生きづらさについて考える 第五回 (新人類?)
人類は古来より、環境に適応し変化し、進化して来たとされます。私は、発達障害問題を考えているうちに、子供の頃に見た「機動戦士ガンダム」というアニメに「ニュータイプ」という進化した人類が登場していたのを思い出しました。私は、大人になってからは、そうしたアニメは、あまり見ていませんので、この超人的(エスパー的存在)についてアニメの中での定義はわかりません。しかし、子供の頃の私には、なぜか印象深く、それだけが心に残っています。もしも、人類が進化の過程で手に入れた能力を持つ者をニュータイプ人類(新人類)と呼ぶならば、その環境に適応をするために変化してく者はニュータイプと呼ばれても良いのなのではないでしょうか?発達障害と分類されてしまう者の中には、このニュータイプ(新人類)に値すると考えられないのでしょうか?もちろん、発達障害と診断される者のレベルや特徴は様々なので、全ての発達障害者をニュータイプ(新人類)と呼ぶのは過言でしょう。ですが、明らかにエジソンやダ・ヴィンチ、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツを障害者と呼ぶのは、凡人の横暴のようにも思えます。今は、多様性の時代と言われています。マイノリティの人々の権利を重視し、尊重することが善とされる傾向にあります。私個人としては、マイノリティの方の為にマジョリティが侵害され、我慢を強いられるのはどうかとは思いますが、それでもマイノリティの方の人権・権利は守られるべきだと思います。発達障害とされる人々は、この「障害」という言葉で差別され、卑下されることもあります。ニュータイプかもしれないマイノリティの方々を守るためにもこの「障害」という名称はなんとかならぬものかと常々、思っています。前回でも申し上げた通り、せめて「神経発達症」に改めて欲しいです。それと同時に、ニュータイプの方々の才能を守る為に、日本の戦後から代わり映えしない教育制度を改革すべきだと思います。なぜなら、優秀な人材こそが国の宝だからです。今の学校制度では、発達障害の傾向がある子供たちはクラスに馴染めず、いわゆる不登校になる可能性が高いです。友達とのコミュニケーション下手で、自分の興味を優先しがちな傾向があるので、周囲の学習ペースを合わず、特定の科目の授業についていけなくなる可能性もあります。数学の先生に「この子は馬鹿で教えられない」と言われた発明王のエジソンも、学校には適さないと小学校を退学になった「窓際のトットちゃん」の黒柳徹子さんも、文字の読み書きが困難で台本のセリフを読むのに苦労したディスレクシアという発達障害であったトム・クルーズも、辛抱強く見守り、励まし、その才能を信じ続けてくれた母親の存在があったからこそ、その才能を発揮できたに違いありません。しかし、全てのニュータイプの子供が、周囲の大人や環境に恵まれているとは限りません。現代は、オンライン授業や個別支援のシステムを構築する技術があります。昔では不可能だった教育制度を作ることも可能です。学校やクラスに違和感を覚える子供たちが義務教育課程で学校からドロップアウトしてしまうと、社会から逸脱したように思えてしまうのをなんとかしなければなりません。こうした生徒でも自宅や別室からオンラインやバーチャルで授業に参加できるようにするとか、飛び級制度を導入するとか、現代の生徒に適した教育制度に変革すべき時なのでは無いでしょうか?ひとりの教師が見られる生徒数には限りがあります。それでも、やはり生徒ひとりひとりとじっくり話す時間が必要のように思います。子供たちも両親や親族以外の信頼できる大人の存在は必要です。将来的には、学校もメタバースのようなバーチャル空間を活用して、コミュニケーションの練習をする事もできるでしょう。いささか、発想が飛躍してしまいましたが、いずれにしても、戦後からの義務教育制度や学校制度は見直されるべきであり、今や少数派と言い難いほど多くなっている発達障害者に類する子供たち、その中に多く存在する才能を秘めた人材が埋もれてしまわないように早急に対応して欲しいと願います。発達障害の傾向がある者の多くは、障害者ではありません!!才能あるニュータイプであり、それがひとつの個性であり、場合によっては社会や世界を変えるほどの才能なのです!!どうか、発達障害を持っている皆さん!! 発達障害と診断されたお子さん発達障害かも?グレーゾーンと言われた、お子さんを持つ親御さん!!それは、個性です。才能です。決して卑下せず、諦めず、才能を磨いて下さい。皆さんは、ニュータイプなだけなのですから。