カテゴリ:川柳
読売日本テレビ文化センター主催の<川柳で歩く江戸・東京>の3回目、谷中を歩く。
江戸三大富籤で最も古い感応寺(現・天王寺)を皮切りに、谷中銀座をメインに上野東照宮までの行程約10000歩。歩く体の健康と川柳による脳トレを兼ねた歴史ウォーク。 天王寺は、天台宗のお寺で護国院。天保4年までは長耀山感応寺。お寺の不始末で宗派も名称も変ったという。 富籤の興行は古く、元禄末年(1700年頃)には感応寺で「勧化富突」興行があり、正月・五月・九月の三度、富興行が行われた。江戸の三富とは、谷中の感応寺、湯島の天神、目黒の不動の3ヶ所。 文政6年以前の古い形式では、富札を金一分で売り、第一之富から突留之富まで50本の当たりがあり、三之富までと突留之富が大金の配当だった。 感應寺の宝金仕法 第一之富 ─ 金100両 第二之富 ─ 金20両 第三之富 ─ 金10両 突留之富 ─ 金5両 一の富どこかの者が取りは取り 樽十五-11 は、今でも宝くじで感じる風景。 百両を錐で突つく谷の中 樽五四-14 この句は、谷中・感応寺の富籤の当たりの出し方を説明したもの。多くの札の中から、錐で突き、刺さって上がったものが当選。 感応寺つきべりが先づ二わり立ち 樽十一-5 つきべりとは、胴元の取り分。2割は、今日の宝くじより配当がいい。 八十九両三分の徳がつき 安永元義1 第一之富の配当。100両貰えるが、当たりは感応寺のお陰であり、1割の10両をお寺に寄進が習わし。一分は元手なので、儲けは八十九両三分。算数のような謎句。 首くくりとみの札などもつてゐる 樽五-31 実際にこういった事件があったことが、感応寺の古文書にある。川柳家は、その哀れさに、乾いた同情を寄せた。 感応寺欲気のないは塔をほめ 明和三仁1 感応寺はまた、五重塔が有名。幸田露伴の『五重塔』にも描かれるが、昭和32年、心中者の巻き添えで焼失、今は礎石のみ。富籤に興味ない参詣者は、五重塔を愛でる楽しみということ。 こんな句を頼りに、谷中を中心に江戸の残像を訪ねるのも楽しい。 川柳が初めての方ばかりで、古川柳の一つ一つに納得。 また、講師の行き届かない解説を、大先輩の参加者が補い合い、また話が広がる。 観音寺に残る<練り壁>は、江戸の情緒を伝える。 来月は、7月11日。川柳発祥の地・台東区の新堀を歩く。 川柳に興味のある方は、是非ご参加いただきたい。川柳が、また変わって映るのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月14日 03時29分56秒
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