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テーマ:お勧めの本(4985)
カテゴリ:
金坂健二著『アメリカを撮る』本当にオススメなのは『幻覚の共和国』です。図書館か古書店で探してください。アングラ系必読の書です。


 ブラックパンサーに続いてでてきた写真が、アレン・ギンズバーグものだった。ギンズバーグがニューヨークの自分のアパートで食事をしている写真だ。

ネガを探して焼き増しをすれば、そういう写真がたくさん出てくるだろうと話を向けると、いやそんなには撮ってないという返事が返ってきた。まだフィルム代も現像代も高かった時代なのだ。金坂さんは「アメリカを撮る」という本まで出しているが、実際自分で現像したことがないという。焼きは、必ずだれかがやってくれるものなのだ。また、英語ができるのでタイプも得意なのでしょうというと、タイプはすべて女房にやってもらっていたという。なのでタイプはできないというのだ。ギンズバーグの写真はロバート・フランクとこれから旅に出るという二人で荷物を車に積み込んでいる写真が印象的だった。大きな集会で、ギンズバーグが朗唱している写真もあった。
 ほかにもアンディー・ウォーホルの写真から始まり、とりわけ印象的だったのが路上で撮ったパティ・スミスの写真だった。パティ・スミスは50年代はビートと呼ばれ、60年代はヒッピーと呼ばれ、70年代はパンクと呼ばれると、自分のことを話していたと金坂さんは語っていた。親しい友人なのだ。一枚だけノーマン・メイラーの写真もあった。ジャック・ニコルソンの写真もあって、リチャード・ニクソンの対立候補として立候補した70年代の民主党の大統領候補マクガハンの支援のためにロサンゼルスの大きな弁護士宅に大勢が集まっていた時期があってその時にジャックニコルソンがやってきたのだ。この弁護士宅のパーティーにはいろんなエピソードがあって、空港かどこかの、大きな公共の施設から気に入った絵をみんなで持ってきてしまい、一日飾って、翌日に戻しにいったというエピソードを話していただいた。ようするにハンター・トンプソンのような「ラスベガスをぶっ飛ばせ」状態だったのである。
 ニューヨークに長く住んでいた実験映画監督ジャック・スミスの自宅の風景もまた印象に残るものだった。ジャック・スミスの自宅アパートの屋上はマリファナの菜園があった。
ほかにも写真は、ミュージシャンではグレイトフル・デッド、デボラ・ハリー、ソニー・ロリンズ、スライ・ストーン、マイルス・デービス、サン・ラ、エルビス・プレスリーなどなど。詩人ではシティ・ライツ・ブックスの店主でもあるローレンス・ファーレンゲティ、実験映画の世界で広く名を知られる映画監督ケネス・アンガー。当時からカリスマ的人気を誇っていたという黒人指導者ジェシー・ジャクソン。しかし金坂さんには今のジェシー・ジャクソンの活躍ぶりは予測できなかったという。マルセル・デュシャンの写真は名古屋現代美術館のキュレーターが国際的な版権と配給権を持ちたいという意向があって、手元にはなかった。すべてが60年代、70年代の写真だった。ほとんどは金坂さんの友人で、そういった人物たちと交流する中で写真を撮りためていたのだ。
 また、シャロン・テート殺害事件を起こしたカルトの草分けチャールズ・マンソン・ファミリーも取材して歩いたようで、言外に、そのまま取材を続けていたら仲間になっていたかもしれないという話もしていた。
 金坂さんはニュースキャスター筑紫哲也がニューヨーク特派員としてニューヨークに住んでいたころよく泊めてもらったという。そして幅広い交流関係の中で、金坂さんが親友としたのはイッピーのアビー・ホフマンとジェリー・ルービンだった。来日すれば金坂さんの家に泊まっていたという。また、アメリカから帰ってきた、おおえまさのりさんを自分の家に居候させていたという。
 激動の60年代をその火付け役とともに過ごした金坂さんの旅の話はつきることがなかった。金坂さんの旅は、60年代以降、80年代初期のアメリカ性革命まで続くが、ほとんどは80年ぐらいまでで終わりとなっている。それ以後どうしていたかは聞くチャンスがなかったが、ぼくたちはそのまま駅前の飲み屋に向かっていた。酒を飲み、タバコをふかし、僕たちにドラッグは持ってきていないのかと聞く金坂さんは、闘病の末、退院してきたばかりで、歩く体力がないと嘆きながら、それでも中華料理屋に入っては、ビールを飲み、そのまま喫茶店に流れては、またビールを飲んでいた。僕には金坂さんの死がちらついていたが、当人はいたって健康という快気祝いだった。その後再び入院の知らせが入ったのは数カ月後だったと思う。理由は金坂さんによると医者の誤診によって間違った治療を受け退院したので、もう一度入院してきちんと治すという内容だった。しかしその数カ月後には金坂さんは死を迎えることになったのだ。
 ティモシー・リアリー、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンスバーグ、キャシー・アッカーと続く60年代の巨人たちが世紀末に次々と亡くなっていったが、金坂さんもその一人だろう。現在、金坂さんの仕事に対する見直しは行われていないが本当のところ、それはあったほうがいいと思う。しかし、金坂さんなくして60年代と、そしてその時代を生きた金坂さんの人生を語れる人間は誰一人いないのではないかと思う。






Last updated  2007.07.31 19:22:29
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