2014年夏・欧州6カ国遠征(4)2014年夏・欧州遠征(ドイツ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、イタリア、バチカン)(4) 欧州レポート(13)、18日(月)の夜、パスポート盗難後、盗難証明をもらいに警察に行ったものの、対応できる人がいなくて空振り。意気消沈しつつゲストハウスへ戻りました。 ただ、盗難証明は何とかなりそうなことがわかったので、めげずに次はザグレブまでの足の確保。最初Expediaでフライトの有無を見てみたら全然なさそうだったので、長距離バスをガイドブック等でみてみるとドブロブニクから11時間!何日もここドブロブニクで足止めになり、会社や実家にも迷惑をかけるのではないかと悪い結末になることが頭をよぎりました。気を取り直してネットでクロアチア航空のサイトをみてみると、20日のザグレブ行きフライトが一席残っていることがわかり早速予約(ザグレブの大使館近くのホテルも)。これで21日までにパスポート代わりの証明書が出れば、もとの予約したフライトは無駄になってしまいますが、その後別の経路(イスタンブール経由)で予定通り23日の朝に東京に着けそうです。あとは、戸籍謄本をどうするかですが、これが結構問題。大使館の方からは、原本でなくてもFAXで大使館宛に直接日本から送ってもらってもよい、と聞いたのですが、私の本籍地は品川区で実家の板橋区からは遠いのと、頼むのが80歳代後半の両親。とはいうもののほかに手段がないので、実家に電話し、翌日取りに行ってもらうことに。取れたら会社に速達で送って会社から大使館にFAXしてもらうよう、会社の同僚にも電話でお願いしつつ段取りをしました。 その日にできることはそれくらい。盗まれた自分の不注意さが悔しくてこの日の夜はなかなか眠れませんでした。。
翌朝(ここから19日(火))、早めに目が覚めました。警察に行く前に、ザグレブから先の代替フライトも調べておこうと思い、もともと帰路でローマ~チューリヒ~東京という形で予約していたので、ザグレブ~チューリヒ便はないかと調べると、ちょうど良いフライトがここでも1席残っていて早速予約。これであと警察の証明書と戸籍謄本を揃え大使館で手続きすると、何とか予定通りのフライトで東京に戻れます。もうこのあと予定していたローマはまた今度、ということで完全にあきらめ、ローマで2泊予約していたホテルをキャンセルしました。戸籍謄本も、すでに実家の両親が区役所で入手して帰って来たと電話で確認しました。ただ、実家の父は私の会社名(長い)や住所が書けそうもないので、買い物に出かけた母が戻ってくるタイミングで再度実家に電話することにしました。 これであとは警察に行くのみ。8時過ぎにタクシーで昨晩行ったドブロブニク警察署を再訪問。今度は話のわかる担当官がいたのですが、パスポートのコピーとかを持っていなかったので、ちょっと難儀しました。日本の運転免許証とツアー予約のバウチャーで何とか本人確認は事なきを得て、盗難証明を作成してもらいました。ちなみに作成には日本でいう収入印紙が必要で印紙は通りの反対側のキオスクで買えと案内されました。日本のかつての運転免許試験場のような感じ。盗難証明はクロアチア語でしたが、公印も押されたもの。私の生年月日、名前、盗難の経緯などが書いてあるようでした。 さて、これで書類が揃ったのですが、盗難証明はザグレブまでの国内線フライトに乗るときにとられてしまうかもしれないので、何枚かコピーをとっておこうと旧市街の城壁の西側にあるヒルトンホテルのビジネスセンターに立ち寄ることにしました。まず先に無料インターネットコーナーで、予約したザグレブ便のEチケットやホテルの確認書をプリントアウトしました。その後、盗難証明のコピーのため、ヒルトンのフロントでそれを渡すと・・・ 「あれ、もしかしてこのパスポートはあなたのですか?」 フロントの男性が不意にジッパー付ビニール袋に入ったパスポートと書類一式を見せてくれました。 「え?それ私のです!」 本当にびっくり。戻ってくることなどないと完全にあきらめていたので、信じられませんでした。まさに「ドブロブニクの奇跡」です! フロントのもう一名の女性の方の話によると、前の日の晩遅く、この袋を拾ってくれた方が、旧市街から最も近くにある外資系ホテルであるヒルトンのフロントまで届けてくれたとのこと。また、袋の中に私の宿泊先の確認書が入っていたので、それを見てホテルからもそこに電話してくれていたようです(ただし、夜遅かったのでゲストハウスのオーナーは電話に出ず、この日は私が警察に出かけたあとにヒルトンがゲストハウスに再度電話してくれたそうですが、私はつゆ知らず・・・)。袋の中のパスポートと書類は完全そのままで無事、ユーロのコインが抜き取られただけで実害はほとんどありませんでした。あの女の子たちは万引き感覚で袋を抜き取り、コインをせしめただけで残りはそのへんに投げ捨てたんでしょう。でも、完全な形で戻ってくるとは、さらにこんなに早く戻ってくるなど、夢にも思いませんでした。どこにも親切な方はおられるんだなあと実感しました(涙)。 ヒルトンのフロントの方々には丁重にお礼を伝え、すぐさま実家の両親と会社の同僚にも報告しました。実は年老いた両親に速達で会社に戸籍謄本を送ってもらうところが一番ボトルネックになっていたのですが、余計なご心配をおかけしてすみませんでした。。その後ゲストハウスに戻り(オーナーのじいさんがノー天気に「ヒルトンから電話あったよ」と言ってましたが)、予約したザグレブ行きやその先へのフライトやザグレブのホテルを急ぎネットと電話でキャンセルしました。一部はキャンセル料が出ましたがパスポートが見つかったご祝儀ということでよしとします。また、大使館の方にもご迷惑をおかけしたので顛末をすぐ電話で報告しました。この前のプサンでもそうでしたが、本当、いろいろな人に助けられて生きていることをまたまた改めて実感する次第です。 あとは予定どおりの旅程に戻りますが、ローマのホテルをキャンセルしてしまったので、再度Expediaで予約。結果的にはもともとこの日何も予定を入れておらず、予備日として余裕のある日程にしていたことが功を奏しました。 そんな、「ドブロブニクの奇跡」のお話でした。この経験が何かのお役に立てばと思い、ありのまま時系列に書いてみました。でも、皆さんもパスポート盗難には気を付けましょう。自分は旅慣れている方なこともあり、最近は油断が多かったので、初心に帰り今後はやはりパスポートのコピーは持っていこうと思います。それと、インターネットやスマホで効率的な対処ができましたが、これ昔のように何もない時代だったらどうなったんでしょう。ドブロブニクかザグレブで何日も留め置きになったかもしれません。。 一件落着したので、夕方まで一眠りしたあと、食事に旧市街へ。今度はパスポートは部屋に置いていくことに。 翌朝は4時起きなのでこれで就寝、激動の一日でしたが、思い出深いドブロブニク滞在となりました。。 欧州レポート(14)、8月20日(水)、ドブロブニク出発の日。 朝7時半ごろのローマ行きフライトに乗るため、ロープウェイ乗り場発4:55の空港バスに間に合うよう4時ごろ起床。パスポート盗難事件も奇跡の展開になったので短時間ながらよく眠れました。前の晩、部屋は来たときの原状復帰が原則なので、簡単な掃除とゴミ捨てをして最後に5泊6日お世話になった部屋を記念に一枚。 結構設備は良かったんです。ゲストハウスのオーナーはまだ寝ているので、カギをドアのところに残して出発。 いつものロープウェイ乗り場からゲストハウスやスルジ山の山頂の方向。ちょっと感慨深かったです。思い出深いドブロブニク滞在でした。予定通りバスが来て空港へ。 ドブロブニク空港の大型タッチパネル式情報端末。最近こういうのがどこに行っても多くなりました。 空港でクロアチア最後の朝飯。出国後になぜか両替がなく、クロアチアの通貨クナのコインがたくさん残ってしまいました。クロアチアに行く予定のある方がいたらお譲りします。 この後、飛行機は一路フランクフルトへ。フランクフルトで3時間超の乗継待ちのあと、ローマへ。ちょっと遠回りのルートです。 14:30過ぎ、ローマのフィウミチーノ空港到着後の一服。レオナルドダヴィンチ空港ともいうみたいですが、表示は地名の方のフィウミチーノしか見ませんでした。 市内では電車で行くことに。レオナルド・エクスプレスという市内までノンストップの特急で行きます。 車内の路線図。ローマは遺跡の関係で地下鉄が掘りにくくて2路線しかありません。ほかはJRのようないわゆる近郊電車。 駅前広場をみながら一服。ふつうの建物もすべて由緒があるかのように見えてしまいます。 愛想だけは良いいかにもイタリア人っぽい運ちゃんのタクシーでテルミニから20分ほど。運ちゃんは英語がほとんどできないということで、少し勉強したイタリア語でちょっとだけ会話しました。その後バチカン近くのホテルに到着。バチカンに行きやすいところということで、ここを選びました。ここも朝食なしのB&Bタイプ。部屋はとてもおしゃれな感じでしたが、普通の住宅用ビルを改造したようです。 城壁の向こうがバチカンのサンピエトロ広場方向。 一度ホテルに戻り、宿泊者が自由に行ける屋上のテラスで一服。B&Bタイプだとこのように俄か居住者の気持ちが味わえるのでナイスです。 テラスからの景色です。一度部屋に戻り、翌日のバチカン博物館の予約をネットで行いました。地球の歩き方等に予約してから行くと長蛇の列に並ばなくてよいということが書いてあったのですが、これはそのとおりにして正解でした。このあとまた近場の散策に向かいます。まだまだ続くローマ編。 欧州レポート(15)、8月20日(水)のローマの夕方。 夕食がてらバチカンの近くを散策。最終日に空港へ行く際、地下鉄でテルミニ駅まで行こうと思ったので、ホテルから最も近い地下鉄A線のOttaviano駅までどのくらいの時間がかかるかの計測も兼ねました。写真はバチカン東側のリソルジメント広場。 Ottaviano駅の場所がわかったので、東方向に針路をとり、Quiriti広場の噴水まで来ました。 サンタンジェロ城の周囲を回ります。2世紀にハドリアヌス帝が霊廟として造ったのが最初だそうです。 お城の中の公園に出店がたくさん出ていました。そのひとつでラザニアを買ってローカルな夕食タイム。 Conciliazione通りという、サンピエトロ広場までまっすぐ続く道を歩きます。 ホテルに戻り、テラスからサンピエトロ大聖堂を一枚。至福なときを過ごしながら20日は終了。 この日はバチカン博物館見学の日ですが、朝食を買いに外に出てみました。 部屋で朝食のパンを食べ終え、バチカン博物館に出発。予約時間は9:30。この先、予約なしの方はやはり長蛇の列になってましたが、すいすいと入場。 入口でiPadを使って、メールで届いた予約確認書を見せ、イヤホンガイド(日本語)も借りて入場。これからバチカン博物館の写真が鬼のように続きます。。 欧州レポート(16)、8月21日(木)のバチカン博物館入場。 歴代の法王が財力に任せて集めた財宝の数々。やたら広くて最低でも1時間半くらいかかりそう。東側から入り西側のシスティーナ礼拝堂あたりで折り返し、再び東側の出口に戻るという、一方通行でいろいろなところをぐるっと回ってくる感じになります。 あとでガイドブックをみても写真がどこだったかよくわかりません。。 このあたり、いろいろなギャラリーが続きます。 ジャンル別一覧
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