2009年1月薩摩方面・温泉と篤姫遠征(2)2009年1月24日~25日・薩摩方面・温泉と篤姫遠征(後半) まだまだ続く薩摩遠征その5。もうほぼ1週間前の話になってしまいましたが。。 昨日の日記でも使った写真ですが、2日目も早起きして砂むし温泉に直行。 砂むしの後は、7:51、さらに海が見える露天風呂・眺望の湯に。日の出の時間はすでに過ぎていました。 朝風呂を満喫したあと、8:03朝食バイキングのレストランから一枚。 きれいだったのでさらにもう一枚。対岸は陸地は大隅半島です。 8:49、指宿いわさきホテルを出発。 当初行く予定にはしていなかったのですが、先ほどの指宿市内からそう遠くないところに鰻池(うなぎいけ)というのがあり、そこに鰻温泉という渋い山間の温泉地があることがわかりました。9:12、その鰻温泉に到着。 区営鰻温泉です。地元の小さな公衆浴場ですが、かつて西郷隆盛も訪れているようです。お湯がとても熱かったので5分くらいで出てしまいました。 裏手はこんなに湯気が出ています。お湯が熱いのもよくわかります。源泉は90度台と書いてあったと記憶しています。 このあたりの家はちょっと雰囲気が違いますね。湯気はいたるところから出ていました。 湯気に圧倒されます。 これは温泉の横にある「スメ」というもの。卵などをゆでたりするためのものですが、「スメ」っていうんですね。9:26、鰻温泉を出発。 鰻温泉の少し西側にある池田湖というところに向かう途中、薩摩半島南端にある開聞岳が間近に見えました。富士山を小型にしたような開聞岳は、薩摩富士ともいうそうです。かわいい感じの山で、何か親近感のようなものを感じます。 9:53、池田湖パラダイスというドライブインに着きました。ここは開聞岳と池田湖と菜の花畑のコントラストがとてもきれいでした。 きれいだったのでもう一枚。 開聞岳と池田湖のアップです。 菜の花と池田湖パラダイスの建物。 菜の花のみの写真も。 池田湖は、ネス湖のネッシーのパクリ、イッシーで有名だったんですね。池田湖が薩摩にあるというのは今回初めて知りました。。 その後「指宿スカイライン」という眺望の素晴らしい道路を通って北上します。。続きはまた。 薩摩遠征その6です。まだあと2回くらい続きます。 2日目の朝ですが、すでに風呂には3つ入っております。。 イッシーの池田湖から北上、10:07指宿市の山側を通る指宿スカイラインを通ります。錦江湾方向がよく見える素晴らしい眺望の道路でした。 10:15、途中に千貫平という展望台があったので、しばし休憩。曇ってしまいましたが、西方向には開聞岳がよく見えました。 東方向には指宿市内、錦江湾と大隅半島。朝まではあの出っ張ったあありの少し手前にいたわけでございます。。 下の白いのは雪です。 雪と開聞岳のコントラスト、なかなかです。先週末はこんな感じで鹿児島は東京よりもずっと寒かったです。 さて、このあとは知覧というところに来ました。この地名をみなさまはご存知でしょうか。第2次大戦中の特攻隊の出撃基地があったところです。ここからは少しトーンを変えます。。 10:44、知覧特攻平和会館です。中には特攻隊員としてここから飛び立った数多くの兵士の遺言、あるいは最後の肉親あての手紙の実物や複製が数多く展示されています。いくつか、それらを読ませていただきましたが、思わず涙を流してしまいました。周りにも鼻をすすったりする人がたくさんいました。当時10代後半から20代前半くらいまでの若い兵士の純粋さ、あるいは表向き強がっているがまだ死にたくない気持ちが伝わってくる手紙の内容に圧倒されました。この日も結構たくさん観光客がいましたが、薩摩方面に観光に行く際は、日本人としてここを見るのは必須だと思いました。この前、別の本でも読みましたが、あの時代大局が見えず近視眼かつタコつぼ状態の一部の連中が無謀な戦争に走り、この知覧から飛び立った特攻隊も含む300万人以上の日本人を死なせたわけです。今も身近に、そういう視野狭隘で自己中心な輩がたくさんいますが、結構共通点を感じることが多いです。私は反戦とかのステレオタイプな観点でなく、責任ある立場の者が周囲の動きが見えなくなって適切な判断ができなくなっている状態に憂慮しているわけでございます。。 展示内部は撮影禁止でしたので、外にあったものを。これは当時の兵士が寝泊まりした兵舎を復元したもの。 特攻用の飛行機も展示されていました。 慰霊の鐘です。短時間でしたが貴重なものを見せてもらいました。。 これは知覧の観光マップ。戦争中、日本軍の関連施設はこの周辺にたくさんあったようです。 さて、知覧は戦争関連以外にも、武家屋敷でも有名です。あと知覧茶もこのあたりでは高級茶として有名のようですね。11:33武家屋敷の入口まで来ました。 この通りにこういう屋敷が今もそのまま残されていて、一部は内部まで開放されています。知覧はかつての琉球貿易の拠点のひとつだったようで、沖縄の雰囲気を感じるところもありました。 屋敷の中の庭園です。昔の武士はいいところに住んでいたんですねえ。。 武家屋敷が並ぶ通りはこんな感じ。 中には今も普通に人が住んでいる家もありましたが、うらやましいですね。。 さて、その後は鹿児島市内へ。12:14、これは市内手前にあった土産物屋。薩摩城という名前ですが、本物の鹿児島市内のお城、島津家の鶴丸城にはこんな天守閣はないんですよね。。また明日に続きます。。。 千週末の薩摩・温泉と篤姫遠征完結編です。 12:51、鹿児島中央駅前まで来ました。もともと今回は帰路にここから九州新幹線とリレー号を乗り継ぎ、3月半ばのダイヤ改正で廃止される東京行きブルートレイン「はやぶさ」に熊本から乗る予約をしていましたが、仕事の関係でキャンセルせざるをえませんでした。そんなこともあり、この駅は一目見ようと思っていたわけでございます。しかし、観覧車がある駅とは驚きました。 鹿児島には市電が走っています。 新型の車両もあるんですね。 13:05、鹿児島中央駅の中にある鹿児島ラーメンの店、「ざぼん」で昼食。あっさりしたとんこつスープと細麺、もやしなど具の多さに満足。それと鹿児島らしかったのは、桜島大根の漬物が取り放題だったこと。右のがそれです。 再び鹿児島中央駅。九州新幹線が開業したときに西鹿児島から鹿児島中央に駅名が変わりましたが、鹿児島の場合、昔から西鹿児島駅のほうが北のはずれにある鹿児島駅より大きな駅だったんですよね。子供のころから時刻表で地図を見ていたマニアとしては、気になっていた部分ですが、そこに来ることができて大満足でした。 13:47、鹿児島中央駅から車で少々行ったところに、西郷隆盛の銅像があります。薩摩遠征・篤姫ツアーのクライマックスとしてここは絶対はずせません。 上野の西郷さんは着流しと犬ですが、鹿児島の西郷さんは軍服ですね。 この銅像の後ろ側に、西郷隆盛が西南戦争で自刃した城山があります。ここまで来れて感動です。 13:54、少し歩くと旧島津家居城、鶴丸城跡があります。 「薩摩は人をもって城となす」。鶴丸城はあの時代の城としては珍しく天守閣がない城でしたが、こういういわれがあったんですね。共感がもてます。 城壁です。このときはみぞれ混じりのような雨が降っていて結構寒かったです。 フライトは16:40発なのでちょっと早すぎかと思いつつも、鹿児島市内を余裕をもって出発、鹿児島空港に向かいます。九州自動車道に乗り、14:35桜島SAで一服。正面には桜島が。 桜島SAは、桜島が見えるというだけで、住所的には桜島となんにも関係ないようです。。 さて、その後14:50ごろ鹿児島空港に到着。まだ結構時間があるので、前日霧島方面に行く途中素通りした龍馬ゆかりの温泉に行ってみることにしました。 15:14、篤姫ゆかりの地でもある、坂本龍馬夫妻が18日間滞在したという「塩浸温泉」にやってきました。 「坂本龍馬・おりょうの新婚湯治の地」とあります。山間のひなびた温泉です。 坂本夫妻の像もあります。 これは塩浸温泉の建物。折角なので入ってみます。他に客はおらず、料金を払って薄暗い廊下を通って内湯に行きます。 内湯はこんな感じ。ここも温度が高かったので、数分入ってすぐ出ました。 先ほどの内湯のある建物。あとでネットでいろいろ見たら、左の排水が流れるところがかつて坂本龍馬が入った風呂だったそうです。また、この風呂老朽化で間もなく廃業するということもネットで出ていました。この時期に行っていてよかったです。15:29、塩浸温泉を出発、空港に向かいます。 空港前のレンタカー屋に車を返し、16:09鹿児島空港に戻ってきました。空港ロビーの前には足湯もあるんですねえ。その後定刻通り16:40に鹿児島を出て2時間弱で羽田に帰ってきました。 2日間という短い時間でしたが、篤姫ゆかりの地といい温泉に入らせていただきました。今年度の遠征は年度初めの目標にしたところはすべてクリアできました。また来年度の目標を立てねばなりませぬ。。 全部ご覧いただいたみなさま、ありがとうございました。。。 前半はこちら ジャンル別一覧
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