伽藍鳥‡ペリカン‡の止まり木

2007/05/31(木)00:19

大切なものを「大切なんだ」と叫ぶこと。

思考の渦。(96)

  人が何を責任に感じるのか。 人が何を義務と感じるのか。 どこまでを自由と呼ぶのか。   それは、人それぞれによって違うものなんだよね。   考え方の違いってのもあるだろうけど。 今の自分の立場。 これがやっぱり1番影響するのかな。 学生として。会社員として。公務員として。職人として。子供として。大人として。     いろんな立場。いろんな仕事。 任されるものは違うだろうけど、責任がないところなどないはずだ。 「自分」として動く限り。誰かのために動く限り。ついてくるはずなんだ。 ・・・せめて。 「人」としての責任だけはみんなが持っていてほしい。 『「人」に迷惑をかけない』 これは、最低限のことじゃないのかなって思うんだ。僕自身が、完璧にできてるわけじゃないけどさ。   ・・・でも。それさえも心掛けない人は多い。 そんな人たちにとって、責任ってなんなんだろ? 自由だけを得ることなんてできない。 それは、しちゃいけないことのはずなのに。     そのはずなのに。 上に立つ人間が。 いじめ問題では、校長が。 最近では、大臣までもが。 自殺。 何があったのかはわからない。 何か理由があるのかもしれない。 でも、それは責任放棄じゃないのか。責任を取って?ふざけるな。 自ら命を絶って、それで果たせることなんてない。絶対ない。あってたまるか。   責任って、そんなものなのか? 命って、そんな軽々しいもんなのかよ・・・!   大切なはずのものを大切だと示せない世の中。 「知らされることのない」そんな暗闇も垣間見える今。 なんなんだこれは。 なんなんだ。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る