カテゴリ:川柳0
「川柳学」記事への反響があった。
「戦時下の川柳・俳句の弾圧」に対するものだが、今日の国際的緊張から共謀罪、有 事法などが浮上する中で、「いつか来た道」を再び歩むことだけは避けなければなら ない。 先の大戦中、川柳家はこぞって「国家に協力」したともいえる。 鶴彬などのごく一部の例外的作家を除き、三太郎、雀郎をはじめとする川柳指導者、 果ては私の祖父・三笠なども含めて、川柳は<翼賛川柳>一色となった。 これは、好むと好まざるとに関わらず、時流が人々を呑み込んだことによるが、これ を覚めた目で見詰めているひとも少なくなかったはずである。しかし、川柳は「翼賛 化」した。 雀郎の場合は、日本川柳協会の代表という立場から、国家に<派遣>されて大陸の川 柳人の句会指導や講演をさせられたわけだが、決して時局を肯定していたとは、残さ れた作品からして、そう思えない。 国家が集団的狂気の渦に飲み込まれると、川柳のような批判精神をもった文芸でさえ <翼賛化>する。 今日、大新聞の編集局でも、体制批判が強い川柳や皇室がらみの作品などに目くじら をたててピリピリしている。 選者が、価値観で句を選べなくなり、作者は、検閲によって作品の発表場所を失って きている。 川柳の表現が自由に確保される世情を心から願いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月20日 19時12分41秒
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