2007/12/10(月)00:18
川柳公論忘年句会
今年は、所属している川柳公論の会合にも無沙汰をしてしまった。
いっさいの私の動きが、川柳250年を軸に回ってしまったからだが、川柳公論の関係者にも川柳250年では、一方ならぬお世話になった。
今日は、その御礼の意味も大きくあった。
忙しくて、句を用意する間がなかったが、私も川柳家だと思ったのは、題を見ると作りたくなることで、4題12句を30分ほどで作り上げた。出来栄えは別にして、出句数を全部作り終えたときには、何ともいえぬ満足感があった。
久しぶりの参加に、無沙汰を詫びると、口々に川柳250年への労いの言葉を返され、また、あらためて今年の行事の大きさに、我ながら「よくやった」と思う。その背景には、実に多くの方々の共鳴と応援があったことを忘れてはならず、まだまだ川柳にも先があると実感した。
句会は、句会の楽しみとして一部終了。皆が待っていたのは、恒例のカラオケ。芸人揃いの川柳家にとって、川柳作品以上に力を発揮できる舞台でもある。
カラオケは、それなりに懐かしのメロディーが中心だったように感じるが、これも高齢化の影響だろう。途中には、穂花さんの手品公演が行なわれたが、目の前で見ていた私も、コスチュームに見とれて、そのタネを見出すことが出来ず、実に「不思議」としかいいようがなかった。
今日は、川柳公論の会では始めてマイクを握って調子っぱずれの歌を披露。これも、皆さんへのお礼の気持ちからで、一泉の登場にどよめきが興ったが、少しでも楽しんでいただけたならそれで幸せです。
僕が毎年出席していた頃からのメンバーは、半分以下になった。人の入れ替わりを思うとき、歳月の長さを感じるが、共に過ごした方々が、ひとり、またひとりと欠けていくのは淋しい。それだけ、私も長くこの世界に居るのだと思うと、また別の感慨が沸く。
川柳はまた、年をひとつとる。
これが、ずっと続くことを、密かに祈った。