「星読み」の昔・今 そして野望
昨日と今日、蜜柑さんのブログで「星読み」を取り上げていただきました。「私は星読みファン」(照)とカミングアウト(違)してくれた蜜柑さん。彼女とのお付きあいは、結構長いんです。もうかれこれ3年になります。最初に星読みをさせて頂いたのは、確か2003年4月。当時の企画「星読みおためしチャット」が最初でした。それはチャットで30分間、出生チャートをもとに、性格的なところを読む、というもの。チャットだったので、そのときに何をお伝えしたのか、今となってはわかりません。でもきっと、「何かありそうだ」って思っていただけたんでしょう。2度目の星読みのご依頼を頂いたのはその年の年末だったと記憶しています。彼女の今日の日記に書いてあった、『それが何を示すものであっても、自分の意志のままに設定を変えていくのは決して不可能ではないと思います。ただ、そのためには、あなた自身が「設定」を自覚しているかどうかが大切になってきます。無自覚な設定に認識の光が当たるとき、人は初めてその設定を出発点にして、自分の意志を輝かせて行きていく準備ができるのだろう、と思っています。』という言葉は、そのときの星読みメールの冒頭に書いたものです。そして彼女は、星読みに寄りかかることなく、もちろん他のサポートツールにも寄りかかることなく、自分のことは自分で決めて、人生を切り開いて今もしっかりと前を向いて進んでいます。無自覚な設定に認識の光を当てる。そのツールのための「星読み」。わたしはそれを提供する。この想いは、変わっていません。今でも。これから先、どんな手法を使うことになったとしても、経験を積んで、もっと上手に星読みができるようになっても、これだけは変えるつもりがないのです。そう。だから、わたしの星読みを一度読んで「ふ~ん」って納得してそれで終わって頂きたくはないのです。本当は。何度か読み返していただきたい、と星読みメールに書き添えるのは、そこを出発点にして頂きたいから。そこからどうするのか、ご自分で考えて頂きたいから。これからどうしたらいいのか。年末から今年にかけて、予想を上回るほどのたくさんの方々にわたしの星読みを見て頂けたのは、それを知りたい方が多いからだと、改めて感じる機会になりました。星読みで、アドバイス的なものはいくらでも提示できます。でも、できるのはそこまで。自分のことは自分で決める自由。その結果の責任をとるのは自分。その自由も、責任も、奪いたくない。わたしにできるのは、『「星読みの目」であなたを見たときには、あなたはこんな風に見えますよ』と指し示すこと。それが好ましいと思えるのなら、そこを伸ばしていけばいい。好ましくないところがあるなら、そこを切り捨てていけばいい。そんな風にして、星読みを使って頂ければ冥利です。ここまで読んでくださった人のために、最後に、わたしの野望をひとつお教えしましょうか。星占いっていうのは、結構窮屈な世界なんです。昔のままの解釈のセオリーのままだと、どんどん今の世界との乖離が進んでいく。そういう意味で、矛盾をはらむ可能性を持っています。わたしが目指しているのは、星座の意味や天体の意味や、星占いにまつわるすべてを、わたしの手で今までの解釈から完全に自由にすること。抽象的なことで申し訳ないのですが。あえて「星読み」の看板を上げているからには、そのぐらいの想いがないと、4000年の歴史を持っている相手には太刀打ちできない。こんなことを頭のどこかで考えつつ、今日も星読みにいそしんでいるStargarnetなのです。あ、そうそう。蜜柑さんの2006年、読ませて頂いたんですけど、そのご感想を頂いています。ご本人の許可を頂いて、それをここにアップする予定だったんですが、それは次回にしましょう。すんません>蜜柑さんStargarnetがんばれよ!と思って頂けたら・・・ポチッとクリック。現在、何位なんだろう・・・実は把握してません。といったわけで、今日もひとつよろしく♪ ↓