2005/02/07(月)20:09
絶望しない「負け組」
今度は、なかなか読みすすめなかった本である。「希望格差社会:「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」筑摩書房.同業である家族社会学者のベストセラーだから、お仕事柄さっさと読まないといけなかったが、どうも読後感はよくない。
たぶん、この本の分類にしたがえば、著者は完璧なる「勝ち組」社会学者で、私はただの「負け組」社会学者である。あちらは、東京大学を出た国立大学の教授。官庁で多数の審議会で委員を務める権力を手にした人だ。本だって、断然売れている。他方こちらは、本の中でも再三とりあげられているように、大学院を出て博士をとっても、非正規不安定雇用に従事するただの人である。
でも、絶望などしていない。ただし「希望格差社会」がベストセラーになっていると聞くと、瞬間的に絶望はする。誰が誰のために「勝ち/負け」論を展開してるのか、が想像できて、イヤになるのだ。たぶん「勝ち組」は自信がないのではないか。はからずも著者は「自信をつけるためには、インテリジェンスとお金が必要」と書いている。「負け組」という言葉を供給し、使い続けているのは「勝ち組」サークル内にいる人々である。そもそも「負け組」はあまり本を読まない。
私が将来に希望を感じなくなるのは、こういう言説が権力を持った人々に好まれていると感じる時であって、自分に地位がないと振り返る時ではない。そんなものに頼らずに、自信を持って人生を歩んでいる人はいくらでもいる。私もその1人でありつづけたいと思う。
最近、私のインタビュー記事が朝日新聞の夕刊にのったので(2/2)、いろんな人から反応があった。研究者や教育関係者には朝日新聞の購読者が多いから、目に入りやすかったのだろう。でも、私のサッカー仲間は新聞をとっていない人も多いし、あまり話題にもならないからうれしい。私もここ10年来東京新聞の読者なので、自宅では当日みることもなかった。たぶん、知らないうちに「負け組」に分類されながらも、満たされた人生を送っている人もいるし、「勝ち組」に分類されながら、満たされない人生を送る人もいるだろう。
著者が使う「やってきたことが無駄になる」という状態を忌み嫌うなら、たぶん、サッカー選手など絶対に目指せない職の1つだろう。私は子どもがそんな難しい夢に挑戦していても、応援してあげたいと思う。だめかもしれないけど、挑戦している、という人をカッコイイと呼んで何がおかしいのだろう。結果などずっと先にならなければ、わからない。何をしたいかを人生の分岐点で、自分で選び続けてきた人間なら、その結果も引き受けられるのだ。この社会が問題なのは、その時々に何がやりたいか判断できないままに、人が育っていることだと、私は思う。