2005/01/06(木)13:02
イグナシアの気持ち
Ignatia(イグナシア/イグナシア豆)
私達を囲む世界において、時に“呑み込む事が困難”な経験が起こり得ます。それは、塊の様に、喉に詰って、呼吸を妨げ、時々、失神しそうなところまで達します。そんな時には、涙でめちゃくちゃになる位、泣くべきです。(略)後に、その記憶は、私達を支配し、私達の精神を無期限に悩ませ、現在を破壊します。睡眠をとる事ができません。気ちがいじみた、コントロールできない笑いと哀れな涙が交互し、気分が不安定となります。(略)ある部分では、愛されていない、見捨てられたと感じる。
スピリット・オブ・ホメオパシックレメディーという本の、イグナシアの項。これを読んでむちゃくちゃ動揺した。その説明の下には更に、7歳の女の子が飼い犬が車に轢かれるのを目の前で見てしまったという例が書かれており、私はあわわわとなって本を閉じた。そしてそのままソファーの上ですごい勢いで寝てしまった。
そして見た夢。嵐の夜、暗闇にろうそく一つだけ灯して、幼い私と父が一緒にギターを弾いている。そのうち私はリコーダーを取り出し、小学校で習った曲「走れシベリア鉄道」(現実では気に入ってよくピアノで弾いていた)をたどたどしく演奏。父はギターで伴奏。曲の盛り上がり、ピアノだと叩きつけるように弾く部分に向けて、私はだんだん感情を込めていった。この上なく悲痛なイグナシアの気持ちを、内臓ドゥルドゥル引きずり出すようにして曲にぶつけていく。すると笛吹いてる私とは別の私の声が、その気持ちを父に説明しだす。「こうでこうでこうでね、この曲にはこんな意味が込められてるんだよ。(※実際はそんな曲ではありません)でね、ああ、これ以上言ったら子供の精神は壊れてしまうよ!!」(太字部分に重ねて、地獄の底からしぼり出されるような絶叫が響く)
激しい曲と自分のセリフの狂気と、それから極めつけの大音量の絶叫で全身総毛立ちながら目が覚めた。部屋は暗闇。あまりの恐怖にそこらじゅうの障害物をなぎ倒しながらダンナのいるベッドにダイブした。縮み上がるダンナ。(幸いまだウトウトしているところだったらしい)「どうした!?どうした!?」(そりゃ訊くだろう)「怖い夢見た・・・ハアハア」あちこち強打して、肩と鎖骨んとこ打撲、右腕はすり剥けて血が出ていた。
唐突な話だが私は前世で、自分の子供を目の前で猛獣に食われたことがある、ような気がする。一応「気がする」とは言っておくが実は確信に近いものがある。恐怖のどん底にあって「一分一秒も耐えられない」と思う瞬間、なぜかいつもありありと浮かんでくるのが「子供が猛獣に食われている」イメージなのだ。今のところ私に子供なんていないので、考えられるのは前世しかない。
そのシーンを思い浮かべる時、声を限りに泣き叫びたい気持ちと同時に、まさに「気ちがいじみた笑い」が込み上げて止まらなくなる。こんなの現実なわけがない、こんなこと有り得ない、と全身全霊で否定したいのに目の前のシーンはやっぱり現実で、もう痛いとか悲しいとか通り越して爆笑するしかないのだ。
直接自分に恐怖が降りかかっている時ばかりではない。実家の隣人が飼い猫を轢いてしまった時も、痛々しい災害のニュースを見た時も、例の7歳の女の子の例を読んでも、同じものが込み上げてきた。だから私は、イグナシアの項を読んで動揺した。あまりにも身に覚えがあったのだ。
私は世界を呪っている。あまりに残酷な方法で愛する者を取り上げることがある世界を、心の底で呪っている。もちろんいつもこんな暗い気持ちでいるわけじゃない。笑うし踊るし屁もこくが、やっぱり根底にこの世界への凄まじい呪いがあるのだ。この悲しみと怒りで世界を破壊し尽くしてしまいたい、というほどの気持ち。
今日は寝る前に、イグナシアを飲んでみよう。