超えてけわしわしと
6歳の頃から自称「小説」なるものを書いていた。6歳の自称だから今見たら卒倒するぐらいに恥ずかしいモノだけど。で、いっつも思ってたわけです、「何で今日書いたものが次の日にはウソになってるんだろ?」これはもう絶対そうなんだよね、今でも。日記でも手紙でもメールでも(さすがに「小説」は書きませんが)一晩ぐわーんと寝て起きて読んでみると、何これ誰こいつ何言ってんの?ってなる。書き言葉は分かりやすいけど、実は脳内でぐるぐるしてるだけの考えだってそうだ。一晩寝ちゃえば絶対に同じテンション、同じ方向性にはならない。下手すりゃ全然逆のことを考えてる。これはきっととてもウツクシイ健康的なことで、ちょい前の電波日記に書いた「揺れ」にも通じる。今日、絶対これだ!と思ったことが次の日にも絶対だったら要注意。1ヵ月後にまだ絶対だったらかなりヤバイ。数年後に絶対だったら、残念ながらその部分は病んでるかもしれない。例えば私で言うと、年がら年中、日がな一日「めしー。めしー」とか考えてるのはだいぶおビョーキなことで、普通は食ったら満足、しばらくは全然メシなんか欲しくないだろう。めしワールドの果てから抜け出せなくなってますね。そんな細けぇ事じゃなくとも「私はこれを信じてます。絶対信じてます。何が何でも死ぬまで信じます」的な思想なんかもそう。かなり危険。おビョーキです。だってさ、この世界に正しいものなんていっこもないの。間違ったものもね。その日正しく見えたものが、いつまで経っても正しいまま変わらなかったら、ちょっと自分を疑った方がいい。昼と夜のサイクルで、1ヶ月のサイクルで(女性のこのサイクルってすごく分かりやすいと思う)、季節ごとのサイクルで、数年のサイクルで…全部変わっていく。その波に乗りきれない部分は、何かワケあって必死にしがみついてるんだ。最近やっと自分の変化を受け容れられるようになった。前は理屈屋の部分が「お前、昨日言ってたことと違うじゃねーかよ」とカラんでくるので「あぁ、昨日はそう思ったのですけど、これこれこういう経緯で今はこう考えるであります」っていちいち言い訳してたのね、自分に。んなもん、いいんだよ。過去の自分にスジを通す必要なんてナシ。だってめんどくさいしキリがない。今日がんばってスジ通しても、明日にはもう変わってるんだも。そんなワケで。私の日記なんかも「あぁ、今日はこいつこんな気分なのね」程度に読み流しちゃってください。こいつの信条はこうなのか、とか真面目に受け取んないでね。こんなもん、日々のうんこみたいなもんだから。そういえばケンカなんかしてて「おめー言ってることがこないだと違うじゃねーかよ」とか言うのも相当卑怯な話だわな。いま気付いた。よくやってたなこれ。____________________________________こないだ見るともなしにTVを見てたら、桃井かおりが喋っていた。何やら少し前まで田舎で自給自足をしてて、月の生活費が2万とかだったらしいんだけど、その日の桃井の胸元にはでっかい成金ちっくなブローチ。「ごめんねーこれダイヤ」最近はブランド物を買い漁っているらしい。すごい勢いで買い占めちゃってるらしい。「やっぱ老後は都会よ~」「イヤミな女になることにした」「何でそんなんなっちゃったの?」とタモリが訊くと「わかんない」やっぱこの人好きだなぁと思った。そんな180°の変化も「わかんない」で片付ける女。私は現時点でブランド物が大嫌いで、あんなもん持って歩いたら自分の悪趣味宣伝してるようなもんじゃん、とまで思ってるのだけど、もしある日ブランド物にハマったりしたら、何やらプライドが許さなくて大変な気がする。例の理屈屋さんが登場して「説明せよ」ってうるさいだろな。今まで言い張ってたことのオトシマエはどうすんだ、って。でもさ、やっぱそんなん「わかんない」でいいんだよな。田舎で自給自足→ブランド大好きイヤミ女、って結構な大変身だけども。それですらドカっと開き直って平然としてる桃井、カッコエェ。あの人、別に美形じゃないけどイイ顔してるよな。