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百二十五年物語

全89件 (89件中 1-10件目)

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2013年04月01日
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カテゴリ:ツナについて
0000000000000


おばあちゃん
おれ
きづかないうちに
おじいちゃんに
なってたよ

おばあちゃん
げんきにしてる?
よくけんかしたけど
またあいたいね
こんどは
おばあちゃんとなかよく
はなしがしたい

もう
おじちゃんのじまんばなしや
まんしゅうじだいのじまんばなしは
きかないでいいよね

000000000000














最終更新日  2013年04月01日 21時30分52秒


2013年03月29日
カテゴリ:千鶴子について
oyako


千鶴子さんへ
母へ
もう
この3月29日という日は
忘れていいのかもしれない
あなたには
2月15日という
新しい誕生日ができたのだから
でもね
現世に生きる俺には
まだ小さな未練のような日付なんだよ

oyako2


坂口良子が亡くなったというニュースがとびこんできた
テレビには
親子で坂口良子が映っていた
生きてるじゃないかと思ったら
テレビの左上に
「追悼 坂口良子」と書いてある
やっぱり本当に亡くなったのか・・・

昭和30年31年生まれは
やはり
同級生というか
同志というか
そういう感じってあるわけさ
浅田美代子
アグネスチャン
麻丘めぐみ
西城秀樹
野口五郎
郷ひろみ
世良まさのり
千代の富士
江川卓
掛布
さんま
まだまだいると思うが
やはり
同級生が亡くなるのはさびしいものだ

坂口良子訃報記事







五人家族


孫3(3人目の孫という意味)は
なんだか
俺の小さいときにそっくりなんだ
孫娘だから
美人になることは間違いないが
俺としては
あまり美人になってほしくない









最終更新日  2013年03月29日 21時42分37秒
2013年03月09日
カテゴリ:カテゴリ未分類
3年前のタマ

小さい頃は
白いタマだったが
だんだん大きくなるにつれて
少し茶色の毛がふえてきました







最終更新日  2013年03月09日 21時28分01秒
2013年03月08日
カテゴリ:カテゴリ未分類


著者石橋道秀さんは
山代町大字城に生まれて
小城高等学校を出て
中央大を卒業して中学校の先生をした人だ
昭和33年生まれだから中三トリオと同級生

彼の書いたこの本は
わがふるさとのことながら
知らないことばかりだった

俺の主観で
好きなところだけを引用して
ふるさとのみんなにも読んでほしいと思った


伊万里とは?

大陸から伊万里湾に入ってきた渡来人から
軍事上の拠点のひとつであった「吉野ヶ里」を守る
要塞の一つであった可能性は否定できまい

と、石橋くんは言っているのだ。

小島と牧島のあの島同士が狭さ
および小島古墳をどうとらえるかが
俺らにはおもしろい

「こじま」の「コ」は小さい、「シマ」は「ソム」で地形の意味

小島古墳が前方後円墳だったのはなぜか?

伊万里湾を航海する海人を守護するとともに、
侵入する外敵に対する示威行為であっただろう

外敵を防ぐには
神威を借りるとともに
武力も必要であった
その点
鉄は重要であった
製鉄技能は不可欠であった
従って
今岳河口から浦ノ崎にかけては製鉄集団が住んでいた可能性もある










最終更新日  2013年03月08日 21時16分37秒
2013年03月04日
カテゴリ:カテゴリ未分類
鎌倉駅
和田塚
由比ガ浜
鶴岡八幡宮
小町通り
御成通り
このくらいしか知らない鎌倉
前回の
瑞泉寺がすばらしかったものだから
今回も観光地を中心に散策を試みた
その記録である。

鎌倉界隈スライドショー


173


1.鏑来清方記念美術館

地図でてっとり早く見て
鎌倉駅から近いところから巡ることにしたら
ここが一番になったわけだが
まず漢字が読めない
鏑来清方と書いて
「かぶらききよかた」と読むらしい
小町通りの商店街の人に聞いたけど
あまり知らない関心が無い様子だった

挿絵画家で成功した人らしく
美人画に属するらしいが
美人と思えるような女性はいなかったのが
残念だ
個人の好みにもよるのだろうが
俺的には
風間完の描く女性が美人像なんだ
174



2.川喜多映画記念館

またこれ「川喜多」さんという名前も
まったく知らないでいった
鏑来清方記念美術館とは隣近所って感じで
路地をひとつはさんだだけですぐわかった

「監督大島渚&女優小山明子」特集とかがあってて
映画ポスター中心の展示だったが
十分に楽しめた
「愛のコリーダ」とか「愛の亡霊」など
西新の奥にあった映画館で見た記憶がある
きみおやうたまろと一緒に見て
映画館から出てきて
西新の通りを歩きながら
「きっつあ~~~ん」
「おさだ~~~~~」
と叫びながら帰ったことを思い出していた。

写真を撮ってきてなかった。


3.神奈川県立近代美術館

ここは鶴岡八幡宮の境内にあって
源氏池に隣接した
以前から気になっていた場所だった

「戦後芸術を切り拓く実験工房展」という
催しがあっていた
親父に見せたいような
親父が若い頃描いていたような匂いのする絵画や彫刻だった
今の俺には
何か合わないと感じた

写真展で
武満徹と谷川俊太郎の写真があって
昭和30年代の若者が
生き生きと
そしてノスタルジーっぽく写っていて
印象に残った

181



4.鎌倉国宝館

ここも
八幡宮境内にあったのだが
計画はしていたが
いつでも来れると判断して
行かなかった


5.建長寺

今回
瑞泉寺的な期待をしていったのがこの寺だった
お寺めぐりや神社めぐりを重ねていると
入り口(門や鳥居あたり)で
その場所が魅力があるかないかが
直感的に感じるようになってきた
あくまで個人的な好みによるものだが

完全な観光=お金のにおいがする寺だった
歴史がどんなにあっても
どんなに美しく守られていても
今そこにいる人たちの波動で
お寺も神社も存在している
宗教云々以前の問題があって
俺は
拝観料も払わず
団体と一緒に奥へ行こうとしていたら
男性から呼び止められて
300円の拝観料を求められた
公園で働く俺としたら
こういうわがままで自己中なお客が
いちばん印象がわるい
ごめんなさいね
建長寺の拝観料係りの方

お坊さんが大きな門の前で
仰々しくお話をされていて
それを熱心に聞く人の群れ
また別のお寺の中では
旗をもった観光バスガイドさんが
観光客の人に話をしていた

205


俺は
何か感じるものを求めて歩いていたら
懐かしい香りがしてきた
白檀の木?
詳しくはわからなかったが
白檀の来のかおりだったんじゃないかな?
写真をのせます

189


6.浄智寺

石段が美しかった。
庭園墓地を一周できるように
道ができていたが
岩肌と地蔵さまが
おごりたかぶることもなく
自然な状態で存在している感じがして
気持ちが落ち着く感じだった。
白人の若者に写真を撮ってくださいと
下手な日本語で頼まれたので
「OK!」と完璧な英語で応えた。

210




寺院のこともあるが
鶴岡八幡宮から建長寺までの道
この道は
車では味わえない何かがあった。
自転車での上り坂下り坂は快感だったよ。
そして
横須賀線を越えるところで
北鎌倉駅がすぐ近くだということと
その辺の地理事情には詳しいことを察知した次第である。

228



7.明月院(あじさい寺)

葉祥明美術館の先が明月院だった。

紫陽花
四季折々の花々の美しさが
お金になる
人を癒す

そのバランスをうまく保ってるのが
明月院なのかもしれない。
もちろん紫陽花は枝ばかりだった。

240



時計を見ると2時半だった。
お腹がすいていた。
小袋谷のとんでんをめざした。
家族で何度もきたことのある
ファミリーレストランだ。
イカの刺身、イカの一夜干、イカ天うどんを食べた。
258



8.浄妙寺

再び鶴岡八幡宮まで戻り
今度は鎌倉南部の寺をめざした。
浄妙寺。
紅色の梅が美しかった。
日が西に傾き始めた。
251



9、報国寺


お寺らしいお寺だった。
竹林がきれいだった。
お坊さんが駐車場にチェーンをかけはじめたので
光触寺に行くのは断念した。
276


鎌倉界隈スライドショー



おしまい。













最終更新日  2013年03月04日 20時49分16秒
カテゴリ:カテゴリ未分類
004


横浜散策スライドショー

午前8時半起床。
9時頃チェックアウト。
レンタサイクル「パノレン」をさがして中華街を歩き回る
(ここから句読点省略とする)
パノレンで電動式マウンテンバイクをかりる(1500円一日乗り放題)

サイクリングセンターのおじさんのアドバイスで港の見える丘公園側から攻めることにする

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マリンタワーの前で地図確認
道路に行列が並んでいるので
「なにかイベントですか?」
と係員にたずねたら
料理を食べるための列だとわかった
俺には理解できない
ライブとかコンサートのときの行列としか思えなかった



1.港の見える公園

工夫のない名前のつけかただと感じた
そのまんまじゃないか
でもそのまんまがなんとなくすてきに思えるのはなぜだろう?
そんなことを考えながら
レインボーブリッジはいつも京急リムジンバスからしか
見たことがなかったので
見れて少しうれしかった

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2.大佛次郎記念館

本名を「清彦」というのだそうだ。それだけで親近感がわいた。
彼の著書は1冊も読んだことがない
帰ったら図書館で借りてきて読もうと思った

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3.県立神奈川近代文学館

ここは
すごく
気に入った!
まだずっといたかったが
今日の目的は横浜観光地全政略だったので
また来よう!と思って
立ち去った

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4.横浜外国人墓地

墓があるだけだった

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5.ブリキのおもちゃ博物館

なつかしいおもちゃがあった
写真に撮った

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6.元町公園

公園が谷底のような場所で
自転車でいったら
帰りがきついと思っていくのをやめた
まわりの家の豪華さが
由比ガ浜界隈の豪邸とはスケールが違う
金のあるひとってたくさんいるんだなあと感じた

7.イタリア山庭園

スケッチされてる女性がいた
富士山がすぐ近くに見えた
地元の人らしき人に
どのくらいの距離かたずねると
100キロくらういですと教えてくれた
横浜~富士山って近いんだと知った

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061



JR石川町駅まで坂道を
疾風のように降りていった
寒かった
適当に走っていたら
横浜スタジアムが見えたので安心
ファミリーマートで肉まんを買って
店の前で食べた
有名人でないって本当にいいなあと感じた


8.横浜港大さん橋(くじらのせなか)

くじらのせなかの広いこと
自転車乗り入れ禁止だったから
しかたなく歩いた歩いた
両親と娘の3人に写真撮りを頼まれた
富士山と一緒にお願いしますということで
家族にはイタリア山庭園からの富士山がもっと見えますよと教えたら喜ばれた

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9 象の鼻公園

鳩の恋人なのか夫婦なのか
すごく仲良くうらやましかった

070





10.赤レンガ倉庫

やたら人が多い
広場ではアイススケートリンクが設立されて
みんなが楽しんでいた
115


俺は
赤レンガ倉庫だから
単なる倉庫だと思ってたら大間違いだった
中に入ると
なんだこの人間どもはというように
隙間もないような人だかりで
伊万里くんちも
山笠も
博多どんたくもかなわないような
人間の群れだった

表のかわいいお姉ちゃんに
観光するとこないかたずねると
ショッピングするとこばかりですと教えられ
その女の子の笑顔だけが
赤レンガ倉庫の思い出にしようと思った

二度と行きたくない!

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11.サークルウオーク

丸い道
エレベーターに自転車詰め込み
ここをぐるぐる自転車で走った
だって
横断歩道がなかったから
しかたがなかった
降りるときは
階段を自転車かかえて降りた

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12.横浜コスモワールド

桜木町から見てた観覧車
ここだったのかときてみたら
たしかに巨大な観覧車だった
下にはジェットコースターも走っていた
どうでもいい場所だったが
人は多かった

123


13.汽車道(きしゃみち)

ここは
よかった
また
きてもいい
ゆっくり
あるきたいかも

ここで
カメラの電池が切れた


それから北仲橋を渡り
桜木町を右に見ながら
馬車道駅を通り
神奈川県庁前を通り
(警官がたくさんいたけどなにかあったのかな?9
NHK前を通り
中華街に着き
この横浜散策を終えたのである

おしまい

111



横浜散策スライドショー








最終更新日  2013年03月04日 20時46分53秒
2013年03月01日
カテゴリ:カテゴリ未分類


著者石橋道秀さんは
山代町大字城に生まれて
小城高等学校を出て
中央大を卒業して中学校の先生をした人だ
昭和33年生まれだから中三トリオと同級生

彼の書いたこの本は
わがふるさとのことながら
知らないことばかりだった

俺の主観で
好きなところだけを引用して
ふるさとのみんなにも読んでほしいと思った


伊万里とは?

大陸から伊万里湾に入ってきた渡来人から
軍事上の拠点のひとつであった「吉野ヶ里」を守る
要塞の一つであった可能性は否定できまい

と、石橋くんは言っているのだ。

小島と牧島のあの島同士が狭さ
および小島古墳をどうとらえるかが
俺らにはおもしろい

「こじま」の「コ」は小さい、「シマ」は「ソム」で地形の意味

小島古墳が前方後円墳だったのはなぜか?

伊万里湾を航海する海人を守護するとともに、
侵入する外敵に対する示威行為であっただろう

外敵を防ぐには
神威を借りるとともに
武力も必要であった
その点
鉄は重要であった
製鉄技能は不可欠であった
従って
今岳河口から浦ノ崎にかけては製鉄集団が住んでいた可能性もある










最終更新日  2013年03月08日 21時14分21秒
2012年11月20日
カテゴリ:百二十五年物語
1


埼玉の
toshi,さんが製作してくれたYou tubeです。

俺の
青春の写真が並んでいる。

バックで弾いてるギターは
三男である。







最終更新日  2012年11月20日 22時09分33秒
2012年10月22日
カテゴリ:千鶴子について
千鶴子遺影1
千鶴子遺影

2012年3月14日から
2012年10月15日までの
母の七ヶ月間を
ここに簡単に記録しておく。


2012年(昭和24年)

3・14

立石医院の医師が
僕と直接話したいという電話を母がしてくる。
立石医院の西田医師によると
腹水がたまっているので
総合病院での検査が必要とのこと。
福岡市東区の和白病院で検査することを伝え紹介状を書いて頂く。

午後、細君と母をむかえにいく。
13:00福岡発。
15;00楠久津着。
18:00福岡着。

表情がなかった母が
高速でもどってくるうちに少し安心したのか
表情がやわらかくなってくる。

夕飯をウエストでうどんを食う。
細めんのつけ麺うどんを美味しいと食べる。



3・15

和白病院へ。

母、CTの検査後、はじめての点滴を受ける。

母が2時間点滴を受けてる間に医師に呼ばれて
・卵巣癌の可能性が高いこと
・腹水が腹部胸部にたまってがん細胞が播種していること
・和白病院には婦人科がないため浜の町病院を紹介する
の3点を告げられる。



母はすこぶる元気に夕食をとり
お風呂にもはいる。



3・16

浜の町病院へ。

安永医師から
卵巣癌および腹膜癌であることを告げられ
1.化学療法(抗がん剤治療)
2.緩和ケア
のどちらかの選択をせまられる。

1の化学療法を選択し、入院が決まる。



3・27

腹水を抜く。
胸部の水も抜き、癒着剤をつめる。


3・28

化学療法の1回目。



3・29

母、80歳の誕生日。

誕生日プレゼントは
昨日の抗がん剤だと言うと笑っていた。
看護士さんたちから
さまざまなお祝いをしていただく。

母と僕5


4・2


伊万里市役所にいき、母の住民移動の手続き。



4・3

母、福岡の住民となる。

介護保険の申請をする。



4・4

2回目の化学療法(抗がん剤治療)


4・9

ケアプランセンター東部に連絡。
介護の準備にはいる。


4・18

採血の結果、白血球の数値が低く
化学療法を見送る。


4・20

一旦、退院する。


4・24

再入院。


4.25


2クール目の1回目の科学療法。

母と僕2


5・1

さつき(曾孫)誕生。



5・7

退院。


5・11

通院抗がん剤治療。2-2


5・21

CT検査。



5・25


通院抗がん剤治療。3-1



5・29


篠栗南蔵院参拝。

母と僕6


6・4


通院抗がん剤治療。3-2


6・11


通院抗がん剤治療。3-3


6・22

二度目の南蔵院参拝。

南福岡駅から博多駅まで新幹線にのる。
博多駅を散歩。

ルクルで帽子、夏用の服を購入。



6・25

科学療法・4-1

伊万里ちゃんぽんを食べる。(金の隈)


母と僕1



7・2

科学療法。4-2

ルクルにておむれつを食べる。



7・4

青葉デイサービスとの契約。



7・9

科学療法スキップ。白血球2100のため。

昼、親子丼完食。
夜、釜あげうどん完食。

河原歯科にて入れ歯の調整をしてもらう。



7・10

河原歯科で歯全体のそうじ。

昼、トリアスで定食。
夜、野菜天ぷら定食。
食欲旺盛!


7・23


科学療法・5-1

母と僕4




8・6


科学療法。5-2


昼、伊万里ちゃんぽん

河原歯科で歯のそうじ。



8・15


ことね(曾孫)誕生。



8・20


8月6日の抗がん剤が効いていないことがわかり
入院して、別の抗がん剤に変えることを提案されるが
母、入院と抗がん剤を断る。


母と僕3



9・3


安永医師に
対処療法=緩和ケアについての
簡単な話を受ける。
(結果的にはこの日が安永医師との最期となる)

大久保看護士から
詳しく
対処療法
緩和ケアについての説明を受けて帰る。


9・10


浜の町病院に
ぼくひとりで
原土井病院への紹介状をもらいにいく。



9・14

原土井病院へ。

山下医師に挨拶し
レントゲンを撮ってもらい
特に異常は認められないと告げられる。


9・21


便秘して
食欲がないとのこと。


9・25


原土井病院へ。


レントゲン、CT検査の結果
腹水が大量にたまり
がん細胞の転移
体力の減退のため
入院をすすめられる。

入院用の靴を買い
トリアスで化粧道具を大量に購入。



9・26

原土井病院東病棟305号室に入院。

水を抜いたせいか
表情が明るくなっていた。



9・27

病室から
文化幼稚園の運動場がみえ
僕の家の前にある緑色の集会所の三角屋根が
見えることをすごく喜んでくれる。



9・28


お月見コンサートに出て、
看護師さんとふたりで写真撮影。
(これが最期の写真になった)


9・30


ゆうた家族見舞ってくれる。


10・1~10・15までは
前回書いたので省略する。



10・15

午後7時頃 死去。


小鳥と母



母よ、
このブログ記事が
俺の
あなたの初七日忌である。
心をこめて
供養しているつもりだが
いかがなものであろうか?


















最終更新日  2012年10月22日 20時18分27秒
2012年10月19日
カテゴリ:千鶴子について
IMG_6070


親父のときの記録はない。
ブログなんてのも知らなかったし
記録なんてのを書く余裕もなかったのか・・・

おふくろの場合は
少し意識してメモ程度の記録を残した。
それをここに書き残すことにする。

母が入院する頃の記録



10月1日(月曜日)

朝。
母の表情が薄い。言葉数が少ない。視線がうつろ。

午後3時。
山下医師と面談。
病状の進行について。
薬が飲めなくなった場合について。
食事がとれなくなった場合について。
最期のときの対応について。

残りの寿命2週間と告げられる。

青葉南斎場「彩苑」にいき
会員になり
葬儀関係資料をもらってくる。



10月2日(火曜日)


スイミング前に病院へ。
表情は比較的おだやか。

クロールと平泳ぎの特訓。

スイミングをおえて
再び病院へ。
ソファーで昼寝。

夕方
細君と彩苑にいく。

散髪をする。



10月3日(水曜日)

夕方
玄米ジュースをもっていく。

葬式について母と話す。
・死に装束について
・白い靴下について
・位牌について
・斎場を決めたことについて
・葬式は基本、家族葬にしようということについて


佐代子オバサン(親戚)と
忍おばさん(母の妹)に
余命2週間と医師に告げられたことを電話で伝える。


10月4日(木曜日)

出勤前に病院へ。
玄米ジュースを美味しそうに飲む。



10月5日(金曜日)

佐代子おばさん
ミエコねえちゃん
幾兄ちゃん
康子さん

見舞ってくれた。



10月6日(土曜日)


広島からショウタ(三男)がもどってきて
ショウタ
しおりちゃん
ことね

見舞う。

ことね(8月15日誕生)に
初対面して
すごくよろこんだそうな。



10月7日(日曜日)

忍おばさん
なるみさん
見舞ってくれる。

ユウタ
あずさちゃん
けいご
さつき
見舞う。

僕は
仕事がおそくなり

見舞えず。


10月8日(月曜日)

幻聴・幻覚がはじまる。

言ってることが意味不明。

病院でなく自宅に居るという感覚の話し方。

廊下に誰々が来ているなど。



10月9日(火曜日)

休日。

スイミング。
クロール
背泳

午後病院へ。

母の病室のソファーで昼寝。

「いびきかきよった?」
「よ~ねとったね」

腹水がたまり
苦しそう。


高木さん(父の友人)から電話。



10月10日(水曜日)


トイレを汚したと
早朝(朝5時頃)
細君に電話あり。

看護士さんに
連絡することに
まだ抵抗があるのだろうか?


腹水を1リットル
抜いたそうで
夕方
病院にいくと
さわやかな表情。


10月11日(木曜日)

腹水を抜いたことと
薬のせいか
表情が明るい。

だが
会話が支離滅裂。
テンションが高いのも
少し気になる。



10月12日(金曜日)


病院に
母のアルバムと
死に装束をもっていく。
あと
棺にいれてほしいという
お寺からのいろんなもの。

葬式に飾る写真を
既に決めていたが
再確認する。

はじめて紙オムツをはいて
昨夜寝たそうな。



10月13日(土曜日)

俺の体が疲れて
仕事を休む。

ずっと寝ていた。

母の食欲がなくなった。
薬を飲むのが辛そうだ。
薬をバリバリ噛んで飲んでいる。
飲み込むとき目を閉じて必死の様子。





10月14日(日曜日)


俺の体がきつい。

母も苦しそうだ。
薬を飲むとき
寝ながら飲む。
スプーンで砕いて飲ませるが
全部飲むことができなかった。

俺達が帰る前にトイレにいき
それから
歯を磨く母。



10月15日(月曜日)

朝、9時半
母の年金を銀行からおろす。

聴力検査のため
すが耳鼻咽喉科医院にいく。
右の聴力は絶望的状態。
左の耳も徐々に聴力が落ちていくとのこと。



山下医師と廊下で立ち話。
「あとどれくらいですか?」
「2,3日だと思います」
「苦しそうだからなんとかやわらげてください」
「わかりました」

その後
母の病室で
「ボブ・ディランを語りつくせ」を読みながら
昼寝。


午後4時半目覚める。
母は静かに眠っていた。

看護士さんがきたので
「母が眠っているので自宅に戻ってまたきます」
「わかりました」

帰ろうとすると
眠っていると思っていた母が
右手を左右にふる。
「おきとったと?ねとるておもったけん一度帰るね」
母、軽くうなずく。


夕食にカレーを食べ
6時半
細君と病院へ。

母、右向きに寝て
目を閉じて
呼吸が夕方とはちがっていた。

明日、あさってには
最期のときがくるかもしれないと思いながら
「また、明日の朝、来るけん」
と言って病室をでる。
ふりかえると
妻が母の手を握りなでながら
「明日また来ます」と言ってた。


病院からジャスコへいく途中
香椎のところで
携帯がなる。
病院からであった。
「血圧が急にさがり危険な状態になりました」
「危篤状態ということですか?」
「はい」
「あとどれくらいでしょうか?」
「2,3時間だと思います」
「わかりました。すぐ病院にいきます」
「どれくらいで来られますか?」
「20分くらいで来ます」

病院に着いたのは7時半。

細君が病室に先に入ったが
俺が入ると
声を出して泣いている。

看護士さんの話だと
電話をしている間に
亡くなったそうだ。

やすらかな表情で眠っている母に
「よくがんばったね。ありがとうね」と
言ったと思う。

7時55分
当直の医師がきて志望を確認する。
志望時刻は7時55分なったが
実際に亡くなったのは7時10分~7時15分頃だと思う。

母、死去。
享年81歳。


おかあちゃん、よくがんばったね。
おかあちゃん、おれをうんでくれてありがとう!

再見!

ミズヒキ3
「み」さんの写真より

















最終更新日  2012年10月19日 22時01分01秒

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