月光院璋子の日記 beside you

2007/07/05(木)23:46

冤罪の怖さ

眼差し(176)

何が恐ろしいかといって、 法治国家で冤罪となることほど恐いことはない。 そう思ったのは、随分昔なれど、 そういうことにならないようにと 心がけて生活してきたわたくし--- 公序良俗に反しない生活、 普通に法律を遵守して暮らしていれば、 冤罪で検挙されるようなことにはならないと。 これは、わたくしが臆病だから。 でも、普通に暮らしているはずが、ある日突然何かの容疑で逮捕され、 やってもいないことで検挙され裁判となって、 あれよあれよという間に、まさかの有罪判決となり、 うっそー、これは悪夢だと混乱しているうちに、 控訴も棄却されて刑が確定され、 それが死刑だったら、 あなたはどうしますか。 再審請求で戦うといってみたところで、とても難しい。 どうにもできないかもしれません。 今月の1日、袴田死刑囚の支援集会で、 一審で袴田死刑囚の判決を書いたという元裁判官の熊本典道氏が、(彼はテレビに出演して告白しておられるので、ご覧になられた方も多かろうと思いますが) 有罪という判決に足る立証が薄かったことや自白の信憑性が疑われることから、 有罪にはできないと思いつつ、2:1の多数決に屈して納得できないまま判決を下したことを悔いられて、そのときの事情を語られたと、 一昨日の新聞に、べた記事ですが、掲載されていました。 わたくしには、判断の下す資格はありませんが、 疑わしきは罰せずという刑事裁判での原則からすれば、 有罪とするには無理があるように思われるケースじゃないかと思われてなりません。 冤罪で、その人の人生ばかりか命まで奪われるとしたら、 その責任は、誰がどういった形で負えるのか、 考えるだけでも恐ろしい--- 免田事件 や梅田事件のようなケースも現実にあるのです。 法務大臣が刑を執行しない、できないというケースでもあるこの袴田事件。 どうか、冤罪をなくすためにも、真実を明らかにするためにも、 再審が開かれることを祈念してやみません。 わたくしは死刑反対論者ではありませんが、 これが冤罪ならば----、 真犯人は他にいるということになります。 無論、冤罪とされた後、実はやっぱり犯人だったというどんでんがえしの映画がありましたが、真実を明かす工程というのは、かくも難しいものかもしれません。 だからこそ、真実を明らかにするために関係者が皆、 検察も弁護側も裁判官も誠心誠意努め審議を尽くすという法廷であってほしい。 冤罪を防ぐことが検察の最大の信条となったとき、 真実が明らかにされるのでは--- 正義というものは、いかに未熟なわたくしたち人間社会であっても、 だからこそ厳格に行われるものであってほしいと思わざるを得ません。 そのために最大限の誠実さを持ってもらいたいと、 司法関係者に期するわたくし--- こうしてブログで取り上げさせていただくことしか出来ないけれど、 司法関係者には、冤罪を恐れる人たちであってほしいと、 切に望みます。 画像は、「ローヌの夜景」というゴッホの作品。 好きな作品です。

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