関東ふれあいの道(自然と歴史をたどるみち)後編
関東ふれあいの道 自然と歴史をたどる道の後編です。(前編はこちら)昼食を食べたら出発です。ちなみにこれまでの歩行距離は4kmちょっと。「そういえば昔会社の同僚とここでキャンプしたなぁ」とか思い出しながら、成田ゆめ牧場のキャンプ場脇を抜けて・・・常福寺に到着。で、この寺の敷地の中には「しもふさ七福神」なるのぼりと七福神の像が飾られていました。「しもふさ七福神」は、1986年に地域活性化のために誕生した事業のようで、これを巡る17.5kmのウォーキングコースが設定されているようです。常福寺を後にして楽満寺に向かいます。こういう里山っぽい所歩くの大好き。で、楽満時に到着。ここまででおよそ6.5km。コースの半分ちょっとを踏破した感じです。そうそう、公式マップには、きちんとルート中にあるトイレの位置も明記されていて、この楽満寺は今回のルート上にある2つあるトイレの内の1つ目が設置されているところでもありました(こういうの大事)。ここもしもふさ七福神の1つになっているようで、恵比寿様がおりました。楽満寺を出てしばらくすると、比較的大きな(でも車はほとんど通らない)道のゆったりした歩道を歩いて南西に進みます。で、3km程歩くと小御門神社に到着。なんかとても立派な神社なのですが、ご祭神は後醍醐天皇の側近として仕えた藤原師賢卿(ふじわら の もろかた きょう)。後醍醐天皇が幕府の軍に責められた際に身代わりとなって比叡山で鎌倉幕府軍と戦って敗れ、京都まで逃げたところで捉えられ下総国名古屋に流され、32歳で没した方です。この小御門神社、北側にある鳥居から、南向きに参道を歩いた後、東側に曲がって拝殿することになります。つまり、拝殿、本殿は西側を向いているということですね。一般に神社は南か東を向いていることが多いのですが、ここで西を向いているのは、ご祭神の藤原師賢卿に所縁のある京都、あるいは後醍醐天皇の墓がある吉野の方面を向いているのかな?と推察したり。さて、小御門神社を横目に見ながら、ルートはゴルフ場の間を抜けていきます。このゴルフ場のある丘陵地帯、ふと気になって文化財総覧WebGISでチェックしてみると、やはり古墳群でした。保存状況は消滅となっており、現況は山林+ゴルフ場となっています。ゴルフに恨みはありませんけど、墓をゴルフ場にしちゃうのってどうなんですかね。こういうの見るとちょっと悲しくなりますね。さて、上に掲示したGoogle mapの左端にも書かれていますが、ゴルフ場の間を抜けた先は陸橋になっています。そしてその下には成田線が通っているのですが、その傍には慰霊碑があります。1992年に9月に起こった大菅踏切事故のものです。最大積載量8,750kgのダンプカーが、その4倍もの土砂を積んだ過積載の状態で走行、踏切手前に停止していた2台を避けたものの、そのまま止まり切れずに踏切に侵入し、成田線と衝突した事故です。この事故でトラックの過積載が社会問題となり、規制が強化されました。また、当時成田線に使用されていた113系以降の車輛開発では、車両の前面強化や、運転席後部のスペース確保、運転室背面には非常脱出口が設置されるようになりました。さて、この大菅陸橋を下ったところで、最後の目的地である龍正院に向かうため、左に曲がります。で、龍正院に到着。ぼけ封じ・・・ここの七福神は毘沙門天でした。さて、これで関東ふれあいの道 千葉県No.2のルートはGoalとなり、このまま3つ目のルート「古墳をたずねるみち」に繋がっていきますが、本日はこれで終了。車を止めた下総神崎駅に戻るため、成田線の滑河駅まで向かいます。コミュニティバスが使えればよかったのですが、時刻表を見ると1時間待ちなので断念。1.3kmほど徒歩で歩いて滑河駅に到着。歩き始めたのが11:15で、駅到着が15:30なので、4時間15分ですね。トータル距離は12.7kmでした。なお、電車は1時間に1本。車に戻ったら、前回同様道の駅へGo!野菜を大量に買おうと思ったのですが、結構売り切れちゃってました。よくよく考えたら冬なんだから朝訪れた時に弁当だけじゃなくて野菜も買って車に置いておけばよかった・・・。