地人に喜ばれました。

世界にはいろいろな発音があるものです・・・


【ガーナ】


週末は道の駅めぐりドライブを常としていますが、最近は日も短く、紅葉も一段落気味、かつ会社で仕事をしていたので、帰りに家の近くの日帰り温泉立ち寄りのみで、久しぶりに移動距離が短い週末になりました。

そんなことで(あまり関係ないかも)、久しぶりのアフリカシリーズ、「ガーナ」です。ガーナは西アフリカ・ギニア湾の北側にあって、細かな国がたくさん並んでいるうちのひとつで、率直に言うと田舎の国です。オスマン・サンコン氏のギニアはガーナの左4軒くらい先、ゾマホン氏のベナンは右側2軒となりいった位置関係にあります。ここも10年少し前、アフリカの仕事をしていたときに3回ほど行く機会がありました。チョコレートの名前にあるように、カカオの産地になっています。

首都はアクラというところで、海沿いの小さな町です。ここの写真は撮らなかったので何もありませんが、代わりにこんな写真をどうぞ。

きれいなトカゲ

きれいなトカゲです。アクラ市内ではいたるところにこのトカゲ(30cmくらいあります)にお目にかかります。ホテルの渡り廊下でもよく見かけました。アフリカというと動物がたくさんいるイメージが強いかもしれませんが、サファリなど野生動物が見られるところは東アフリカ(ケニアやタンザニア)、南部アフリカ(南アフリカなど)が中心で、西アフリカにはほとんどいません。ガーナで見たのはこのトカゲだけです。

ガーナにはあまり観光地らしい観光地もないのですが、一度週末に首都から西へ車で2時間くらいのところにあるケープコースト(Cape Coast)というところに行きました。道中はこんな感じ。

道中

運ちゃん

ちなみにこれは運ちゃん。 

観光地にするのはどうかとも思いますが、かつてケープコーストは奴隷の積出港として栄えた場所です。ここから大量の黒人奴隷がアメリカ大陸などに運ばれました。こんなところです。

ケープコースト1

ケープコースト2

ケープコースト3

ケープコースト4

ギニア湾(大西洋)がよく見え、景色はとてもいいところでした。でも中には奴隷積み出しが行われたときの展示も確かあって、悲しい内容でした。現地の人たちも大勢見学に来ていましたが、どう思うんでしょうかね。北京にある「抗日記念館」のようなものかもしれませんが、中国さまのようにそれをネタにゆすることもせず、ガーナ人はいたっておとなしくて穏やか、明らかにいい人が多かった印象があります。ちなみに国連のアナン事務総長もガーナ人ですが、見ていてそれに通じるものを感じてしまいます・・・





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