アラフィフおやじの温泉やITや中国や道の駅のブログ

2007/05/12(土)02:18

紀伊半島遠征2日目(3)

道の駅とドライブ(163)

紀伊半島遠征ドライブ2日目(5月4日)その3です。Googleマップでは(7)から(11)までです。昨日紹介した橋杭岩からさらに南下します。11:30、本州最南端の町、串本町の役場前を通過。このあと、潮岬のある半島部を経由して橋をわたり、紀伊大島という島に入ります。ここはトルコと縁が深いところです。今回のドライブで熊野古道以外にもっとも行ってみたいところでした。紀伊大島の東端の岬の近くにある「トルコ記念館」。詳細はWikipediaのこのあたりを見ていただければと思いますが、ここは明治23年にオスマントルコの軍艦が遭難したところです。このとき、オスマントルコ皇帝が初めて日本に派遣した500人以上の使節が東京などに数ヶ月滞在し、その帰途運悪く台風に遭ってこの場所で座礁し、400人以上が亡くなったという話があります。その際、紀伊大島島民は総出で亡くなった乗組員をこの場所で手厚く葬ったり、100人以上の生存者を献身的に介護したり、彼らの本国送還にも親身に協力したということだそうです。この時代にそんな親切な対応ができたとは、日本人まだまだ捨てたものではありません。それに関係する当時のいろいろな品々がここに展示されています。展示の中で感動したのはこのエピソード。1985年のイラン・イラク戦争の際に、サダム・フセインのテヘラン空爆のために逃げられずに足止めを食っていた100名以上の日本人向けにトルコがチャーター機を飛ばし、脱出を助けたそうですが、当時日本の関係者やメディアもどうしてトルコがわざわざ助けに来てくれたのか、最初は誰もわからなかったそうです。追ってトルコが100年以上前の日本の大島漁民の恩返しとして、日本人を助けたということが判明したということですが、今もトルコが親日国であるのも、こういう背景があるからだそうです。素晴らしいことだと思いました。そのトルコ軍艦「エルトゥールル号」はこの場所で座礁したそうです。トルコ記念館の屋上からは記念碑と灯台が見えます。これが記念碑。日本語とトルコ語で書いてあります。灯台まで行く途中には、トルコ人経営の絨毯屋もありました。その後、潮岬に向かいます。12:35、本州最南端・潮岬にある「潮岬観光タワー」に上りました。入場券が証明書になっています。タワーの頂上から見た潮岬灯台。これは西の方向だと思われます。視線を南東方向にやると、眼下にはキャンプ場が。なかなかいいキャンプ場です。真南を向くとこんな景色になります。これが潮岬タワー。建物はかなりシャビーです。一服してこのあたりの名物「めはりずし」を少々。おにぎりを高菜で巻いた質素な食べ物です。潮岬灯台です。12:59、ここを出発、今度は海岸線を西の方角へずっと進みます。。 

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