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うどん県 New! mamadocterさん

2009.04.08
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カテゴリ:(旧)あむりた屋
フリーページの「摂食障害*解放のためのヒント」に
ピチピチの新ネタを追加しました。
摂食障害に限らず、人生に悩めるそこのアナタにも、役立つ内容だと思いますよ~。

5.不幸が好き!?

な~んだ、全て自作自演だったんだ、と深いところで分かった時、
驚くほど簡単に人は変われます。
逆に、そこにフタをしていると、どんなに頑張っても不幸なままです。

本当は最初に書いとくべき話だった気もするんだけど、
言い方を選ばないとかなりキツイ内容なので、遅くなっちゃった。

こっちにも内容、コピペしとくね。


* * *



■今回はかなり、核心に迫っちゃう話■



摂食障害に悩んでいる皆様、その他のココロの問題に悩んでいる皆様、
突然ですが「不幸」はお好きですか?

・・・んなわけねーだろ、ですよね。

では、今までの人生はどうでした?
日々幸せに歩んできましたか?
幸せばっかりだったら、今頃こんなに悩んでない、ですよね~。

思考は現実化します。
逆に言えば、現実として現れている状況は「100%、自分の思考が創り出したもの」。
今までの人生は、全て自分の思った通りに展開してきたものなんです。
もちろん、これからも。

今までの人生が、悩み・苦しみ・不幸でいっぱいだったとしたら
それは自分自身がそういう人生を望んでいたということです。

そんなわけないって?
不幸なんか望む人がいるわけない?

・・・と思いますよねー。

もちろん、表面的には誰もが幸せを望んでいます。
問題は潜在意識なんですね。

子供の頃から現在まで、好きだった映画や小説のストーリーを思い出してみましょう。
どんな話が多いですか?
ストレートに最初から最後まで幸せいっぱいの、楽しい話ですか?

実は多くの人が、不幸な要素のある話に惹かれます。

・悲恋
・悲劇
・悲惨な状況にもめげず頑張る主人公
・苦難を乗り越え最後に幸せになる主人公
・いつもドタバタ事件が起きて波乱万丈
・人間関係がドロドロな昼ドラ

こういった話が好きではないですか?

さらに言えば、ニュース番組なんかでも・・・
悲惨でどうしようもないニュースほど関心を持って見てしまったりしませんか?
「遺族がかわいそう・・・ううっ」なんて胸を痛めたりしませんか?

それがつまり「不幸が好き」ということなんです。
特に好きな映画や小説は、自分の意識を知るのに最適な道具です!

最初から最後まで楽しい映画なんて、ストーリーにならないじゃん!
ずっと平和だったら、退屈だよね?
なーんて思いませんでしたか?

そう思ってる人の人生は、平和で幸せには決してならないでしょう。
だって「ずっと平和だったら退屈」と思ってるんですから!

ここで、多くの人が隠し持っていそうな観念を挙げてみましょう。

・苦労した人の方がえらい
・苦労してこそ深みのある人生だ
・世の中は理不尽で悲惨なことがたくさん起きる
・悩みのない人はバカで軽薄なだけ
・お金持ちはずるい
・かわいそうな人は頑張っていて健気

・・・うーん、挙げればきりがないですね~。
上の観念を全部持っている人なら、
苦労がいっぱいで、理不尽で悲惨な運命に翻弄され、高尚な悩みに浸りきり、
清い貧乏に耐え、かわいそうだけど健気に頑張る人生になってしまいそうです。
あはは!

いや、笑い事じゃないんですよねー。
まさか自分はそんなこと思ってない、という人ほど、今までの人生を振り返ってみましょう。

人は決して、本当の意味で被害者であることはありません。
「不可抗力」は、厳密には無いのです。

どんな親に育てられ、どんなひどい出来事に翻弄されたとしても
それが原因で不幸になった、というのは嘘です。
心のどこかでそれを望んでいなければ、そういう現実は起きないんですから。

運命の被害者を装うことで、何かから逃げていませんか?
自分は苦しいんだ、かわいそうなんだ、だから・・・と
自分の本当に望む人生を創ることから、逃げていませんか?

もちろん意識の表面ではありません。
深いところで、です。

私が子供の頃好きだった本は、大きく分けて2通りありました。
・「長くつしたのピッピ」など、単純に楽しい冒険劇。
・戦争で親を失った子供が、苦難を乗り越え健気に頑張る話

前者はいいとして、後者・・・
かなり先が思いやられる感じですね(笑)

そして更に、小学校の1年の時には分厚い日記帳を買って
「悲劇のヒロイン日記」的なものを書いていたのを覚えています。

が、私はプライドの高い子供だったので、2年生の頃には
「悲劇のヒロイン、かっこわる~」と思って、そんな自分を封印します。
そしてそれっきり、自己憐憫なんて自分には関係ないわ、みたいな顔をして生きてきました。

ところが・・・
表面では別れを告げたつもりでも、潜在意識はそのまま自動操縦が続いてたんですね。
それはその後の人生が、かわいそうで波乱万丈で辛く大変だったことから分かります。

もちろん、明るくて楽しいのが○で、暗くて不幸なのは×、というわけではないんですよ。
どちらを選ぶのも自由。でも自由には責任がつきまといます。
気付かないうちに不幸に惹かれ、不幸を選んでいたなら、
当然ながら起きてくる不幸な出来事は、やっぱり引き受けなきゃいけないことになるのです。

多くの人は、自分で不幸を選んでおきながら
そのことを忘れてしまって(封印してしまって)理不尽だ~!と叫ぶわけです。

さてさて、根底で不幸を愛している人は
どんなセラピーや治療を受けても、どんな心理テクニックを覚えても
決して問題解決して元気になることがありません。

だって元気になってしまったら困るんです!
幸せになってしまったら困るんです!
不幸でかわいそうな自分にアイデンティティを見出している限り(しつこいようですが無意識に、ですよ)
小手先のどんなテクも、人生を救ってくれることはないでしょう。

プライドが自己憐憫を封印してから約20年・・・
脈々と根底を流れていた「不幸好きな自分」を認めて手放したとき
私の人生は初めてガラリと変わり始めたのでした。





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最終更新日  2009.04.08 15:18:36
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