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安心掲載 New! mamadocterさん

2011.09.01
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カテゴリ:わたしとせかい
※mixiで3/22に書いた日記です※



ある方とのメールのやり取りで書いたことを、
そのまま日記に転載します。


★ ★ ★


そこらへんはやっぱり、ネガティブへの抵抗が強いと、逆にネガティブにやられちゃうの法則かな?
感じやすいだけに、抵抗も強くなっちゃうのかも。
自分の中のネガティブを受け入れた分だけ、他人のネガティブに害されなくなるです。。

害されるっていう現象は、外側のものによって起きるんじゃなく、
自分がそれに抵抗してることによって起きるものなので。
(アレルギーで考えると分かりやすい。決して花粉とかそのものが悪いわけじゃないように。)

突き詰めてくと、ネガティブポジティブを区別してない時、
ネガティブを排除しよう、ポジティブに持っていこう
(つまり治癒させようとか、より良くしようとか)
としてない時に、逆説的だけどいちばん癒しが起きるんですよね。。

エネルギーをジャッジしないこと、
良いも悪いもない、ただのエネルギーと捉えることが、
自分がやられちゃわないためにも大事かもですー。

と、このへんの話は、野口整体を習ってた頃にも結構出てきて。
やっぱ治療家をやってる人だと、末期ガンだ何だと悲惨な病状の人が毎日わんさか来るわけで
それをいちいち「これはひどい」とかネガティブに捉えてると
それこそあっちゅー間に自分がやられて死んでしまう、と。

つまりいわゆる邪気は、自分が「邪」と判断した分だけ、自分にも「邪」な働きをするわけなんです。
意味付けさえしなければ、エネルギーはニュートラル。
そんなところでしょうか。。

まーでも人間なので、何だかんだ言っても多少のジャッジはしちゃうものなんだろうな、悟りの境地でもない限り。
潜在意識レベルとかまでは、自分じゃ把握しきれないし。

そんなわけで私の場合、くおん整体にしろ他のボディワークにしろ、
人に触れる時は何かを治そうとか良くしようとか思わず、
ただ無心に触れてます。
捉えようによっては「邪気」と呼ばれるもの、を感知することはあっても、排除しない抵抗しない。
ただただ触れる。感じる。味わう。
結果、いわゆる「もらっちゃう」的現象は起きてないです。(※たぶん)
てゆーかあれだ、んなこと言ったら私こそ邪気のカタマリなんじゃ、って説もww

あ、これ大事な話っぽいから、日記にも書こうかなぁ!


★ ★ ★


というわけで、早速日記にした次第でございます。。。

ここらへんの仕組みについて気付いたきっかけは
(私のブログとかを読んでくれてる人は、飽きるほど読んだ話かも)
ハタチ頃、電磁波過敏症になった時。

携帯やらパソコンでいちいち体調を崩すようになって
だんだん日常生活がままならなくなるにつれ
「これってもしや、電磁波が悪いんじゃなくて、電磁波を悪いものと捉えてる私の意識が症状を呼んでるのでは?」とひらめいたわけです。

そこで何をしたかって、かなりおバカっぽいんだけど
ノートパソコンをね、一人がしっと抱きしめたわけです。
そしてそこで湧き起こってくる抵抗感をどんどん手放した。
「今まで嫌ってごめんね、電磁波さん」とかブツブツ言いながら。
恐怖、抵抗を手放して、最大限ラブな感じで電磁波と向き合ったのよ。
電磁波を、受け入れた。愛してみた。

以来ピタリですよ。
電磁波過敏症、治っちゃった。

この経験で確信したんです、間違いない、自分を害するのは外側のものじゃない、自分の意識だ、と。。。

その後「砂糖アレルギー」とかでも似たような経験をして
砂糖との仲直り、みたいなことをしてみたり。
細かいことも含めたらいろんなジャンルで、
自分の中の抵抗感を発見次第、手放してく、みたいなことをしております。
敵とはとにかく仲良くなれというか、敵はほんとはいないんだぞ的な。

で、昨今の放射性物質だか、放射能だか放射線だか(ごめん区別がイマイチ、、)
に関しても同じことを思うわけです。
恐れてる分だけ、害されるであろうと。
そのへんのことは、この日記にも少し書いてます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690279305&owner_id=69178

でさ、この日記でも言ってるみたいに
「そうは言っても」
どんだけ「私は大丈夫」と思ってても、普通は炎に巻き込まれたり
水に呑まれたりしたら死んじゃうわけ。

というのは、集合意識とか潜在意識のレベルでしみついた恐怖、があるからだと思うんだよね。
何せ人類、先祖代々、火とか水を恐れて避けながら生き延びてきたわけだから。
そのインプットされ具合ときたら多分、遺伝子レベルで強烈。

たまにいるでしょ、ヨガの修行とか極めちゃって、
毒物飲んでも、地面に埋められても死なない人たち。
ああいう人って、集合意識レベルの恐怖まで超越に成功した人なんだと思う。
「食べなきゃ死ぬ」という恐怖を超越して、完全な不食で生きてる人もいるしね。

でさ、放射性物質?にしても、表面で「大丈夫でしょ」と思ってても
特に日本人なんかね、原爆の経験があるから、集合意識的な恐怖はすごく強いと思うの。
そういう意味じゃ、いくらのほほんとした人でも、どこかで多少害されちゃう部分はあるかもしれない。

基本的には、恐怖は受け入れて超越する方向が正解だと思うけど
実際のところ、いきなり受け入れられるレベルには限度があると思うわけ。

だからね、明らかに放射性物質、怖くてたまらないですって人は
無理しないで逃げた方が絶対手っ取り早い。
本人が安心できることが何より大事だから。

アレルギーなんかにしても、いくら大丈夫と思いたくたって
アナフィラキシー起こして死んじゃったらどうしようもないわけで。
一時的な手段として「除去」もアリというか、それしかない場合も多いよね。
私も一時は完全な砂糖断ち、しましたから。。

向き合うには大きすぎる恐怖なら、まずは排除する。
でも最終的に向かうべき方向は排除ではない、そこは通過点、と思っております。。




※補足※

放射性物質だとか花粉、電磁波、卵アレルギーなら卵など
「症状の引き金になる物質」に対する恐怖は、実際は二次的なものだと思うの。

卵アレルギーの人は最初から卵が怖かったから、アレルギーになったわけじゃない。
大人ならそういうこともあり得るけど
(知識として卵がアレルギーを引き起こしやすいことを知ってて、恐れてるうちに本当にアレルギーになっちゃうとかね)
何も知らない赤ちゃんが、卵に恐怖を抱いてアレルギーに、、とかはまずないよね。

根本的には、もっと根源的な恐怖、人として当たり前の、
死への恐怖、愛されないことへの恐怖、などなど。。。
そういったものが誰しも内側にあって、その度合は人によって違う。

恐怖を抱えたまま生きていくには、いろんなレベルで心身を緊張させることになる。
「警戒モード」というかね。戦闘体勢というか。
で、その緊張してる部分に、外側のものが「引っかかる」わけだ。

分かりやすく物質のレベルでもそうだし、
感情的にも他人の言動が引っかかって傷つく、とかもそうだよね。

本人に恐怖がなければ、外側のものは調和して、ただ通り過ぎてく。
恐怖があって緊張があると、そこに戦いが起きて、症状が起きる。

だからいくら頭で「放射性物質、ぜーんぜん大丈夫」と思ってても
ふだん抑圧してる死への恐怖がとても強かったら、そこに放射性物質、引っかかってくるかもしれない。
それこそ放射性物質なんて知りもしない子供でも。

私の砂糖アレルギーなんかも、砂糖そのものへの恐怖もあったけど
(砂糖は体に悪い、太る、などの恐怖)
それはやっぱり二次的なもの。

根本的には、愛されないことへの恐怖と砂糖が結びついてたのね、私の場合。
だから砂糖そのものと仲直りを果たしても、
愛されないことへの恐怖が立ち上がってくるたび、何気に軽く再発はしてるの。
そこは根本を完全にクリアしない限り、仕方ないのかなーと思ってる。




※補足の補足※ (w

面白いことにね、愛されないことへの恐怖をしっかり感じてる時は
アレルギー症状、起きないの。

症状が起きるのは、感情にフタをしてる時。
もちろん無意識のうちにだけどね。
おっかしいなー調子悪いなーと思うと、感情にフタしてたことに気付く。
表層意識にのぼってくる前に、自動反応でブロックしてるんだよね。

つまり、肉体的な症状を引き起こすのは
「抑圧した恐怖」なんだと思う。

恐怖を恐怖としてちゃんと感じていれば、少なくとも肉体症状は出ない。

そういう意味じゃ、表面で自覚できてる恐怖感というのは、
まだかわいいもんなのかもね。






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最終更新日  2011.09.13 13:15:15
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