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私は愛に飢えていた New! 真夏のトモミさん

2006.08.16
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昨日、依存やなんかの話をここに書いた後、少し久しぶりにある本を読み返した。18歳の頃に出会って本当に目からウロコ、人生観が変わってしまった本だ。「恋愛の達人」三国ますみ著。


恋愛の達人

今は新書になってるようです。



恋愛ハウツー本みたいなタイトルだけど、中身は全然違う。当時まだ泥沼の恋愛依存から脱け出せていなかった私に、自分の立ち位置やその先のビジョンを鮮やかに見せてくれた本だ。自分の中でモヤモヤと言葉になっていなかったことが、この本では明確に説明されていた。ある日書店(正確にはナチュラルハウスの書籍コーナー)で何気なく手に取った私は、もうそのまま動けなくなってしまい、あまりの衝撃でその日は買うことができず、何日も店に通っては呆然とした挙句にやっと買った。

この本の内容、簡単なことだけ書いてみる。
・いわゆる「恋愛」は依存側と自立側の権力争いゲームである。
・通常はまず依存側を経験し、その苦しさに「二度とこんな思いはするもんか」と辟易した人が自立の立場に転じていく。
・依存は苦しいが、常に情熱を感じることができる。自立は感情を抑圧しているので、苦しみは少ないが喜びも少ない。
・依存と自立のゲームを超えたところに真のパートナーシップがあるが、そこに達する前に必ず何か大きな試練、多くは三角関係が起きる。そこで逃げず恐怖心・嫉妬心と徹底的に向き合い、互いにコミットして乗り越えた二人だけが次のステップに行けるが、そこを超えられる例はとても少ない。
・試練の手前でずっと停滞しているのがいわゆる「倦怠期」。
・パートナーシップとは、お互いが与え合い、成長を促進し合う関係。

本を見ながら書いてるわけじゃないからアレだけど、まあメインの話はだいたいこんなところ。あとはパートナーシップの段階に達した著者の経験談や、彼女のヒーリングのクライアントの例などが合間合間に載っていて、どこを読んでも「なるほどねー!」な感じ。上に書いた項目だけではあまり分からないけど、完全にスピリチュアル方面からのアプローチだ。でもそっち方面が苦手な人にもピンと来る内容なんじゃないかなー。誰しも同じ経験をしてるはずだからね。

それまで自分の恋愛は自分の問題として、他人のこととリンクさせて考えたことはなかったんだけど、これを読んで「そう言えばみんな程度の差はあれ同じパターンで恋愛してるよな・・・」と思った。常に浅い付き合いしかせず渡り歩く人もいる、そういう人は依存を味わうのが怖くて自立の立場を死守しているのだろう。かと思えば私のように依存専門の人もいるわけで、私はかなりひどい例だけど、もっと軽い依存なら多くの人が経験している。身の周りの人たちを思い浮かべても、あらゆるラブソングやラブストーリーを思い浮かべても、このパターンに当てはまらないものは見当たらないのだった。「試練」である三角関係、つまり浮気に関しても多くの人が経験するけれど、本当にそこを乗り越えて次の段階に入ったと思われる人は身近には全くいない。浮気された側が相手を許せず別れてしまうか、それとも感情を抑圧したまま関係を続けているか、どちらかだ。(麻痺して平気になっているか、ずっと恨みを抱いたままか、という違いはあるが)本当に向き合って乗り越えた人なんているのだろうか、と信じられないぐらい、それは厳しい道に見える。だけどそれは恋愛をする以上誰もが避けられない道で、逃げるか乗り越えるか、逃げるなら一生逃げ続けるのか、という選択しかできないようなのだ。(そして恋愛を放棄して生きるとしても、遅かれ早かれ違う道で同じ学習をすることになる!もしかしたら今生じゃないかもしれんけどね・・・)

それまで恋愛をしてきて「これは愛じゃない、執着だ」ということだけは常にはっきり自覚していた。だけど辺りを見渡してみると、執着じゃない愛なんて見たことも聞いたこともないのだった。「本当の愛って?」なんて青臭い疑問を持つほどの情熱はなかったけど、誰もがニセモノにしがみついて苦しんだり感情を鈍麻させて生きている世の中で、じゃあホンモノってどんななのよーというのは皆目見当がつかないままで。要はパートナーシップを達成している人など本当に本当に稀少な、ほとんど例外なのだ。そこまで到達できずにほとんどの人が死んでいく。偉大な手本(!)である両親をはじめ、ほとんどの人が身近でニセモノしか見ていないわけで、見たことのないホンモノにはなかなかなれないのだ。いわゆる機能不全家族というのは分かりやすい依存と自立の両親で構成されていたりするが、平和に見える家庭だって何十年も「倦怠期」で停滞してるだけだったりしてさ。世間で言われている以上に、芯から健全な家族なんてものは「どこにも存在しない」に近いのだ。

この本に出会った私は自分の立ち位置をまず把握し(当時は依存専門、自立経験なし)その先の長い長い道のりを覚悟した。当時はまだ自分が自立を経験する日が来ることさえ想像がつかないような状態だった。その先のパートナーシップなんて遠い夢のような話。でも恋愛が袋小路に入るといつも、入らなくてもいつも、この本を読んでは向かうべき方向を確認していた。本当にこの本ほど実際の生活の参考にした本はない。が、今のダンナと出会い、自立の立場に転じて以来、あまり本を開くことはなくなってしまった。本の存在を忘れたわけじゃない。内容も頭には入っている。ただ、自立は感情を抑圧しているから大して苦しいことがなく、何かを参考にして真剣に対処しようなどと思うこともないのだった。そう、感情を抑圧しているからね!

ああ、私は重要なことを忘れてただよ。泥沼の依存の苦しみから脱出したからって、自分はもう成長したのだ、あの病的な感情は消えたのだと慢心していた。そう・・・あれは消えたんじゃない、解決したんでもない、ただ「感じないこと」に成功しただけなのだ。楽になった途端、私はすっかり安心してしまっていた。今のこの平和はいわゆる倦怠期、自分では倦怠というほど倦怠感を感じていないのでアレだけど、情熱も不安も特に感じないまま安定してしまっているだけ。世間の一見平和な夫婦なんてのはほぼ全てコレである。もちろん愛情がないわけじゃない、幸せでないわけじゃない、でもそれは一緒にいた歳月が生み出す「情」や「絆」でしかなかったりする。普段は平和に暮らしていても、喧嘩をした時やトラブルに遭遇した時、それまで向き合わずにいた問題がぽっかり口を開けて待っているのだ。

あの本は恋愛の本だけども、実際のところ根底の問題は「恋愛」ではない。いずれにしても、恋愛以外の道を選ぶとしても、誰もがいつかは直面して癒さなければいけない、愛に関するトラウマの問題だ。つまり両親から受け取った愛、受け取れなかった愛。しかも今生だけではない、何度生まれ変わっても解決できずに持ち運んできた愛に関する障害だ。魂の成長の上で誰もが避けることのできない、人類共通の問題。愛されないことの恐怖、だからこその愛への渇望、もしくはそれを抑圧した無関心。悟っちまったような人はともかく、この問題と無関係な人など誰もいない。

まーさー、一生倦怠期でもいーじゃーん、つーてのらりくらり暮らすのも一つの選択。でも来世やそのまた来世に問題先送りするだけなんだよね。実際のとこ先送りしたくてしょうがないぐらい、向き合いたくない課題なんだけどさ。でもそこを超えない限り、本当に人類に貢献できる段階には入れないと思うんだ。あ、人類に貢献しようとか思ってないって?いやー私は思ってるんスよ、自分のことであっぷあっぷするのはこの人生で最後にしたいって。私の今生にかける気合は結構すごいのだ。だからこそ厄介な課題として若干アレめな感じの家庭を選んで生まれてきたのだと思う。ほら、課題が厄介だと「もーほんとに無理、脱出したい!」って嫌でも思うじゃん。そうして嫌でも成長するしかない環境を、今回は選んできたんだと思っている。あとほんのちょっとでもヌルめの環境だったら、迷わず先送りだったと思う・・・。そして私だけじゃない、今の時代に生まれてきた人たちは、過去に比べて「今回でやっちまうぜ!」という気合の人がすんごい多いんじゃないかなー。見ていて本当にそう思う、私の親世代までの人たちって、こういうことに全く無自覚無関心な人がほとんどだもの。今は溢れる情報量で、たくさんの人がこういうことに気付けるようになっている。アセンションとかよく分かんないけどさー、間違いなく転換期なんだとは思うなー。

ふー長かった、でも要は「抑圧してたことに気付いちゃった」という例の話の、解説だったのでした。ホメオパスの言う「辛そうな話を平気で喋る」ということに関係あるかどうかはともかく(どっちかっつーとそれは単に私の性分な気がする)私が感情を抑圧していたことはとりあえず間違いないのだった。

あっ最低フェスティバル、とりあえずどん底は脱したみたい、多分。処方レメディを下手に中断してることが事態を悪化・・・というか停滞させている気がして、今日は一日中水ポのネイチュミュアをがぶがぶ飲み、夕方ゆっくり寝たらだいぶ元気に。そして実は数日前にダンナが派手に怪我をして現在仕事休み中、ずっと家にいるのだけど、その話はまた今度ー。






最終更新日  2006.08.17 00:02:50
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